302・半七捕物帳66「地蔵は踊る(4)」


朗読「半七66-4.mp3」13 MB、長さ: 約 13分 59秒

     四

「おい、おすみ。おめえのあねさんは何処どこにいる」と、半七はんしちはだしぬけにいた。
 おすみだまっていた。
かくしちゃあいけねえ。ひとつきほどまえに、おめえがあねさんと一緒いっしょ茗荷谷みょうがだにあるいていたのを、おれはちゃんとていたのだ。そのあねさんは何処どこにいるよ」
 おすみはやはりだまっていた。
あねさんはころされて、地蔵じぞうさまにしばけられていたのだろう」
 おすみとしたように相手あいてかお見上みあげたが、またにわかせた。
「その下手人げしゅにんをおめえはっているのだろう。おれがかたきってやるから正直しょうじきえ」
 おすみ強情ごうじょうだまっていた。
「あの無縁むえん石塔せきとうっくりかえして、そのしたからみちをこしらえて、地蔵じぞうおどらせたのはだれだ。おめえのあねさんもかかいがあるだろう。あねさんの色男いろおとこだれだ。あの俊乗しゅんじょうという坊主ぼうずか」
 おすみはまだ俯向うつむいていた。
俊乗しゅんじょうあねさんをめたのか。一体いったいおめえのあねさんはきているのか、んだのか」と、半七はんしちたたみかけていた。「おめえはふだんから親孝行おやこうこうだそうだが、正直しょうじきわねえとおとっさんをしばるぞ」
 おすみきそうになったが、それでもくちをあかなかった。
「おめえと従兄弟いとこ同士どうし源右衛門げんえもんはどうした。ちをしたとうのはうそで、あのみちのなかにうずまってんだのだろう。その死骸しがいはどこへかくした」
 おすみくまでだまっていたが、うそだともわず、らないともわない以上いじょう無言むごんのうちに、それらの事実じじつみとめているようにおもわれたので、半七はんしちはらのなかでわらった。
「これほどってもだまっているなら仕方しかたがねえ。ここでいつまで調しらべちゃあいられねえ。親父おやじもおめえもれてって、調しらべるところ厳重げんじゅう調しらべるからそうおもえ。さあ、い」
 いくらかのおどしもまじって、半七はんしちはおすみあらくてようとするとき、ふとがついてかえると、うしろのおおきい石塔せきとうかげから小坊主こぼうず智心ちしん不意ふいにあらわれた。かれ薪割まきわようなたをふるって、半七はんしちってかかった。半七はんしち油断ゆだんなくをかわして、そのうでっとらえ、まずその得物えものうばろうとすると、としわりちからつよかれ必死ひっしあらそった。
 そればかりでなく、いままでおとなしかったおすみ猛然もうぜんとして半七はんしちにむかってた。彼女かれはそこらにちているえだひろってたたけた。こけまじりのつちをつかんでげつけた。つぶしをって半七はんしちすこしくあましているところへ、それを遠目とおめ亀吉かめきちけてた。かれずおすみたおして、さらに智心ちしん襟首えりくびをつかんだ。御用聞ごようき二人ふたりさえられて、智心ちしんおおきいをむきしながらせられた。
んでもねえやつだ。しばりましょうか」と、亀吉かめきちった。
「そんなやつなにをするかわからねえ。一旦いったんなわをかけてけ」
 智心ちしん捕縄とりなわをかけられた。二人ふたりはおすみ智心ちしんてて、もとのところもどってたが、もう猶予ゆうよ出来できないので、さらに了哲りょうてつてて本堂ほんどうへむかうと、本堂ほんどう仏前ぶつぜんには住職じゅうしょく祥慶しょうけいきょうんでいた。半七はんしちらのんでたのをて、かれはしずかになおった。
昨日きのうといい、今日きょうといい、御役おやく方々かたがた御苦労ごくろうぞんじます。おおかたうであろうとさっしまして、今朝けさ読経どきょうして、みなさまがたのおでをおもうしてりました」
