452・顎十郎捕物帳23「猫目の男(1)」


朗読「顎十郎23-1.mp3」7 MB、長さ: 約 7分 42秒

顎十郎捕物帳あごじゅうろうとりものちょう23
猫眼ねこめおとこ
久生十蘭ひさおじゅうらん

   府中ふちゅう

「……すみませんねえ。これじゃ冥利みょうりにつきるようで身体からだがちぢみます」
「やかましい、だまってっておれというのに」
 駕籠かごっているのは、ついこのあいだまで顎十郎あごじゅうろうしたまわりだった神田鍋町かみたなべちょう御用聞ごようきき松五郎まつごろう
 かついでいるほうは、もとは江戸一えどいち捕物とりもの名人めいじんで、いまはただの駕籠屋かごや仙波阿古十郎せんばあこじゅうろうあらためアコちょう相棒あいぼう九州きゅうしゅう浪人ろうにんくずれで雷土々呂進いかずちとどろしんこと、とどすけ
 とどすけはどうでもいいが、顎十郎あごじゅうろうのほうは、ひょろまつにしてみればなんといっても以前いぜん主人しゅじんすじ。いわんや、捕物御前試合とりものごぜんじあい勝名かちなのりをうけたほどの推才活眼すいさいかつがん師匠ししょうとも先生せんせいともあおいできた仙波阿古十郎せんばあこじゅうろう
 むこうは、ふっつりとえんったつもりかもれないが、こっちはられたとはおもってない。けつけてってそでにすがれば、いつでも智慧ちえしてもらわれるとおもっている。
 本来ほんらいなら、自分じぶんのほうが棒鼻ぼうはなにつかまってっかついでくべきところを、こちらが師匠ししょうにかつがれて駕籠かごなか膝小僧ひざこぞうをだいてられているというんだから、これは、どうもがさすのが当然あたりまえ
 もっとも、ひょろまつのほうで、おい、駕籠かご大束おおたばをきめこんだわけじゃない。事実じじつのところザックバランにえば、いやがるのを無理むりやりにせられた……。
 五月五日ごがついつかは、府中ふちゅう六所明神ろくしょみょうじん名代なだい暗闇祭くらやみまつり大国魂おおくにたまさまの御霊遷みたまうつしのある刻限前こくげんまえに、どうでも府中ふちゅうまでけつけねばならぬ用事ようじがあって、甲州街道こうしゅうかいどう駕籠立場かごたちばまでて、むこうっすねつよそうなのをえらんでいると、いきなり顎十郎あごじゅうろうにとっつかまってしまった。
「おお、ひょろまつじゃないか。大仰おおぎょう旅支度たびじたくで、いったい、どこへく」
 正月しょうがつ狸合戦以来たぬきがっせんいらい、かけちがって半年近はんとしちかくあわなかったところだったので、ひょろまつなつかしく、顎十郎あごじゅうろうのそばへけてくと、半纒はんてんえりにすがらんばかりにして、
「おお、これは先生せんせい、……阿古十郎あこじゅうろうさん、いつも御機嫌ごきげんよくて……」
 顎十郎あごじゅうろうのアコちょうは、有名ゆうめい冬瓜顎とうがんあごをツンして、
挨拶あいさつなどはどうでもいい。いったいぜんたい、どこへく」
じつは、府中ふちゅうまできゅう用事ようじがありまして、どうでも夕方ゆうがたまでにむこうへかなくてはならねえという大早乗おおはやのり。いま威勢いせいのいい駕籠かごをさがしているところなンです」
「おお、それはちょうどいい都合つごうだった」
「えッ、ちょうどいい都合つごうとおっしゃると……」
おれ駕籠かごがあいてるから、これにれ」
「じょ、じょ、ご冗談じょうだん……」
「なにもそうっくりかえっておどろくほどのことはあるまい。ここ五日いつかばかりあぶれつづきでよわっていたところだ。いいおりだからおまえせてやる」
「どうしまして、そんなもったいねえことが……」
 といながら、ヒョイとかたわらにおいてある駕籠かごると、これがひどい。
 吉原土手よしはらどて辻斬つじぎりにあったやつがお鉄漿溝はぐろどぶなかへころげこんで、そこに三年さんねん三月みつきつかっていたというようなおんぼろ駕籠かご
 れはケシ凭竹もたれ干割ひわれ、そこがぬけかかったのを荒削あらけずりの松板まついたくぎでぶっつけてある。この駕籠かご七里半ななりはんみちをゆられてったら、まずいのちがもたない。
 ひょろまつは、おそれをなし、
「うわッ、こいつアいけねえ。この駕籠かごじゃどうも……」
 とどすけは、花和尚魯智深かおしょうろちしんのような大眼玉おおめだまいて、うでまくりをしながらアコちょうのほうへりかえり、
「こやつはとどきなやつですな。むかしの主人しゅじんしょくりょうをうるためにってくれとことをわけてたのんでおるのに、素見ひやかすというのはしからん。こういう不人情ふにんじょうなやつは、すねでもたたきって、否応いやおうなしに駕籠かごなかへドシこんでしまわッせ。拙者せっしゃもおつだいするけン」
 ひょろまつは、をあわせて、
ります、ります。観念かんねんしてせていただくことにしますから、そんなすごかおをしないでください」
 ひょろまつは、ほうほうのてい駕籠かごのほうへちかよりながら、
「いや、どうもひどいにあうもんだ。……では、はなはだもうしわけありませんが、どうかよろしくおねがもうします」
 と、草鞋わらじひもをときかけると、アコちょう駕籠かごまえちふさがり、
「まア、まア、ってくれ。るのはいいが、いますぐけだすというわけにはかん。じつは、昨日きのうからなにもっていねえので、このままじゃア駕籠かごちあげることさえ出来できやしない。ともかく、二人ふたりめしわせてからのことにしてくれ」
「こりゃアおどろいた、それもわたしがはらうんで」
「まあ、そうだ」
りかかった駕籠かごだ。もう、観念かんねんしまっせ」
 二人ふたりのうしろにいついて、ひょろまつしぶしぶ立場たてばはいると、アコちょうととどすけ落着おちついたもので、芋豆腐いもどうふさかなにいっぱいりだした。
 ひょろまつは、あわてて、
「こりゃア、どうもよわった。そうゆっくりこしをすえられちゃアこまります。なにしろ、あっしは大急おおいそぎなンで……」
 とどすけは、にもかけぬふうで、
「まあ、まア、そういそぐことはない。これから府中ふちゅうまでは七里半ななりはんみち。じゅうぶんに兵糧ひょうろうれておかんことには早駈はやがけすることが出来できん。へいにはかて駕籠屋かごやにはさけ。ちゃんと兵法へいほうしょにもいてある。あんたもあわてずドシコとめしでもつめこんでおきまっせ」