17・宮本武蔵「地の巻」「孫子(2)(3)」


朗読「地の巻17.mp3」21 MB、長さ: 約9分17秒

沢庵たくあんは、本堂ほんどうまえで、いぬあそんでいた。
つうが、いぬけてはしってくのをて、
「おつうさん、飛脚ひきゃくとどいているよ」
「え……わたしに」
留守るすだったから、あずかっていた」
たもとからそれをして、彼女かのじょわたしながら、
かおいろがわるいが、どうかしたのか」
みちばたで、死人しにんましたから、きゅうにいやな気持きもちになって――」
「そんなものなければいいに。……だが、をふさぎみちをよけても、いまなかでは、いたるところに、死人しにんころがっているのだからこまるな。このむらだけは、浄土じょうどだとおもっていたが」
武蔵たけぞうさんは、なぜあんなに、ひところすんでしょう」
さきころさなければ、自分じぶんころされる。――ころされるわけもないのに、無駄むだぬこともない」
こわい! ……」
戦慄せんりつして、かたをすぼめ、
「ここへたら、どうしましょう」
やまにはまた、うすぐろ綿雲わたぐもりていた。おつう無自覚むじかく手紙てがみって、庫裡くりよこにある機舎はたやへかくれた。
りかけてある男物おとこもの布地ぬのじが、はたにかけられてあった。
あさゆう思慕しぼいとつむめて、やがて許婚いいなずけ又八またはち帰国きこくしたら――あのひとてもらおう――そうたのしんで去年きょねんからすこしずつっていたものだった。
おさまえへ、こしかけて、
「……だれからだろう?」
飛脚ひきゃくふみ見直みなおした。
孤児みなしご自分じぶんには、便たよりをくれるひともなし、便たよりをひともない。なにひとまちがいのようなもされて、彼女かのじょは、何度なんど宛名書あてながきを見直みなおすのだった。
なが駅伝えきでんとおってきたらしく、飛脚文ひきゃくぶみずれやあめじみでボロボロになっていた。ふういてみると、二本にほん手紙てがみなかからこぼれた、まず一通いっつうさきけてる。
それはまったく見覚みおぼえのない女文字おんなもじで、やや年長としたけたひとふでらしく――

べつのふみ、ごらんなされそうろうわば、多言たごんにはおよぶまじとおもわれそうろうえど、あかしのため、わたしよりもしたためまいらせそうろう
又八またはちどの、此度このたび御縁ごえんそうろうて、当方とうほう養子ようしにもらいうけそうろういては、おん前様まえさまのこと、懸念けねんのようにみえそうろうまま、左候さそうろうては、ゆくすえ双方そうほう不為故ふためゆえ事理ことわけおあかしもうそうろうて、おもらい申候もうしそうろうなにとぞ、以後いご又八またはちどののことわすれくだされたくまずようにまで一筆いっぴつしめしまいらせもうしそろ。かしこ。

こう
つうさま

もう一通いっつう書状しょじょうは、まさしく本位田又八ほんいでんまたはち手蹟しゅせきなのである。それにはくどくどと帰国きこくできない事情じじょうつらねてある。
つまるところ自分じぶんのことはあきらめて、ほかとついでくれというのだった。実家じっかははへは、自分じぶんからは手紙てがみにもきにくいから、他国たこくきているということだけを、ったときに、げておいてくれなどともしたためてある。
「…………」
つうは、あたまのしんが、こおりのようになるのをおぼえた。なみだない。おののきながらかみはしささえているゆびつめが、先刻さっき使つかいの途中とちゅう死人しにんつめと、おなじようないろえた。

部下ぶかのすべては、やま日夜にちや奔命ほんめいつかれていたが、どじょうひげ大将たいしょうは、本陣ほんじんてらをむしろ安息所あんそくじょともして、悠々ゆうゆうとまりこんでいるため、てらでは夕方ゆうがたになると風呂ふろをわかすとか、川魚かわざかなくとか、さけ民家みんかからさがしてるとか、毎晩まいばんのもてなしもなかなかづかいであった。
そのせわしない夕暮ゆうぐれになっても、おつうのすがたがくりやえないので、きょうは、方丈ほうじょうきゃくぜんすのがおそくなった。
沢庵たくあんは、迷子まいごさがすように、おつうびながら、境内けいだいあるいていたが、機舎はたやなかには、おさおともしないし、まっているので、何度なんどもそのまえとおりながら、けてみなかった。
住職じゅうしょくは、時々ときどき橋廊架はしろうかて――
「おつうは、どうしたっ?」
とわめいている。
「おらんはずはないわ。酌人しゃくにんえいでは、さけにはおよばぬと、お客様きゃくさまはおっしゃるではないか。はようさがしてうっ」
寺男てらおとこはとうとうふもとのほうまで、提燈ちょうちんをもってりてった。
沢庵たくあんは、ふと、機舎はたやけてみた。
つうはいた。はたうえへ、していたのである。くらいなかに、ただひと寂寞じゃくまくいだきしめて。
「? ……」
沢庵たくあんは、まじきものをたように、しばらくだまっていた。彼女かのじょあしもとには、おそろしいちからった二通につう手紙てがみが、呪咀のろい人形にんぎょうのようにみつけてあった。
そっと沢庵たくあんは、ひろって、
「おつうさん、これは昼間来ひるまき飛脚文ひきゃくぶみじゃないか、しまっておいたらどうだ」
「…………」
つうは、にもれない。かすかにかおるだけであった。
「みんなが、さがしているのだ。さ……がすすまないだろうが、方丈ほうじょうへおしゃくっておやり、住持じゅうじよわっているらしい」
「……あたまいたいんです。……沢庵たくあんさん……今夜こんやだけはかなくてもよいでしょう」
「わしは、いつだって、さけしゃくなどに、其女そなたるのをよいことだとはおもうていない。しかし、ここの住持じゅうじ世間人せけんにんだ、見識けんしきをもって、領主りょうしゅたいし、てら尊厳そんげん維持いじしてゆくちからなどはないひとだからな。――ご馳走ちそうもせねばならんじゃろうし、どじょうひげ機嫌きげんもとらずばなるまいて」
と、おつうでて、
其女そなたも、幼少ようしょうから、此寺ここ和尚おしょうには、そだてられてひと。こういうときには、住持じゅうじ手伝てつだいになってやれ。……よいか。ちょっと、かおせばよいのだ」
「え……」
「さ、こう」
おこすと、なみだれたにおいのなかから、おつうは、ようやくかおげて、
沢庵たくあんさん……じゃあまいりますから、すみませんが、あなたも一緒いっしょ方丈ほうじょうにいてくれませんか」
「それやあかまわないが、あのどじょうひげ武士さむらいは、わしがきらいらしいし、わしも、あのひげると、なにか、揶揄からかいたくなっていかんのじゃ。大人気おとなげないが、そういう人間にんげんがままあるもんでな」
「でも、わたし一人ひとりでは」
住持じゅうじがいるからよいではないか」
和尚おすさまは、わたしがゆくと、いつもせきはずしておしまいなさるのです」
「それは不安ふあんだ。……よしよし、一緒いっしょってやろう。あんじないではやく、お化粧つくりをしておいで」