247・半七捕物帳56「河豚太鼓(5)」


朗読「半七56-5.mp3」13 MB、長さ: 約 14分 23秒

     五

 太鼓たいこるのは河豚ふぐかわだけで、そのにくはどうするかわからなかったが、むなしくててしまうばかりでもあるまい、いのちがけでものやするのかもれない。玉太郎たまたろう一件いっけんかかいのある白雲堂はくうんどう河豚ふぐんだとあれば、その河豚ふぐ魚八うおはちみせからたのではあるまいか。やすったか、もらったか、その河豚ふぐたたられてかれほろぼしたのではあるまいか。
 そうなると、白雲堂はくうんどう魚八うおはちとはなにかの関係かんけいければならない。正直しょうじきそうにえた魚八うおはち女房にょうぼうてにはならないで、やはりこの一件いっけんかかいがあるのか。そんなことをかんがえながら、半七はんしち二人ふたりとも浅草あさくさいそいだ。
 馬道うまみち白雲堂はくうんどうみせは、けさにかぎっていつまでもけないので、両隣りょうどなりのもの不審ふしんをいだいておもてたたいたが、うちにはなんの返事へんじもないので、いよいよ不審ふしんかさなって、裏口うらぐち雨戸あまどをこじけてはいると、売卜者はっけみ白雲堂幸斎はくうんどうこうさい台所だいどころたおれてんでいた。かれみずもうとして台所だいどころまでして、そこでいきえてしまったらしく、そのはだいろ赤味あかみびたむらさきにかわっている。それがあきらかに変死へんし姿すがたであるとわかって、近所きんじょ人々ひとびとはおどろいた。家主いえぬしちょう役人やくにんいのうえかたのごとくにうったた。
 やがて検視けんし役人やくにん出張でばったが、医者いしゃ診断しんだん家内かない状況じょうきょうによって、幸斎こうさい河豚ふぐ中毒ちゅうどくわかった。河豚ふぐぬのはめずらしくない。それが他殺たさつでない以上いじょう検視けんし至極簡単しごくかんたん片付かたづいた。半七はんしちらがいたころには、役人やくにんらはもうげて、白雲堂はくうんどうには近所きんじょ人達ひとたちがごたごたしているばかりであった。幸斎こうさいはひとりものであるから、近所きんじょものって葬式とむらいいとなむのほかはかった。
 半七はんしち家主やぬしって、売卜者はっけみのふだんの行状ぎょうじょうなどにいてわせたが、庄太しょうたからきのういたとおりで、べつあやしいようなふしもなかった。となりの古道具屋ふるどうぐや亭主ていしゅはなしによると、幸斎こうさいはきのうのひるぎからみせをしめてたとのことであった。
「そうして、いつごろかえってた」と、半七はんしちいた。「どこへったともわなかったか」
るときには、ちょいとるからたのむといましたが、べつにどこへくというはなしもありませんでした」と、亭主ていしゅこたえた。「れてからかえってて、それからいっときほどもつと、ひとりのおんなたようでした」
「どんなおんなた……」
頭巾ずきんをかぶってりましたので……」
 商売しょうばい商売しょうばいであるから、白雲堂はくうんどうへはうらないをたのみにおとこおんな毎日出入まいにちでいりをする。ことおんなきゃくおおい。したがって、となりの古道具屋ふるどうぐやでも出入でいりのきゃくについて一々注意いちいちちゅういしていないのであった。くらよいではあり、おんな頭巾ずきんふかくかぶっていたので、その人相にんそう年頃としごろもまったくらないと、亭主ていしゅった。それも無理むりのないことだとはおもったが、ゆうべたずねておんながあるとうのが半七はんしちにかかったので、かれはかさねていた。
「それから、そのおんなはどうした」
「さあ、なにぶんをつけてりませんので、たしかにはもうげられませんが、ちいさいこえなにしばらはなしてりまして、それからかえったようでございました」
「どっちの方角ほうがくかえった……」
「それはどうもわかりませんので……」
白雲堂はくうんどうはどうした」
