183・半七捕物帳46「十五夜御用心(1)」


朗読「半七46-1.mp3」11 MB、長さ: 約 12分 24秒

半七捕物帳はんしちとりものちょう46
十五夜御用心じゅうごやごようじん
岡本綺堂おかもときどう

     一

 わたしはかつて「虚無僧こむそう」という二幕ふたまく戯曲ぎきょくをかいて、歌舞伎座かぶきざ上演じょうえんされたことがある。その虚無僧こむそう宗規しゅうき生活せいかつについては、わたし自身じしん多少たしょう調しらべたが、大体だいたいはそのむかし半七老人はんしちろうじんからはなしてかされたことが土台どだいになっているのであった。
 虚無僧こむそうはなしをするついでに、半七老人はんしちろうじん虚無僧こむそう普通ふつうそうとにからんだ一場いちば探偵物語たんていものがたりかせてくれたことがある。老人ろうじん本所ほんじょ押上おしあげむらについて説明せつめいした。
「このごろ押上町おしあげちょうとか向島押上町むこうじまおしあげちょうとかいろいろにかれたようですが、江戸時代えどじだいはすべて押上村おしあげむらで、柳島やなぎじま小梅こうめのあいだにひろがって、なかなかおおきいむらでした。押上おしあげ大雲寺だいうんじといえば、江戸えどでも有名ゆうめい浄土宗じょうどしゅうてらで、猿若さるわか中村勘三郎代々なかむらかんざぶろうだいだいはかがあるせいか、ここには市村羽左衛門いちむらはざえもんとか瀬川菊之丞せがわきくのじょうとかいったような名優めいゆうはかがたくさんありました。そのとなりの最教寺さいきょうじ日蓮宗にちれんしゅうで、ここの宝物たからものには蒙古退治もうこたいじ曼荼羅まんだらがあるというので有名ゆうめいでした。これからおはなしをするのは、そんな有名ゆうめいてらではなく、竜濤寺りゅうとうじ……名前なまえはひどく勿体もったいらしいのですが、いやもうてたちいさい古寺ふるでらで、一時いちじ無住むじゅうになっていたというくらいですから、大抵たいていさっしがくでしょう。その古寺ふるでら五年前ごねんまえから二人ふたり出家しゅっけがはいりんでて、住職じゅうしょく全達ぜんたつ納所なっしょ全真ぜんしん、この二人ふたりすわることになりました。勿論もちろん貧乏寺びんぼうでら碌々ろくろく檀家だんかもないのですから、住職じゅうしょく納所なっしょもそこらを托鉢たくはつ出歩であるいたりして、どうにかてらっていたらしい。ところが、ここにひとつの不思議ふしぎ事件じけん出来しゅったいしたのです」

