182・半七捕物帳45「三つの声(4)」


朗読「半七45-4.mp3」14 MB、長さ: 約 14分 55秒

 熊蔵くまぞう案内あんないさせて田町たまち鋳掛屋いかけやかけてゆくと、となりはちいさい下駄屋げたやで、そのみせとのさかい一本いっぽんやなぎしげってれているのも、おもいなしかなんとなくさびしくみえた。三十五日さんじゅうごにちぎれば世帯せたいをたたむはずになっているので、みせこそけてあるが商売しょうばいやすみで、小僧こぞう次八じはちがぼんやりと往来おうらいをながめていた。
「おかみさんはいるかえ」と、熊蔵くまぞういた。
おくにいますよ。んできましょうか」
んでくれ」
 手拭てぬぐい着物きものすそをはたきながら、二人ふたりみせさきにこしをおろすと、おくでは針仕事はりしごとでもしていたらしく、すずいたはさみおとがして、むすびがみわか女房にょうぼうがすこしくやつれた青白あおじろかおした。
「この親分おやぶん御用ごようなすったのだから、そのつもりで返事へんじをしねえじゃあいけねえぜ」
 おくに熊蔵くまぞうらなかった。勿論もちろん半七はんしちろうはずはなかった。しかも御用ごようというこえをきいて、かれは神妙しんみょうみせさきにうずくまった。いたずら小僧こぞうらしい次八じはちもおとなしく小膝こひざをついた。
「いや、べつにむずかしい詮議せんぎをするんじゃあねえ」と、半七はんしちはしずかにした。「早速さっそくだが、おかみさん、あのあさ一番いちばんさきにたたいたのはたしかに平七へいしちこえだったな」
「はい。しょうさん、しょうさんとんだだけでしたが、たしかにへいさんのこえでございました」と、おくによどみなくこたえた。
二度目にどめこえはおまえかなかったんだね」
「ついねむってしまいまして……」と、おくにはすこしまりわるそうにこたえた。「この次八じはち返事へんじをいたしたのでございます」
「たしかに親方おやかたこえだったか」と、半七はんしち小僧こぞうかえっていた。
「わたしも半分夢中はんぶんむちゅうでよくわからなかったんですが、どうも親方おやかたのようでした」と、次八じはちった。
三度目さんどめのは藤次郎とうじろうだね」
「はい。このときにはわたくしがきていたのでございます」と、おくにこたえた。
藤次郎とうじろうそとから、おかみさん、おかみさんとんだのかえ」
「はい」
御亭主ごていしゅがいなくなってから、平七へいしち藤次郎とうじろう大層親切たいそうしんせつ世話せわをしてくれるそうだね」
 おくにはすこしかおあかくしてだまっていた。
「こんなことをくのもなんだが」と、半七はんしちわらいながらした。「おまえはどっちかのおとこのところへ再縁さいえんするがあるのかえ」
「いえ、まだ三十五日さんじゅうごにちみませんのですから、そんなことをかんがえたこともございません」と、おくにひくこえった。
「それもそうだが……」と、いかけて半七はんしちにわかにこえひくめた。「おい、あのやなぎのかげにっているのは藤次郎とうじろうじゃあねえか」
 おくにびあがっておもてのぞいたが、やがて無言むごんでうなずいた。それと同時どうじに、藤次郎とうじろうやなぎのかげからそっとろうとしたので、半七はんしちきゅうこえをかけた。
「やい、藤次郎とうじろうて。くまはやくあの野郎やろういてい、がすな」
 熊蔵くまぞうはすぐにみせからして、藤次郎とうじろううでつかむと、かれは案外あんがいにおとなしくられてた。半七はんしちはしばらくそのかおをじっとにらんでいたが、やがてまたにやりとわらった。
藤次郎とうじろう貴様きさまうんのいいやつだな。はは、とぼけたつらをするな。平七へいしち身代みがわりにやって、てめえはすずしいかおをしてましていちゃあ、第一だいいちてんとうさまむめえ。伊豆屋いずや妻吉つまきちはどんな調しらべをしたからねえが、おれの吟味ぎんみはちっとあらっぽいからそうおもえ。と、こうってかせたら、大抵たいていむねにこたえるはずだ。野郎やろうおそったか」