幸斎こうさいさんはそれからもなくたようでしたが、それっきりかえってまいりません。そのうちにツ(午後十時ごごじゅうじ)になりましたので、わたくしのみせではめましたが、それからすこってかえってたようで、をあけるおとがきこえました。わたくしどもでもみんなてしまいましたので、それからさきのことは一向いっこうぞんじません」
「そのおんな一緒いっしょかえって様子ようすはねえか」
「さあ、それもわかりませんので……」
 まったくらないのか、あるいはなにかのかかいをおそれるのか、亭主ていしゅはとかく曖昧あいまい言葉ことばにごしているので、それ以上いじょう詮議せんぎ出来できなかった。このとき、だしぬけにあたまうえねここえがきこえたので、半七はんしちおもわずあげると、ねこ普通ふつう三毛猫みけねこで、きたからかぜにさからいながら、白雲堂はくうんどう屋根やねひさしわたってとおぎた。
 そのねこのゆくえを見送みおくっているうちに、ふとについたのは白雲堂はくうんどう二階にかいである。床店同様とこみせどうようではあるが、ともかくもちいさい二階にかいがあるので、万一まんいちそこに玉太郎たまたろうかくしてあるかもれないとおもいて、半七はんしちはすぐに家主いえぬしいた。
「お家主いえぬしうかがいますが、検視けんしのお役人衆やくにんしゅう二階にかいをあらためましたか」
「いえ、べつに……」
 河豚ふぐ中毒ちゅうどくわかっては、家探やさがしなどをするはずもない。検視けんし役人やくにんらは早々そうそうったのであろう。家主いえぬし一応いちおうことわったうえで、半七はんしち庄太しょうたさきてて二階にかいへあがろうとすると、そこには梯子はしごがなかった。ここらのちいさいうちでは梯子段はしごだんけてあるのではなく、普通ふつう梯子はしごをかけてのぼりをするのであるが、その梯子はしごをはずしてあるので、うえしたとの通路つうろえている。二人ふたりはそこらをまわしたが、どこにも梯子はしごらしいもの見付みつからなかった。
「おかしいな」と、半七はんしちいた。「なんで梯子はしごいたのだろう」
へんですね。なんとかしてのぼりましょう」
 庄太しょうた二階にかいしたにある押入おしいれのたなあしがかりにして、はしらつたってのぼってった。半七はんしちもつづいてのぼってゆくと、二階にかいせま三畳さんじょうひとで、ほとん物置ものおき同様どうようであったが、それでも唐紙からかみのぼろぼろにやぶれた一間ひとま押入おしいれがいていた。かくはこの押入おしいれのほかにい。半七はんしち眼配めくばせをされて、庄太しょうたはその唐紙からかみけようとすると、けがわるいのできしんでいる。力任ちからまかせにこじけると、唐紙からかみみぞをはずれてばたりとたおれた。それと同時どうじに、二人ふたりくちのうちでさけんだ。
 押入おしいれのうえたなには、ふるびた湿しめっぽい寝道具ねどうぐんであったが、たなしたには一人ひとりおんながころげていた。おんな二十五六にじゅうごろく年増としまで、引窓ひきまどつならしいふる麻縄あさなわ手足てあし厳重げんじゅうくくられて、くちには古手拭ふるてぬぐいかたまれていた。おびかれて、そのそばにまるめられ、はだもあらわによこたわっている姿すがたは、んでいるかきているかわからなかった。彼女かのじょ丸髷まるまげきむしったようにみだして、さおかお両眼りょうめじていた。
 半七はんしちはこのはなててみた。
いきはある。はやいてやれ」
 庄太しょうた手足てあしなわき、くち手拭てぬぐいをはずしてやったが、おんなはやはり半死半生はんしはんしょう身動みうごきもしなかった。
 二階にかいから半七はんしちこえをかけられて、したにあつまっている人達ひとたちにわかにさわった。なにしろ梯子はしごがなくてはこまると、あわてて家内かないさがしまわると、台所だいどころすみてかけてあるのが見付みつされた。
 梯子はしごをかけて、おんなをかかえおろして、ひとずそれを自身番じしんばんおくませたあとに、半七はんしちさら二階にかい押入おしいれをあらためると、まるめられたおびのそばにちいさい風呂敷包ふろしきづつみがある。あけてると、菓子かしふくろちいさい河豚太鼓ふぐだいこがあらわれた。
