181・半七捕物帳45「三つの声(3)」


朗読「半七45-3.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 38秒

     三

 それから三日みっかほどあとに、しば愛宕下あたごした湯屋ゆやをしている熊蔵くまぞう神田三河町かんだみかわちょう半七はんしちいえかおした。熊蔵くまぞう半七はんしち子分こぶんであることは読者どくしゃっているはずである。
湯屋熊ゆやくまひさしくえなかったな。かかあでも又寝込またねこんだのか」と、丁度ちょうどひるめしっていた半七はんしちった。
「なに、わっしがぎてすこはらをこわしてね」と、熊蔵くまぞうあたまいていた。「ときに、あの高輪たかなわ一件いっけん、あいつはしいことをしました。わっしもちっとんでいたんですが、いまとおり、からだをわるくしてぐずぐずしているあいだに、伊豆屋いずや妻吉つまきちげられてしまいました」
「むむ、鋳掛屋いかけや一件いっけんか。おれもそのはなしいたが、なんとっても伊豆屋いずや縄張なわばないだから、せんされるのはあたりめえだ」と、いかけて半七はんしちすこしかんがえていた。「だが、じつはまだおれのちねえところがある。おめえはあの一件いっけんをよくっているのか」
「ひととおりはっていますよ」
露月町ろうげつちょう鋳掛屋いかけや平七へいしち、そいつが下手人げしゅにんとしてげられたようだが、白状はくじょうしたのか」
強情ごうじょうやつで、なかなか素直すなおくちをあかねえそうですが、伊豆屋いずや旦那方だんながたもおなじ見込みこみで、もう大番屋おおばんやおくんだということです」
 熊蔵くまぞう説明せつめいによると、平七へいしち如何いか強情ごうじょうっても、かれは無垢むく白地しろじでもどされてそうもないというのである。かれが庄五郎しょうごろう女房にょうぼうくにれていて、あのおんな亭主ていしゅがなければと口走くちばしったのは事実じじつで、それには証人しょうにんもあり、当人自身とうにんじしんみとめている。庄五郎しょうごろうんだあとに、従弟同士いとこどうしとはいいながら、かれがなにからなにまでけて世話せわをしているばかりか、まだ三十五日さんじゅうごにちまないうちにおくに叔母おばをたずねてって、おくにいまから後家ごけとおすわけにもくまいとった。そうして、どうせ再縁さいえんするならば、ごころのれないところへくよりも、いっそ親類しんるい同商売どうしょうばいいえったほうがよかろうなどとった。それからかんがえても、かれがくまでもおくにおもいをかけていることは明白めいはくである。
 当日とうじつあさ庄五郎しょうごろうったあとで、かれがそのかどたたいたのは、その犯跡はんせきくらまそうがためである。じつ庄五郎しょうごろうよりもあしさきにっていて、あとから庄五郎しょうごろうなにかの機会きかいうみとしていて、さらかえしててそのかどたたいて、これからかけてくようによそおったものであろうとみとめられた。その人殺ひとごろしの目的もくてきはいうまでもなく、亭主ていしゅほうむってその女房にょうぼううばおうとするにあることは、あのおんな亭主ていしゅがなければとかれかつ口走くちばしった事実じじつによって、あきらかに証拠立しょうこだてられている。ことにそのあさ、かれは約束やくそく場所ばしょちあわせていないで、あき茶屋ぢゃや葭簀よしずなか寝込ねこんでしまったなどと曖昧あいまいなことをもうてているのも、ますますかれのうたがいをつよめる材料ざいりょうとなった。
 元来がんらいこの事件じけんはさのみ重大じゅうだいにもみとめられず、最初さいしょ検視けんしではたん庄五郎自身しょうごろうじしん過失あやまち海中かいちゅうころんだものとして、至極手軽しごくてがるんでしまったのであるが、ここを縄張なわばりとする伊豆屋いずや一家いっかではそのままに見過みすごさないで、いち子分こぶん妻吉つまきちしゅとして探索たんさくすえに、かの平七へいしちがおくに恋慕れんぼしていて、亭主ていしゅがなければと冗談じょうだんのようにったことをさぐしたのががかりに、だんだんに探索たんさくすすめてつい平七へいしちげるまでにいたったのは、さすがに伊豆屋いずや腕前うでまえであると熊蔵くまぞうった。