 案外あんがい覚悟かくごがいいので、半七はんしちらもかたちをあらためた。
くわしいことはあとにして、ここでざっと調しらべますが、まず第一だいいち地蔵じぞうさまの一件いっけん、それはお住持じゅうじ勿論御承知もちろんごしょうちのことでしょうね」と、半七はんしちいた。
承知しょうちしてります」と、祥慶しょうけいわるびれずにこたえた。「わたくしは十四年前じゅうよねんぜんから当寺とうじ住職じゅうしょくなおりました。この高源寺こうげんじ慶安年中けいあんねんぢゅう開基かいきで、相当そうとう由緒ゆいしょもあるてらでござりますが、先代せんだいからの借財しゃくざいがよほどのこってりますうえに、おおきい檀家だんかがだんだんえてしまいました。火災かさいにも一度いちどかかりまして、その再建さいこんにもずいぶん苦労くろういたしました。右様みぎよう次第しだいで、てら維持いじにも困難こんなんしてりますがら役僧やくそう延光えんこうからしばられ地蔵じぞうすすめられました。林泉寺りんせんじしばられ地蔵じぞうむかしから繁昌はんじょうしている。当寺とうじでもそれにならって、しばられ地蔵じぞうはじめてはどうかとうのでござります。こころよからぬこととはぞんじながら、何分なにぶんにももと不如意ふにょいくるしさに、万事ばんじ延光えんこうまかせました。さりとていままでりもしなかった地蔵尊じぞうそんにわかにくのもなものであり、かつ世間せけん信仰しんこうもあるまいという延光えんこう意見いけんで、深川寺町ふかがわてらまち石屋松兵衛いしやまつべえというものたのみまして、一体いったい地蔵尊じぞうそんつくらせ、二年にねんあまりも墓地ぼち大銀杏おおいちょうもとにうずめてきまして、夢枕ゆめまくら云々しかじかもうらしてすことにいたしました。それがさいわいににあたりまして、さん四年よねんのあいだはなかなかの繁昌はんじょうで、賽銭さいせんそのほか収入みいりもござりました」
「その延光えんこうという役僧やくそうはどうしました」
「あるいは仏罰ぶつばつでもござりましょうか。昨年さくねん二月にがつ延光えんこう流行はやりかぜから傷寒しょうかんになりまして、三日みっかばかりでりました。延光えんこう歿ぼっしましたので、唯今ただいま俊乗しゅんじょうがそのあとをいで役僧やくそうつとります」
しばられ地蔵じぞうもだんだんに流行はやらなくなったので、今度こんど地蔵じぞうおどらせることにしたのですね。それはおまえさんの工夫くふうですかえ」
「いえ、わたくしではありません」
俊乗しゅんじょうですか」
俊乗しゅんじょうでもありません。石屋いしや松蔵まつぞう……松兵衛まつべえのせがれでござります。松兵衛まつべえわるものではありませんが、せがれ松蔵まつぞう博奕ばくちふけって、いわばごろつきふうくない人間にんげんでござります。それがしばられ地蔵じぞううわさみまして、当寺とうじ強請ゆすりがましいこといかけてまいりました。あの地蔵じぞう自分じぶんうちあたらしくつくったもので、墓地ぼち土中どちゅうからしたなどというのはこしらごとである。自分じぶんくちからその秘密ひみつらせば、世間せけん信仰しんこう一時いちじにすたるばかりか、当寺とうじでもさだめし迷惑めいわくするであろうとうのでござります。んだやつたのんだといまさら後悔こうかいしてもいたかたがありません。何分なにぶんこちらにも弱味よわみがありますので、延光えんこうはからいでいくらかずつのかねをやってりました。松蔵まつぞうのようなわるやつこまれましたのも、やはり仏罰ぶつばつであろうかとおもわれます」
 祥慶しょうけい数珠じゅず爪繰つまぐりながらしばら瞑目めいもくした。うしろのやまではもずこえたかくきこえた。