「それはどういう御詮議ごせんぎでございますか」と、藤次郎とうじろうはしずかにこたえた。「平七へいしち一件いっけんならば、このあいだから二度にど三度さんど番屋ばんやばれまして、なにもかももうげたのでございますが……」
伊豆屋いずや伊豆屋いずや、おれはおれだ。三河町みかわちょう半七はんしちべつ調しらべることがあるんだ。やい、藤次郎とうじろう貴様きさま三月二十一日さんがつにじゅういちにちあさ、なんでここのうちたたいた」
大木戸おおきどちあわせる約束やくそくをいたしましたので、そこへってみますとだれもまだりません。しばらくってりましたが、庄五郎しょうごろう平七へいしちえませんので、どうしたのかとおもってねんのためにかえしてまいったのでございます」
「そのときにここのいえまっていたな」
「はい。まっているのでたたきました」
「そうして、おかみさん、おかみさんとんだな」
「はい」
「それ、ろ。馬鹿野郎ばかやろう」と、半七はんしちしかるようにった。「うにちず、かたるにちるとはそのことだぞ」
「なぜでございます」と、藤次郎とうじろう不思議ふしぎそうに相手あいてかおあげた。
「まだわからねえか。よくかんがえてみろ。約束やくそく庄五郎しょうごろうえねえというので、ここのいえたずねにたのなら、なぜ庄五郎しょうごろうばねえ。まず庄五郎しょうごろうんで、それで返事へんじがなかったら女房にょうぼうぶのがあたりめえだ。はじめからおかみさん、おかみさんと以上いじょうは、亭主ていしゅのいねえのを承知しょうち相違そういねえ」
 藤次郎とうじろう顔色かおいろはにわかにかわった。かれはどもりながらなにおうとするのを、さえけるように半七はんしち又云またいった。
亭主ていしゅ貴様きさま片付かたづけてしまったのだから、ここのいえにいるはずがねえ。そこで、貴様きさま女房にょうぼうんだのだ。はは、これだからわるいことは出来できねえ。いや、まだってかせることがある。二度目にどめにここのいえをたたいたのは、貴様きさま冗談じょうだん庄五郎しょうごろう声色こわいろ使つかったのだということだが、そりゃあうそかわで、やっぱり本物ほんもの庄五郎しょうごろうかえしてたに相違そういねえ」
「いえ、それは……」と、藤次郎とうじろうもあわててそうとした。
「まあ、だまってけ。三人さんにんのうち庄五郎しょうごろう一番先いちばんさきって、そのつぎ平七へいしちがここのいえさそいにたのだ。いくらってもだれねえので、庄五郎しょうごろうかえしてたずねにたのだが、まだうすくらいので平七へいしち途中とちゅうちがいになったらしい。それがそもそも間違まちがいのもとで、平七へいしちちくたびれて茶店ちゃみせ葭簀よしずのなかで寝込ねこんでしまった。そこへ貴様きさまたか、庄五郎しょうごろうたか、なにしろ二人ふたりって……。それからさきは、おれよりも貴様きさまほうがよくっているはずだぞ。そうして、しらばっくれてここのいえへたずねてた……。どうだ、おれの天眼鏡てんがんきょうくもりはあるめえ。来年らいねんから大道だいどううらないをはじめるから贔屓ひいきにしてくれ。そこで貴様きさまもまさかに最初さいしょから庄五郎しょうごろうほうむってしまうでもなかったろうが、はなのあいだの葭簀よしずのなかに平七へいしち寝込ねこんでいるともらねえで、そのるのをっているうちに、場所ばしょ海端うみはし、あたりはくらし、まだ人通ひとどおりもすくねえので、ふっとわる料簡りょうけんをおこしたのだろう。可哀かわいそうなのは平七へいしち野郎やろうだ。あのおんな亭主ていしゅけりゃなんて、つまらねえことをったのがっかかりになって、伊豆屋いずやげられたので、貴様きさまはまた悪知恵わるぢえした。庄五郎しょうごろう一旦いったんかえしてたなんてうと、その詮議せんぎがまた面倒めんどうになるとおもって、じつ自分じぶん庄五郎しょうごろう声色こわいろ使つかったのだといい加減かげんたらめをって、なるべくこの一件いっけんらちはやくあけて、つみもねえ平七へいしち人身御供ひとみごくうにあげてしまうつもりだったのだろう。はは、わるやつだ、横着おうちゃくやつだ。だが、かんがえてみると貴様きさま正直者しょうじきものかもれねえ。一体いったい、そんなことはらねえかおをしていてもむことだ。なまじいに余計よけい小刀細工こがたなざいくをするから、かえって貴様きさまにうたがいがかるとはらねえか。さあ、ありがたい和尚様おしょうさまがこれほどのなが引導いんどうわたしてやったのだから、もういい加減かげん往生おうじょうしろ。どうだ」