 そのはなしをきいて、半七はんしちまたかんがえていた。
「なるほど、それで大抵たいていわかった。そこで、平七へいしち庄五郎しょうごろうころしていて、それからかえして庄五郎しょうごろううちをたたいて、自分じぶんはこれからくようにせかけた……その段取だんどりはわかっているが、けば平七へいしちをたたいてったあとで、亭主ていしゅ庄五郎しょうごろうかえってこえをかけたというじゃあねえか。平七へいしちころしてしまったものならば、そのあとへ庄五郎しょうごろうかえってそうもねえものだ。まさか幽霊ゆうれいでもあるめえ」
「いや、わっしもはじめはそうおもったが、あとでいてみるとまらねえはなしさ」と、熊蔵くまぞうわらいながら、説明せつめいした。
「だんだん調しらべると、それは藤次郎とうじろうというやつ冗談じょうだんだそうですよ」
冗談じょうだんだ……」
「ええ。三人さんにんのなかでは建具職たてぐしょく藤次郎とうじろうというやつ一番いちばんあとからたんです。そいつが冗談半分じょうだんはんぶん庄五郎しょうごろう声色こわいろ使つかって、鋳掛屋いかけやかどをたたくと、女房にょうぼう寝入ねいっていて小僧こぞう返事へんじをした。女房にょうぼうだったならば、なにからかうつもりだったかもれねえが、小僧こぞうじゃ仕方しかたがねえので、藤次郎とうじろうもそのままってしまったんだそうですよ。それは当人とうにん白状はくじょうだから間違まちがいはありますめえ。こんなつまらねえ冗談じょうだんをするやつがあるので、ときどきに探索たんさくもこじれるんですね」
「むむ。そこで、くま面倒めんどうでもその高輪たかなわ一件いっけんをもう一度いちどはじめからすっかりくわしくはなしてくれ」と、半七はんしちった。
「まだちねえことがありますかえ」
 気乗きのりのしないようなかおをして、熊蔵くまぞうがぽつりぽつりはなすのを、半七はんしちうすをとじてだまっていてしまった。
「いや、御苦労ごくろう。おれはこれからすこようがあるから、きょうはもうかえってくれ。ひょっとすると、あしたはおまえいえたずねてくかもれねえから、いえをあけねえでっていてくれ」
「あい。ようがす」
 熊蔵くまぞうかえしたあとで、半七はんしち長火鉢ながひばちまえただひとりすわっていた。最初さいしょ鋳掛屋いかけやをたたいて、「しょうさん、しょうさん」とんだのは、今度こんど下手人げしゅにん目指めざされている平七へいしちこえである。つぎかけをたたいて「へいさんはなかったか」とんだのは、亭主ていしゅ庄五郎しょうごろうこえで、じつ藤次郎とうじろう声色こわいろだというのである。最後さいごたたいて「おかみさん、おかみさん」と、んだのは、藤次郎とうじろうこえである――このみっつのこえについて、半七はんしちはいろいろかんがえさせられた。
「おい、おせん」と、かれはやがて女房にょうぼうんだ。「ちょいとてくるから着物きものしてくれ」
「これから何処どこかけるの」
くまのところまでってくる。あしたと約束やくそくしたのだが、おもいついたらはやほうがいい。このごろはげえから」
 まったくこのごろながい。半七はんしち神田かんだいえたのはもうななツ(午後四時ごごよじ)にちかいころであったが、初夏しょか大空おおぞらはまだ青々あおあおあかるくひかっていた。おもてには金魚きんぎょこえがきこえた。愛宕下あたごしたって熊蔵くまぞう湯屋ゆやをたずねたが、みせはもうきゃくいそがしい刻限こくげんであったので、半七はんしち裏口うらぐちへまわってそっとすと、熊蔵くまぞうはきょろきょろしながらた。
親分おやぶんはやうござんしたね」
「むむ。きゅうおもいついたことが出来できたので、すぐにた。これから田町たまち案内あんないしてくれ」
庄五郎しょうごろううちですかえ」と、熊蔵くまぞうはいよいよをひからせた。「親分おやぶん。なにかあたりがあるんですかえ」
「まあ、ってみなけりゃあわからねえ」