164・宮本武蔵「風の巻」「枯野見(11)(12)」


朗読「163風の巻6.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 44秒

十一

 ――った。
 武蔵むさしは、こころのうちで、自分じぶん凱歌がいかをあげてみる。
(――吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうに、おれはった。室町以来むろまちいらい京流きょうりゅう宗家そうけ、あの名門めいもんを、おれはたおした)
 だが、かれこころは、すこしもよろこんではこないのである。かれは、俯向うつむきがちに、あるいていた。
 ぴゅっ――と、ひくかすめてゆく小禽ことりかげが、さかなのようにはらせてゆく。やわらかい枯草かれくさ枯葉かれはなかに、一足一足ひとあしひとあししずむようにしてあるいていた。
 ったあとのさびしさ――というのは、かしこひとたちの世俗的せぞくてき感傷かんしょうである。修行中しゅぎょうちゅう兵法者へいほうしゃにはない言葉ことばだ。けれど武蔵むさしは、たまらないさびしさにつつまれて、てなきひとりあるいている。
(……?)
 ふとかれ振向ふりむいてみた。
 清十郎せいじゅうろう出会であった蓮台寺野れんだいじのおかまつが、ひょろりと彼方かなたえる。
二太刀ふたたちとはたなかった。生命いのちにかかわるようなことはあるまいとおもうが)
 かれは、そこへててきたてき容態ようだいをふとあんじた。げている木剣ぼっけんあらためてたが、木剣ぼっけんにははついていない。
 今朝けさ――この木剣ぼっけんびて場所ばしょるまでは、てきにはさだめし大勢おおぜい介添かいぞえもついていようし、わるくすれば、卑怯ひきょう計画はかりごともあろうにと、死所ししょ覚悟かくごはもちろんのこと、がおのわるくないよう、しろしおでみがき、かみまであらって出向でむいたものだった。
 そこで、とう相手あいて清十郎せいじゅうろう出会であってみると武蔵むさしは、自分じぶん想像そうぞうしていた人物じんぶつとは、まったくちがった人間にんげんのようにおもわれて、
(これが、拳法けんぽうだろうか)とうたがった。
 武蔵むさしうつった清十郎せいじゅうろうは、京流第一きょうりゅうだいいち兵法者へいほうしゃとはどうしてもえない――いわば都会的とかいてきせんのほそい公達きんだちだった。
 ひとりの奉公人ほうこうにんれてているほか、介添かいぞえ助太刀すけだちもいないらしいのである。おたがいに名乗なのって途端とたんに、武蔵むさしは、
(これは、やる試合しあいでなかった)
 と、むねのうちでいた。
 武蔵むさしが、もとめているのは、つね自分以上じぶんいじょうのものだった。しかるにいま、このてき正視せいしすると、一年いちねんうでをみがいてうほどのてきでなかったことが一目ひとめてとれたのである。
 そのうえに、清十郎せいじゅうろうひとみには、まったく自信じしんがなかった。どんな未熟みじゅく相手あいてにもたたかうとなれば、猛烈もうれつ自尊心じそんしんはあるものだが、清十郎せいじゅうろうには、ばかりでなく、全身ぜんしん生気せいきえていないのだ。
(なぜ今朝けさ、ここへたのか、こんな自信じしんがない心構こころがまえで――。むしろ、破約はやくしたがよかろうに)
 そうおもってみると、武蔵むさしは、てき清十郎せいじゅうろうがあわれになった。かれは、それの出来できない名門めいもんである。ちちからけついだ千人以上せんにんいじょう門下もんかうえに、あおがれてはいるが、それは、先代せんだい遺産いさんであって、かれ実力じつりょくではなかった。
 ――なんとか、口実こうじつつくって木剣ぼっけんをひいたほうが相互そうごのためだと武蔵むさしかんがえた。しかし、その機会きかいはなかった。
「……どくなことをした」
 武蔵むさしは、もいちど、ひょろながまつえているつか振向ふりむいて、清十郎せいじゅうろうのために、自分じぶんあたえた木剣ぼっけん傷手いたでが、はやくえてくれればよいがと、こころのなかでいのった。

