459・顎十郎捕物帳24「蠑螈(4)」


朗読「顎十郎24-4.mp3」8 MB、長さ: 約 9分 02秒

   油壺あぶらつぼ

 あめがあがって、薄雲うすぐものあいだで新月しんげつひかっている。
 油蔵あぶらぐらあわいへかがみこんだ五人ごにん
 アコちょう、とどすけ、ひょろまつ清五郎せいごろう。それに御用医者ごよういしゃ山崎椿庵やまざきちんあん
 アコちょうはチラとあたりをまわしてから、ひくこえで、
「どうだ、ひょろまつ甚松じんまつ死体したいをなんとた」
大熱おおねつたということや、手足てあし節々ふしぶしれかたなどをるに、傷寒しょうかん破傷風はしょうふう。……このまえ四人よにんていませんからはっきりしたこともえませんが、どうもそのへんのところかとおもわれます。……椿庵先生ちんあんせんせい、あなたのお診断しんだんは?」
「いったんは、虎列剌ころりかともおもいましたが、嘔吐はいたものは虎列剌ころりとはまったくちがう。むね赤斑あかまだらこそありますが、虎列剌ころり特徴とくちょうになっておる形容けいよう枯槁ここうもなければ痴呆面こけづらもしていない。それに、これが虎列剌ころりなら阿波屋一軒あわやいっけんですむはずがない」
 アコちょうはせっかちにさえぎって、
「なるほど。……すると、ギリギリのところどういうことになるんです」
手前てまえ診断しんだんでは、まずどく。……それも、なにかはなはだ珍奇ちんきな、たとえば、蘭毒らんどくのようなものでもられたのではないかと……。もちろん、これは手前てまえ推察すいさつ確言かくげんいたすわけではないが」
 顎十郎あごじゅうろうは、のひらでながかおをべろんとでおろし、
向島むこうじま花見はなみたすけたのが新田数負にったかずえたすけられたのが末娘すえむすめのおせつ。……次々つぎつぎみょうかたをしたのはおとこのほうは総領そうりょうから四男よんなんまで。おんなのほうは姉娘あねむすめとおふくろ。のこっているのは父親ちちおや居候的いそてき新田にった末娘すえむすめのおせつ三人さんにん。……ところで、数負かずえ親父おやじ蘭方医らんぽうい和蘭おらんだ本草学ほんぞうがくにくわしいということになれば、阿波屋あわや事件じけんはもうこたえがたようなもんだ。……どうだ、ひょろまつ、それともおまえのほうになにかかくべつのこみでもあるのか」
「こうすじとおったうえで、べつなおもいつきなどあろうはずはありません。……いつぞやの堺屋騒動さかいやそうどうのときも、ちょうどこんなふうにうまく出来できすぎていて、ついひっかかって失敗しくじりましたが、こんどは大丈夫だいじょうぶかね脇差わきざし
 会心かいしんらしくニヤリとわらって、
ぎたるはおよばず、ってあまりうまく段取だんどりをつけすぎるから、けっきょく露見ろけんしてしまう。わるいことというのはなりにくいものとみえます」
 ひょろまつ感懐かんかいめいたことをっていると、黒板塀くろいたべい裏木戸うらきどのほうをながめていたとどすけが、なにをたのか、おやッとこえをあげた。
「あれをごらんなさい、なにかみょうあるかたをしておる」
 四人よにんがあけはなしになった裏木戸うらきどのほうをながめると、いまうわさになっていた新田数負にったかずえが、泉水せんすいえんにそって、薄月うすづきひかりらされながらヒョロヒョロと離家はなれのほうへあるいてく。
 おとこにしてはすこしいろしろすぎるなんはあるが、いかにも聡明そうめいそうな立派りっぱ顔立かおだちで、黒羽二重くろはぶたえ薄袷うすあわせ着流きながしにしたいいようす。
 それはいいが、あるきっぷりがすこぶるみょうなので。酔歩すいほ蹣跚まんさんといったぐあいにかたからさきまえのめりになってヨロヨロと二三歩泳にさんぽおよぎだすかとおもうと、とつぜんちどまってはげしく大息おおいきをつき、両手りょうてむねのあたりをきむしるような真似まねをして、またヒョロヒョロとあるきだす。
ってるのでしょうか」
「うむ、ったにしては、みょうあるきっぷりだな」
 五人ごにんかたかさねるようにしてながめていると、数負かずえきゅうでもえなくなったように、泉水せんすいはしから離家はなれ反対はんたいのほうの竹藪たけやぶのほうへよろけてき、トバぐちふと孟宗竹もうそうだけにえらいいきおいで身体からだちつけたとおもうと、あおむけざまにドッとたおれてそのままうごかなくなってしまった。
「どうしたんだ、ともかくってよう」
 アコちょうさきにして泉水せんすいえんをまわりこんで数負かずえのそばまでけてく。かがみこんでかおると、土気色つちけいろになってもういのち瀬戸せとぎわ。
 よほどくるしかったとえて、かおがグイとひきゆがみ、片眼かためだけおおきくけてジッとそらにらんでいる。
「おッ、これはいけねえ」
 椿庵ちんあん数負かずえ着物きものむなもとをくつろげ、ぜわしくあちらこちらとしらべていたが、アコちょうのほうへかおをねじむけ、
「ごらんなさい、赤痣あかあざが」
 よろめきまわるはずみにどこかへちつけたとみえて、みぎ膝小僧ひざこぞうのところへ擦傷すりきず出来でき、そこからトロリとをしたたらしている。それからすこしあがったあたりとみぎ脇腹わきばらのところに甚松じんまつ身体からだにあったような文久銭ぶんきゅうせんほどの赤痣あかあざ罌粟けしはなのようにあかくクッキリとのこっている。
 アコちょうはいつになく戸惑とまどったようなかおで、
「こいつはおおしくじり。たいへんな見当違けんとうちがいだった。……この工合ぐあいではもういちどはじめからやりなおさなくちゃならねえ。……それはともかく、こんなとこへほうっておけない。……清五郎せいごろう、とにかく母家おもやらせてい」
 あおくなってふるえている清五郎せいごろうしりをたたくようにして母家おもやいたててやってから四人よにん数負かずえ離家はなれはこれようとしていると、母家おもやへつづく柴折戸しおりどはなすようないきおいでしあけ、バタバタとけてたのは末娘すえむすめのおせつ
 わかさのにおいがこぼすような水々みずみずしいはだ喪服もふくくろはよくあう。下着したぎ鹿あかいろをハラハラすそからこぼしながら足袋たびはだしのままいきえにけよってて、ながそでをハタとうちかけ、両手りょうてきいだくようにして数負かずえむねいつくと、ワッとこえをあげてもないようにしずんでしまった。
「……数負かずえさま、数負かずえさま。……あなたまで、あなたまで。……ああ、どうしよう、どうしよう。……あなたに万一まんいちのことがあったらあたしはきてはおりません。……どうぞ、もういちどをあけて。……んではいやんではいや。……いわしたゆくみずこころばかりをかよわせ、ぬほどにおしたいしておりました。それほどのおもいもとどかず、こんなすさまじいおりに、おもいのたけをおつた出来できぬとは、なんというかなしいめぐりあわせ。……せつないあたしのおもいもあなたのみみきこえるのやらきこえぬのやら……」
 なりもふりもなくきくどくのを、アコちょうはそのかたをかけ、
「そういうことならかなしいのはもっともだが、そんなことをしていては手当てあておくれる。それじゃたすかるいのちたすからない。なげくのはあとにして、ともかく離家はなれはこんで手当てあてをしなくては……」