「そのうちに延光えんこう歿ぼっしました。そのあとに俊乗しゅんじょうなおりますと、今度こんど俊乗しゅんじょう相手あいてにして、松蔵まつぞう時々ときどきけてまいります。俊乗しゅんじょうとしわかし、正直者しょうじきものでござりますから、松蔵まつぞうのようなやつめられて、ひどく難儀なんぎしてるようでござります。わたくしも可哀かわいそうにおもいましたが、どうすることも出来できません。そこへまたひとり、わるやつがあらわれまして、いよいよこまてました」
「そのわるやつおんなですかえ」と、半七はんしちは、くちれた。
「はい。おうたもうおんなで……」と、老僧ろうそうはうなずいた。
 おうた花屋はなや定吉さだきち姉娘あねむすめであった。ちち定吉さだきち妹娘いもうとむすめのおすみ正直者しょうじきものであるのにえて、おうた肩揚かたあげのおりないうちからおやのてもとをして、武州ぶしゅう上州じょうしゅう上総かずさ下総しもうさ近国きんごくながわたっていた。彼女かれ若粧わかづくりを得意とくいとして、実際じっさいはもう二十四にじゅうしであるにもこだわらず、十八じゅうはっ精々せいぜい二十歳はたちぐらいのわかおんなせかけて、殊更ことさら野暮やぼらしい田舎娘いなかむすめふんしていた。おとこ油断ゆだんさせる手段しゅだんであることはうまでもい。
 彼女かれは、去年きょねんくれごろに江戸えどかえって、十余年じゅうよねんぶりで高源寺こうげんじをたずねてたが、物堅ものがた定吉さだきちけないで、すぐに門端かどばたからそうとすると、おうた門前もんぜん地蔵じぞうゆびさした。わたしの口一くちひとつで、多年御恩たねんごおんになったお住持じゅうじさまは勿論もちろん、おまえにも迷惑めいわくがかからないとはえまいと、彼女かれわらった。それをいて、定吉さだきちとした。
 どうしておうた地蔵じぞう秘密ひみつっているのかと、定吉さだきちおどろきかつおそれて、だんだんその仔細しさい詮議せんぎすると、おうたはこのごろかの松蔵まつぞう心安こころやすくしているとうのであった。定吉さだきちはいよいよおどろいたが、こうなってはつよいこともえない。よんどころなくおうたれて、そののぞみのままに俊乗しゅんじょうわせると、かれもまたおどろいた。迷惑めいわくながらいくらかの口留くちどりょうをやって、無事ぶじ彼女かれかえそうとすると、おうた案外あんがいかねらないとった。おてら迷惑めいわくにもなり、おやたちの迷惑めいわくにもなることであるから自分じぶんけっして口外こうがいしない。そのかわりに、時々ときどきのお出入でいりをゆるしてくれとった。
 おとなしいようなぶんではあるが、こんなおんなにしばしば出入でいりされてはこまるので、祥慶しょうけいきじきにおうた面会めんかいして、てらへたずねてるのはつき一度いちど、それも近所きんじょひと目立めだたないように、なるべく夜分やぶんしのんでてくれということに相談そうだんめた。つき一度いちどでもおやいもうとかおられれば結構けっこうでござりますと、おうた殊勝しゅしょうらしくこたえた。
「それがやはり思惑おもわくのあることで……」と、祥慶しょうけいいきまじりにかたりつづけた。「かね一文いちもんらない、けっして無心むしんがましいことはわないともうしてりましたが、おうた慾心よくしんでなく、色情しきじょうで……。おうたはどうしてか俊乗しゅんじょう恋慕れんぼしてったのでござります」
「おうた松蔵まつぞうともかかいがあったのでしょうね」
「さあ、本人ほんにんただいだともうしてりましたが、あんな人間同士にんげんどうしのことですから、どういう因縁いんねんになっているかわかりません」
松蔵まつぞう相変あいかわらず出入でいりをしているのですか」
「はい、時々ときどきまいります」
 おうたいろ松蔵まつぞうよく双方そうほうからてられる俊乗しゅんじょう難儀なんぎおもいやられた。