十二

 いずれにしろ、今日きょうことおわったのだ。ったにせよ、けたにせよ、あとまでっているのは兵法者へいほうしゃらしくないことだ、未練みれんというものである。
 ――そうづいて、武蔵むさしあしはやめだしたときであった。
 この枯野かれのに、なにをさがしているのか、くさむらのなかにうずくまって、つちけていた老媼おうなが、かれ跫音あしおとにふとかおをあげ、
「オ、ほ? ……」
 おどろいたようなをみはった。
 枯草かれくさおなじようなうす無地むじ着物きものをその老媼おうなていた。綿わたのふっくらはいっている胴衣どうぎひもだけが紫色むらさきいろなのである。俗服ぞくふくてはいるが、まるつむりには頭巾ずきんをかぶり、としもはや七十頃しちじゅうころであろう、どことなく上品じょうひんがらなあまさんなのだった。
「……?」
 武蔵むさしじつはびっくりしたらしかった。みちもないくさむらだし、まるで野面のづらおなじようないろをしているこの年老としとったあまさんのからだを、もすこしうっかりしていたら、あぶなくみつけたかもれないからである。
「……おばあさん、なにをっているんですか」
 人懐ひとなつかしい武蔵むさし気持きもちだったのである。こう、かれはやさしいことばのつもりではなしかけた。
「…………」
 老尼ろうには、そこへかがみこんだ、武蔵むさしかおてふるえていた。
 南天なんてんつらねたような珊瑚さんご数珠ずず袖口そでぐちにちらとえる。そして、そのには、くさきわけてさがした、まだわか嫁菜よめなだの、ふきだの、いろいろな菜根さいこん小笊こざるなかみこまれてたれていた。
 その指先ゆびさきも、そのあか数珠じゅずも、かすかにわなないているので、武蔵むさしはこのあまさんがなにをそんなに恐怖きょうふしているのかをあやしんだ。――で、かれは、あまさんが自分じぶん野伏のぶせりの追剥おいはぎとでも誤解ごかいしているのではなかろうかとおもい、
「オオ、もうそんなにあおていますか、はるだからなあ、せりれていますね、すずも、母子草ははこぐさも、ああ、くさですね、おばあさん」
 ことさらにしたしみをせ、そばへって、小笊こざるなかあおいものをのぞきかけると、老尼ろうには、愕然がくぜん小笊こざるをそこへてて、
「――光悦こうえつや」
 だれかをびながら、彼方あなたけてしまった。
「…………」
 武蔵むさしは、あっけにとられたように、老尼ろうにちいさいからださきていた。
 ただれば、ひらたい野面のづらにすぎないが、ひらたいなかにもゆるい起伏きふくがある。老尼ろうに姿すがたが、そのわずかにひくかげになった。
 ひとんだところからかんがえると、そこにはだれか、老尼ろうにれがいるにちがいない。そういえば、かすかなけむりがそのへんからただよっている。
「せっかく、あの老尼ろうに丹精たんせいしてんだものを……」
 武蔵むさしは、そこらへこぼれたあお種々くさぐさのものを、小笊こざるなかひろいあつめた。そして、自分じぶんくまでやさしいこころしめすつもりで、その小笊こざるって、老尼ろうにあとからあるいてった。
 老尼ろうにのすがたは、またすぐることができた。一人ひとりではない――ほかに二人ふたりれのものがいた。
 その三人さんにん一家族ひとかぞくものとみえ、北風きたかぜけるために、ゆるい傾斜けいしゃかげえらび、なたに毛氈もうせんいて、そこへちゃ道具どうぐだの、水挿みずさしだのまた、かまなどもかけ、青空あおぞら大地だいち茶室ちゃしつとして、自然しぜんのながめをにわとしながら、風流ふうりゅうあそんでいるのだった。