 嘉永六年七月かえいろくねんしちがつには徳川とくがわ家慶いえよし薨去こうきょしたので、七月二十二日しちがつにじゅうににちから五十日間ごじゅうにちかん鳴物なりもの停止ちょうじめいぜられた。鳴物停止なりものちょうじ歌舞音曲かぶおんぎょくのたぐいをきんずるにぎないのであるが、それにともなって多人数たにんずう集合しゅうごうすること、遊楽ゆうらくめいたこととうは、すべて遠慮えんりょするのが時代じだい習慣しゅうかんであったので、さしあた七月二十六夜しちがつにじゅうろくや月待つきまちには高台たかだい海岸かいがん群集ぐんしゅうするものもなかった。翌月よくげつ十五夜じゅうごや月見つきみえんなどは一切遠慮いっさいえんりょで、江戸えどまちすすきこえもきこえなかった。
「いいつきだなあ」
 ひとりごといながら、みちばたにって今夜こんや明月めいげつあおいでいたのは、押上村おしあげむら農家のうかのせがれ元八げんぱちであった。元八げんぱちはことし二十一にじゅういちで、博奕ばくちなどもつといううわさのある道楽者どうらくものだけに、今夜こんやつき自分じぶんいえでおとなしくながめていることも出来できず、これから何処どこあそびにこうかなどとかんがえながら、ほろよい機嫌きげんでここらの田圃路たんぼみちをうろいていると、浅黄あさぎ手拭てぬぐいかおをつつんだ一人ひとりおんな出逢であった。
「あの、ちょいとうかがいますが、神明様しんめいさまはこのへんでございましょうか」と、おんないた。
神明様しんめいさま……。徳住寺とくじゅうじのかえ」と、元八げんぱちつきあかりにおんなかおをのぞきながらこたえた。「徳住寺とくじゅうじくなら、あともどりだ」
ぎましたか」
「むむ、ぎたね」と、元八げんぱちはまたこたえた。「これから半町はんちょうほどもあともどりをして、往来おうらいたらみぎがるのだ」
「ありがとうございます」
 おんな会釈えしゃくしてかえしてった。ぬぐいにかおつつんでいながらも、それがとしわか色白いろじろおんなであることを元八げんぱちみとめたので、しばらくたたずんで彼女かのじょのうしろ姿すがた見送みおくっていた。
「ここらで見馴みなれねえおんなだ。きつねかしにでもたのじゃあねえかな」
 かすつもりならば、そのまま無事ぶじはずもあるまいとおもうにけて、ほろよい機嫌きげん道楽者どうらくものにわかに一種いっしゅのいたずらっきざした。かれ藁草履わらぞうり足音あしおとをぬすみながら、小走こばしりにおんなのあとをってゆくと、おんなはそんなことにはかないらしく、これも夜露よつゆ草履ぞうりおとしのばせるように、俯向うつむちに辿たどってった。つきあかるいので見失みうしなおそれはないと、元八げんぱち最初さいしょはわざととおはなれていたが、往来おうらいちかづくにしたがってかれあしはやめた。もうさん四間よんげんというところまでくと、おんなもさすがにがついてかえった。
 さとられたとって、元八げんぱちはすぐにこえをかけた。
ねえさん、ねえさん。神明しんめいさまへ途中とちゅうには、くらもりがあって物騒ぶっそうだ。おれがそこまで一緒いっしょってやろう」
 なんと返事へんじをしたらいいかと、おんなすこ躊躇ちゅうちょしているひまに、元八げんぱちあし近寄ちかよった。かれわかおんなにこすりいてった。
「さあ、おれがおくってやろう。ここらにはわるやつもいる、わるきつねもいる。土地とちものいていねえとどんな間違まちがいがおこるかもれねえ」
 まずこうおどしていて、かれ無理むりおくおおかみになろうとすると、おんなべつこばみもしないで、だまってかれおくられてった。その途中とちゅう元八げんぱちなにれしくはなしかけても、ほとんどだまりつづけているのをると、彼女かのじょがこの不安ふあん親切者しんせつしゃよろこんでいないのは明白めいはくであった。それでも元八げんぱち執拗しつこからいてくうちに、やがて田圃路たんぼみちとおりぬけて、二人ふたりはややひろ往来おうらいた。それをみぎれてさら半町はんちょうほどもくと、元八げんぱちったとおり、路端みちばたちいさい雑木ぞうきもりいだされた。
ねえさん。このもりけたほう近道ちかみちだ」
 かれおんなをつかんで、薄暗うすぐら木立こだちおくもうとすると、おんな無言むごんはらった。元八げんぱちはひきもどして、ふたたびそのつかんだ。
「おい、ねえさん。そんなに強情ごうじょうるもんじゃあねえ。まあ、素直すなおにおれのうことを……」
 その言葉ことばおわらないうちに、かれ襟髪えりがみ何者なにものにかつかまれていた。おどろいてかえるもなく、かれつめたいつちうえひどくけられた。いよいよおどろいたかれは、かおをしかめてきながらあげると、そのまえには虚無僧こむそうすがたのおとこっていた。自分じぶんげたおとこばかりでなく、ほかにもなおひとりの虚無僧こむそうおんなかこうようにっていた。
 相手あいて二人ふたりで、しかもそれが虚無僧こむそうである以上いじょう相当そうとう武芸ぶげい心得こころえがあるかもれないとおもうと、元八げんぱちにわか気怯きおくれがして、かれらに敵対てきたいする気力きりょくもなかった。虚無僧こむそう無言むごんっていたが、天蓋てんがい笠越かさごしにきっとこちらをにらんでいるらしいので、元八げんぱちはいよいよおびえた。かれはからだのどろはらいながら、これも無言むごんですごすごとるのほかはなかった。
 しち八間はっけんほどもかえして、元八げんぱちはそっとかえると、虚無僧こむそうらの姿すがたおんなのすがたも、もうそこらにえなかった。かれらはもりのなかへはいんだらしかった。
「あいつらは道連みちづれかな」と、元八げんぱちちどまってかんがえた。折角せっかくつけてったおんな横合よこあいからうばわれて、おまけにひどくけられて、かれはくやしくてならなかった。勿論もちろん正面しょうめんから手出てだしは出来できないのであるが、さりとてままおめおめとわかれてしまうのもなんだか残念ざんねんである。あのおんな一体何者いったいなにものであるのか、彼女かのじょ虚無僧こむそうらとどういう関係かんけいがあるのか、それをさぐりたいような一種いっしゅ好奇心こうきしん手伝てつだって、元八げんぱちまたそっとあともどりをした。もりっても、木立こだちぎないようなあさもりである。土地とち勝手かってをよくっている元八げんぱちは、つづいてそのもりのなかへんでくと、三人さんにんはもうぬけていた。
あしはややつらだ」
 元八げんぱちあしはやめて、うすぐらもりぬけると、その男二人おとこふたりおんなひとりのうしろかげあかるいつきらされてえた。かれらは神明しんめいやしろのある徳住寺とくじゅうじ方角ほうがくへむかってくらしい。わかおんな虚無僧こむそうとが今頃いまごろどうして神明しんめいやしろまいるのかと、元八げんぱち好奇心こうきしんはますますつのったが、何分なにぶんにもつきのひかりにさまたげられて、かれ三人さんにん近寄ちかよることが出来できなかった。もしさとられたら、またどんなうかもれないというおそれがあるので、かれ半町はんちょうほどの距離きょりいて、かくれにしたってゆくと、三人さんにん途中とちゅうからさら爪先つまさきをかえて、徳住寺とくじゅうじからすこはなれた古寺ふるでら門前もんぜんあしめた。
 てらはかの竜濤寺りゅうとうじであった。