18・宮本武蔵「地の巻」「孫子(4)(5)」


朗読「地の巻18.mp3」23 MB、長さ: 約10分00秒

 方丈ほうじょうきゃくは、やがておつうえたもので、がりかけていたかんむりもややなおり、えつって、酒杯さかずきもかさね、あからがおひげ対立たいりつして、じりもおもむろにがってた。
 しかしまだほんとのご機嫌きげんになりきれないものがある。それは燭台しょくだいむこがわによけいな人間にんげん一人ひとりいて、ぺたんと盲人もうじんのように猫背ねこぜすわり、ひざつくえ書物しょもつんでいるからである。
 沢庵たくあんなのだ。どじょうひげ大将たいしょうは、このてら納所なっしょおもっているらしく、ついに、
「オイ、こら」
 と、あごしていった。しかし沢庵たくあんかおげようともしないので、おつうがそっと注意ちゅういすると、
「え。わしを?」
 まわすのを――どじょうひげは、おおふうに、
「コラ納所なっしょ。そのほうには用事ようじもない。退がっておれ」
「イエ、結構けっこうでございます」
さけのそばで、書物しょもつなどんでいられては、さけ不味まずくていかん。てっ」
書物しょもつはもうせました」
ざわりじゃ!」
「では、おつうさん、書物しょもつ部屋へやそとしておくれ」
書物しょもつがではない、そのほうというものが、さけに、不景色ふけいきでいかんというのだ」
こまりましたな。悟空尊者ごくうそんじゃのように、けむりになったり、むしけて、ぜんのすみにまっているわけにもゆかず……」
退がらんかっ! ぶ、ぶれいやつだ」
 ついに、おこすと、
「はい」
 と、一応いちおうかしこまって、沢庵たくあんはおつうった。
「お客様きゃくさまは、ひとりがきだとおおせられる。孤独こどくあいす、それ君子くんし心境しんきょうだ。……さ、お邪魔じゃましてはわるい、あちらへ退がろう」
「こッ、こらっ」
なんですか」
「だれが、おつうまで、れて退がれともうしたか。自体じたい、そのほう平常へいじょうから傲慢ごうまんにくやつだ」
坊主ぼうず武士さむらい可愛かわいらしいやつというようなのは、まあすくのうございますなあ。――たとえば、あなたのひげごときも」
なおれっ! それへ」
 とこてかけてある陣刀じんとうをのばした。そしてどじょうひげが、ピンとがったのを、沢庵たくあんは、まじまじとつめて、
なおれとは、どういうかたちになるのですか」
「いよいよ、しからぬ納所なっしょめ。成敗せいばいいたしてくれる」
「では、拙僧せっそうくびをですか。……あはははは、およしなさい、つまらない」
なんじゃと」
坊主ぼうずくびるほど張合はりあいのないものはない、どうはなれたくびが、ニコとわらっていたりしたら、ぞんでしょう」
「オオ、どうはなれたくびで、そうかしてみいッ」
「しかし――」
 沢庵たくあん饒舌にょうぜつは、かれおこらすばかりだった。太刀たちつかにかかっているこぶしは、いきどおりにガタガタふるえていた。おつうをもって沢庵たくあんかばいながら、沢庵たくあん弄舌ろうぜつ声出ごえだしてたしなめた。
なにをいうのです沢庵たくあんさん、お武士さむらいさまむかって、そんなくちをきくひとがありますか。あやまりなさい、後生ごしょうですから、あやまっておしまいなさい。られたら、どうしますか」
 だが、沢庵たくあんはまだいった。
「おつうさんこそ退いておいで。――なアに大丈夫だいじょうぶおおくの人数にんずうかかえながら、二十日はつかついやして、いまだにひとりの武蔵たけぞう成敗せいばいできないのうなしに、なん沢庵たくあんくびれよう。れたらおかしい。余程よほどおかしい」