 二階にかいひさしではねここえまたきこえた。

「おはなしずここらでしょうかね」と、半七老人はんしちろうじんはひといきついた。
 白雲堂はくうんどう二階にかい発見はっけんされたおんな菊園きくえん乳母うばであることはわたしにも想像そうぞうされたが、そのほかのことはなんにもわからなかった。だれぜんか、だれあくか、それさえもまだ見当けんとうかないので、わたしはだまって相手あいてかおをながめていると、老人ろうじんまたしずかにはなした。
「これがはじめにおはなもうした疱瘡ほうそう一件いっけんですよ」
疱瘡ほうそう……。植疱瘡うえぼうそうですか」
「そうです。まえにもとおり、江戸えどでは安政六年あんせいろくねんから種痘所しゅとうじょというものが出来できて、植疱瘡うえぼうそうはじめました。このおはなし文久二年ぶんきゅうにねんはそれから足掛あしか四年目よねんめで、最初さいしょ不安心ふあんしんおもっていた人達ひとたちも、それからそれへとつたえて、ものためしだからえてみようとうのがぽつぽつました。そのころにはまだ文明開化ぶんめいかいかなんて言葉ことばはありませんでしたが、まあはや開化かいかしたような人間にんげん種痘所しゅとうじょかようようになったんです。菊園きくえん若主人夫婦わかしゅじんふうふべつ開化かいか人間にんげんでもなかったようですが、なんにしても子供こども可愛かわいい。玉太郎たまたろうというがそのとおり、たまのような綺麗きれいで、ななつになるまで本当ほんとう疱瘡ほうそうをしない。そこへ植疱瘡うえぼうそううわさいたので、用心ようじんのためにえさせようとうことになりました。
 老人夫婦ろうじんふうふ最初不承知さいしょふしょうちであったらしいんですが、もし本当ほんとう疱瘡ほうそうをすれば、たまのようなかお鬼瓦おにがわらのようにけるかもれない。それをおもうと、あくまでも反対はんたいするわけにもかないので、つまりはまご可愛かわいさから、まあ渋々しぶしぶながら同意どういすることになったんです。若主人夫婦わかしゅじんふうふ植疱瘡うえぼうそうをたしかに信用しんようしているわけでもいんですが、いけないにしても元々もともとだぐらいの料簡りょうけんで、半信半疑はんしんはんぎながらもともかくもえさせることにして、ちかいうちに玉太郎たまたろう種痘所しゅとうじょれてく……。さあ、それが事件じけん発端ほったんです。とうのは、この植疱瘡うえぼうそうについては、乳母うばのおふく大反対だいはんたいで、うし疱瘡ほうそうえればうしになるとしんじている。大事だいじぼっちゃんにうし疱瘡ほうそうなどをえられては大変たいへんだというので、ずいぶん手強てごわ反対はんたいしたらしいんですが、しょせん主人しゅじんにはてない。といって、どうしてもぼっちゃんに植疱瘡うえぼうそうをさせるにはなれない。そこで、まず相談そうだんったのが浅草馬道あさくさうまみち白雲堂はくうんどうです。相談そうだんじゃあない、うらないをもらいにったんです」
白雲堂はくうんどうまえからっていたんですか」
「おふくはお神籤みくじとかうらないとかいうものをしんじるたちで、田町たまち次郎吉じろうきちうち縁付えんづいているあいだにも、観音かんのんさまへってお神籤みくじったり、白雲堂はくうんどうってうらなったりしていたので、前々まえまえからお馴染なじみであったんです。今度こんどもその白雲堂はくうんどうけつけて、植疱瘡うえぼうそう一件いっけんうらなってもらうと、幸斎こうさいというやつ仔細しさいらしく筮竹ぜいちくをひねって、これはまさにいけない。この植疱瘡うえぼうそうをすれば、うしになるの、ならないのろんではない。主人しゅじん子供こども七日なのかのうちにいのちうしなうにまっているとう。そうでなくても不安心ふあんしんでいるところへ、こんな判断はんだんかされて、おふくさおになってしまいました。