14・宮本武蔵「地の巻」「茨(1)(2)」


朗読「地の巻14.mp3」22 MB、長さ: 約9分31秒

いばら

 つちくさ大地だいちわかおんなのようなあついきをしている、むしむしとかおあせからも陽炎かげろうちそうである。そして、ひそりとしたはる昼中ひるなか
 武蔵たけぞうはひとりあるいていた。自己じこ対象たいしょうとなる何物なにものもないやまなかを、いらいらしたつきをち、れい黒樫くろがし木剣ぼっけんつえってである。かれはひどくつかれているらしかった。とりんでも、すぐするどひとみがそれにうごく。動物的どうぶつてき官能かんのう猛気もうきが、どろつゆよごてた全身ぜんしんみなぎっていた。
畜生ちくしょうっ……」
 だれにとはなく、こうのろいをつぶやくと、やりのないいきどおりが、ふいに木剣ぼっけんをうならせて、
「えいッ!」
 ふと生木なまきみきを、パッとった。
 からしろ樹乳ちちがながれた、ははちちおもいだしたか、じっとそそいでいた。ははのいない故郷ふるさとは、やまかわもたださびしかった。
「おれを、このむらものは、なんでかたきにするんだ。――おれの姿すがたれば、すぐやま関所せきしょぐちするし、おれのかげれば、おおかみ出会であったようにこそこそげてしまう……」
 かれは、この讃甘さぬもやまに、きょうで四日よっかかくれていた。
 ひるがすみのあなたには、先祖以来せんぞいらいの――そして孤独こどくあねがいるやしきのぞまれるし、すぐふもとなかには七宝寺しっぽうじ屋根やねがしずかにしずんでえる――
 だが、そのどっちへも、かれちかづきないのである。灌仏会かんぶつえに、ひとごみにまぎれて、おつうかおったが、おつうが、おおきなこえ自分じぶん群衆ぐんしゅうなかでよんだので、発見はっけんされたら、彼女かのじょへもわざわいいがかかるし、自分じぶんも、つかまってはならぬとおもって、あわてて姿すがたくらましてしまった。
 ばんになって、あねのいるやしきへもそっとたずねてったが、折悪おりわる又八またはちははていた。又八またはちのことをかれたらなんといおう、自分じぶんだけがかえってて、あの老母としよりなんびようかなどと、そとにたたずんだまま、あねのすがたを隙間すきまからのぞきしてまどっているうちに、んでいた姫路城ひめじじょう武士さむらいたちにつかってしまい、言葉ことばもひとつわさぬうち、あねやしきからも退かなければならなかった。
 それ以来いらいは、この讃甘さぬもやまからていると姫路ひめじ武士さむらいたちが、自分じぶんまわりそうなみちを、血眼ちまなこになってさがあるいている様子ようすだし、むらもの結束けっそくして、毎日まいにち、あのやまこのやまと、山狩やまがりをして自分じぶんつかまえようとしているらしくおもわれる。
「……おつうさんだって、おれを、どうかんがえているか?」
 武蔵たけぞうは、彼女かのじょにさえも、疑心暗鬼ぎしんあんきはじめた、故郷ふるさとのあらゆる人間にんげんが、てきとなって、自分じぶん四方しほうふさいでいるようにうたがわれてるのだった。
「おつうさんには、又八またはちがこういう理由わけかえらなくなったのだと、ほんとのことは、いいにくい。……そうだ、やっぱり又八またはちのおふくろにってげよう。それさえはたせば、こんなむらに、だれがいてやるか」
 武蔵たけぞうはらをきめて、あゆみかけたが、あかるいうちはさとられなかった。小石こいしをつぶてにして、小鳥ことりねらちにおとし、すぐをむしって、その生温なまあたたかいにくいては、なまのままむしゃむしゃとべてあるいていた。
 すると、
「あっ……」
 出会であいがしらのことである。だれか、かれのすがたをるとともに、あいだへあわててげこんだものがある。武蔵たけぞうは、理由りゆうなく自分じぶんきら人間にんげんに、ッとしたらしく、
てッ」
 ひょうのようにびついた。

 よくこのやま往来おうらいする炭焼すみやきなのだ。武蔵たけぞうはこのおとこかお見知みしっている、えりがみをつかんでひきもどしながらいった。
「やいっ、なぜげる? おれはな、わすれたか、宮本村みやもとむら新免武蔵しんめんたけぞうだぞ、なにも、っておうといいはしない。挨拶あいさつもせず、ひと顔見かおみて、いきなりげいでもよかろう」
「へ、へい」
すわれ」
 はなすと、またげかけるので、今度こんどは、弱腰よわごしとばして、木剣ぼっけんなぐるまねをすると、
「わっッ」
 あたまをかかえて、おとこはうッした、そのままこしをぬかしたように戦慄せんりつして、
「た、たすけてッ」
 と、わめいた。
 むらものが、なんのために、自分じぶんをこんなに恐怖きょうふするのか、武蔵たけぞうにはわからなかった。
「これ、おれくことに、返辞へんじをせい、よいか」
「なんでも、もうしますだが、生命いのちだけは」
だれ生命いのちをとるといったか。ふもとには、討手うってがいるだろうな」
「へい」
七宝寺しっぽうじにも、りこんでいるか」
「おりますだ」
むらやつら、きょうも、おれつかまえようとして、山狩やまがりているか」
「…………」
おのれも、その一人ひとりだな」
 おとこは、びあがって、くびった。
「うんにゃ、うんにゃ」
て」
 そのくびをつまんで、
姉上あねうえは、どうしているか」
「どッちゃの?」
おれ姉上あねうえ――新免家しんめんけのおぎんねえだ、むらやつら、姫路ひめじ役人やくにんりたてられて、おれうのはぜひもないが、よもや姉上あねうえのおを、めはしまいな」
らん、おら、なにらんで」
「こいつ」
 木剣ぼっけんを、りかぶって、
あやしいもののいいりをする。なにかあったな、ぬかさぬと、あたまはちを、これでくだくぞ」
「あっ、ってくれ。いうがな、いうがな」
 炭焼すみやきは、をあわせた。そして、おぎんつかまってったこと、また、むらへは布令ふれがまわって、武蔵たけぞう食物たべものあたえたものや、武蔵たけぞう寝小屋ねごやしたものは、すべて同罪どうざいであるというたっしとともに、一戸いっこから一人ひとりずつ隔日かくじつわかもの徴発ちょうはつされて、毎日まいにち姫路ひめじ武士さむらい先頭せんとうにして、山狩やまがりをしていることなどげた。
 武蔵たけぞう皮膚ひふは、憤怒ふんぬのため鳥肌とりはだになった。
「ほんとか!」
 ねんして――
姉上あねうえなんつみがあって!」
 と、になったをうるませた。
「わしら、なにらん、わしらはただ、御領主ごりょうしゅおそろしいで」
何処どこだ、姉上あねうえつかまってったさきは。――その牢屋ろうやは」
日名倉ひなぐら木戸きどだと、むらしゅうはうわさしていただが」
日名倉ひなぐら――」
 国境こっきょうやませんを、のろいにみちたひとみがじっとあおいだ、もうそのあたりの中国山脈ちゅうごくさんみゃく脊柱せきちゅう灰色はいいろ夕雲ゆうぐもに、まだらになってくろずんでいた。
「よしっ、もらいにゆくぞ、姉上あねうえを……」
 つぶやきながら、武蔵たけぞう木剣ぼっけんつえについて、水音みずおとのする沢辺さわべほうへ、一人ひとりでガサガサとりてった。