 藤次郎とうじろうがまがえるのようにみせさきのつちいたまま身動みうごきもしなかった。その顔色かおいろあいのようにめかえられて、ひたいからは膏汗あぶらあせがにじみしていた。
素人しろうとだ。きっかけをけてやらなけりゃあくちがあけめえ」と、半七はんしち熊蔵くまぞうをみかえった。
野郎やろう、しっかりしろ」
 熊蔵くまぞうはいきなり平手ひらて藤次郎とうじろうよこつらっぱたくと、かれはがさめたようにさけんだ。
おそりました」
 かれがなわつきで鋳掛屋いかけやみせさきからてられるころには、四月しがつもさすがにれかかって、うすぐらやなぎのかげから蝙蝠こうもりしそうな時刻じこくになっていた。

 これにいて、半七老人はんしちろうじんはわたしにはなしたことがある。
奉行所ぶぎょうしょ白洲しらす調しらべもそうですが、わたくしども調しらべでも、ぽつりぽつりとしずかに調しらべてくのは禁物きんもつです。しずかにっていると、相手あいてがそのあいだにいろいろのけをかんがえしたりして、吟味ぎんみびていけません。はじめはしずかに調しらべていて、さあという急所きゅうしょになってたら、一気いっきにべらべらとまくしけて、相手あいてにちっともいきをつかせないようにしなければいけません。いきをつかせたらこっちがけです。それですから吟味与力ぎんみよりきおかぴきくちおもひとではつとまりません。与力よりきくちだけだからまだいいが、おかぴきはたらかせなければならない。くち八丁はっちょう八丁はっちょうとはまったくこのことでしょう。
 ところで、相手あいてがこの藤次郎とうじろうなぞのように素人しろうとならば仕事しごと仕易しやすいのですが、相手あいて場数ばかずんでいる玄人くろうと今日こんにちのことばで常習犯じょうしゅうはんのようなやつになると、むこうでもその呼吸こきゅうんでいるので、こっちのことばすことすぐに、そのすきをみて、『おそれながらおそれながら』とちかえしてて、なにかわけらしいことをう。それを一々云いちいちいわせると、吟味ぎんみながびくばかりでなく、しまいにはへん横道よこみちほうまれて、ひどく面倒めんどうなことになってしまうおそれがありますから、相手あいてがなんとおうとも委細いさいかまわずにかぶせかけて、こっちのうだけのことをぐにってしまわなければならない。その呼吸こきゅうがなかなかむずかしいもので、としのわかい不馴ふなれの同心どうしんなどが番屋ばんや罪人ざいにんをしらべるとき相手あいて玄人くろうとだとあべこべにかされて、そばでていてすることがあります。
 それから罪人ざいにんよこつらをなぐったりする。いまからみれば乱暴らんぼうかもれませんが、玄人くろうと度胸どきょうすわっているから、いよいよいけないとおもえば素直すなおおそりますが、素人しろうとにはそれがなかなか出来できない。いえ、強情ごうじょうわないのではない。うことが出来できないのです。それもかるつみならば格別かくべつ、ひとつ間違まちがえば自分じぶんくびぶというような重罪じゅうざい発覚はっかくしたかとおもうと、大抵たいてい素人しろうとはぼうっとなってしまって、はやくいえばさけったようになって、なんにもえなくなってしまうのです。といって、いつまでもだまらせていてはらちがあきませんから、そういうときにはつけのみずませてやるか、さもなければよこつらっぱたいてやるのです。そうすると、めたようになって、はじめておそるというわけです。たといわるいことをしても、むかしの人間にんげんはみな正直しょうじきだから、調しらべるほうでもこんなことをしたのですが、いま人間にんげん度胸どきょうがいいから、こんな世話せわかせるものもありますまいよ」