「ウヌ、うごくなっ」
 どじょうひげは、満顔まんがんしゅをそそいで、太刀たち鯉口こいぐちった。
「おつう退いとれ、くちからさきうまれたこの納所なっしょめを、真二まっぷたツにしてくれねばならん」
 おつうは、沢庵たくあんうしろにかばい、かれあしもとへして、
「お腹立はらだちでもございましょうが、どうぞ堪忍かんにんしてあげてください。このひとは、だれむかってもこんなくちをきくのです。けっしてあなたさまばかりへ、こういうぐちをいうのではございません」
 すると沢庵たくあんが、
「これ、おつうさんなにをいう。わしはぐちをいっているのではない。真実しんじつをいっているのだ。のうなしだからのうなし武士ざむらいといった。それがわるいか」
「まだもうすな」
「いくらでももうす。さきごろからさわいでいる武蔵たけぞう山狩やまがりなど、お武士さむらいには、幾日いくにちかかろうとかまうまいが、農家のうかはよい迷惑めいわく畑仕事はたけしごとをすてて、毎日まいにち賃銀ちんぎんなしのただ仕事しごとされては、小作こさくなど、あごあがる」
「ヤイ納所なっしょ、おのれ坊主ぼうず分際ぶんざいをもって、御政道ごせいどう誹謗ひぼうしたな」
御政道ごせいどうをではない――領主りょうしゅたみあいだ介在かいざいして、禄盗ろくぬすみも同様どうよう奉公ほうこうぶりをしている役人根性やくにんこんじょうへわしはいうのだ。――たとえばじゃ、おぬしは今宵こよいなんんずるところがあって、この方丈ほうじょう便々べんべん長袖ながそであがりの一杯いっぱいなどと、美女びじょ寝酒ねざけしゃくをさせているか。どこに、だれに、その特権とっけんをゆるされてござるのか」
「…………」
領主りょうしゅつかえてちゅうたみせっしてじん、それが本分ほんぶんではないか。しかるに、農事のうじさまたげを無視むしし、部下ぶか辛苦しんくおもいやらず、われのみ、公務こうむ出先でさきかんをぬすみ、酒肉しゅにくあさり、君威くんい民力みんりょくらすなどとは悪吏あくり典型的てんけいてきなるものじゃ」
「…………」
「わしのくびって、おまえの主人しゅじん姫路ひめじ城主池田輝政殿じょうしゅいけだてるまさどのまえってってごらんじゃい、輝政てるまさ大人うしは、オヤ沢庵たくあん今日きょうくびだけでおしかとおどろくじゃろう。輝政殿てるまさどのとわしとは、妙心寺みょうしんじ茶会ちゃかいからの懇意こんい大坂おおさかおもてでも、大徳寺だいとくじでも、度々たびたびにかかっているんだよ」
 ――どじょうひげは、どくかれたかたちである、いもいささか気味ぎみになってたし、沢庵たくあんのことばのたしてまことうそかについても、ただしい判断はんだんくだないでいる姿すがただった。
「まず、すわるがいい」
 と沢庵たくあんは、すくいをあたえて、
「うそとおもうなら、これから、蕎麦粉そばこでも土産みやげって、姫路城ひめじじょう輝政殿てるまさどのを、ぶらりと、たずねてってもよろしい。――だがわしは、大名だいみょうもんをたたくのが、なによりきらい。……それに、宮本村みやもとむらでこうこうとおまえうわさでもちゃばなしにたら、早速さっそく切腹せっぷくものじゃないかな、だから、最初さいしょから、およしというたのに、武士さむらいは、後先あとさきかんがえがないからいかん。武士さむらい短所たんしょは、じつにそこにある」
「…………」
かたなを、とこへおかえし。それから、もうひと文句もんくがある。孫子そんしんだことがあるかい? 兵法へいほうしょだ、武士さむらいたるもの孫子そんし呉子ごしらんはずはあるまい。――それについてな、宮本村みやもとむら武蔵たけぞうを、どうしたら、へいそんぜずに、かられるか、その講義こうぎをこれからわしがしようというのじゃ。これや、貴公きこう天職てんしょくかんするな、つつしんでかずばなるまいて。……まあ、おすわり、おつうさん、一杯いっぱいなおしてやんなさい」