153・宮本武蔵「火の巻」「微笑(1)(2)」


朗読「153火の巻65.mp3」15 MB、長さ: 約 10分 58秒

微笑びしょう

 朱実あけみであった。
 彼女かのじょかみには、元日がんじつ化粧よそおいもなかった。着物きものもみだれ、あしはだしなのである。
「……あっ?」
 をみはって、武蔵むさしは、意味いみなくそうさけんだが、さて、だれなのか、おぼえはあるが、きゅうにはおもせなかった。
 朱実あけみは、そうでなかった。自分じぶんほどではなくても、その何分なんぶんいちでも、武蔵むさし自分じぶんかんがえていてくれたこととしんじている。いつのにか、多年たねんあいだにそう自分じぶんだけでしんじてている。
「わたしです……さん……いいえ武蔵様むさしさま
 下着したぎそでいたあか小布こぎれにしながら――怖々こわごわって、
「……を、どうかなすったんですか。でこすると、なおわるくするでしょう。これでおきなさいませ」
 武蔵むさしだまって好意こういをうけた。あかきれ片眼かためおさえると、また、朱実あけみかおをしげしげ見直みなおした。
「おわすれですの?」
「…………」
「わたしを」
「…………」
「わたしを」
 手応てごたえのない相手あいて無表情むひょうじょううつろへむかって、彼女かのじょ押詰おしつめて切実せつじつ気持きもち不意ふいなよろめきをかんじた。きずだらけになったたましいにも、これだけはしかとつかんでいたつもりだったものも、自分じぶんだけでつくっていた幻像げんぞうぎなかったことを、ふとさとると、胸先むなさきへ、のかたまりのようなものがこみげてて、
 しゅくっ……
 とくちびるはなから嗚咽おえつを、両手りょうてでおおって、かたをふるわせた。
「オオ……」
 おもしたのである。
 武蔵むさしは、彼女かのじょいま一瞬いっしゅん姿すがた記憶きおくをよびおこした。その姿すがたにはまだ、伊吹いぶきふもとたもとすずらしていたころの、世間せけんきずつかない処女おとめらしさがのこっていたからであろう。
 いきなり、たくまましいうでが、彼女かのじょ病後びょうごのようなうすかたきしめた。
朱実あけみさんじゃないか。――そうだ、朱実あけみさんだ。……どうしてこんなところへたのか。……どうして? どうして?」
 たたみかけていう武蔵むさしといは、よけいに彼女かのじょのかなしみをすぶった。
「もう、伊吹いぶきうちにはいないのか、お養母かあさんはどうしている?」
 おこうのことをたずねると、武蔵むさし当然とうぜん、おこう又八またはち関係かんけいおもおよび、
いま又八またはち一緒いっしょんでいるのか。――じつ今朝けさここへ又八またはちるはずになっているのだが、おまえがかわりにたわけではあるまいな」
 すべてが朱実あけみこころれてゆく言葉ことばのみであった。
 武蔵むさしうでなかで、朱実あけみはただかおよこっていていた。
又八またはちないのか。……一体いったいどういうわけだ。わけをいえ、ただいているだけではわからないではないか」
「……ません。……又八またはちさんは、あの言伝ことづてをいていないから、ここへはません」
 やっと、それだけをいって、朱実あけみれたかおを、武蔵むさしむねてたまま痙攣けいれんしていた。
 こういおう、ああいおう、とかんがえていたことはみなあわのように、あつのなかで明滅めいめつしているにぎない。――まして、養母ははでむごい運命うんめいきのめされた――あの住吉すみよしうらから今日きょういたるまでのことなどは、どうしてもくちなかった。
 もうはしうえには、うららかな初日影はつひかげびて、清水きよみず初詣はつまいりにゆく初春着はるぎおんなたちや、廻礼かいれいにあるく素袍すおう直垂衣ひたたれ人影ひとかげが、ちらほらとおっていた。
 そのなかから、ひょっこり、としくれ正月しょうがつもない、あたまの城太郎じょうたろう姿すがたせた。はしなかほどまでて、武蔵むさし朱実あけみのすがたを彼方かなたつけ、
「あれ? ……おつうさんかとおもったら、おつうさんじゃないらしいぞ」
 あやしい男女だんじょ行為こういでもたように、城太郎じょうたろうへんかおしてあしめた。

 おりふしだれているものがないからいいようなものの、往来おうらいはしで、むねむねせてじっとっているなんて――大人おとなのくせに――おとこおんなのくせに――と、城太郎じょうたろうはびっくりせずにいられない。
 しかも、尊敬そんけいしているお師匠ししょうさまが。
 おんなおんなだとおもう。
 かれ童心どうしんは、わけもなくたか動悸どうきち、ねたましいもするし、かなしいもする。――なにかこう焦々いらいらはらって、いしでもひろってつけてやろうかとさえおもった。
「なんだ、あのやつは、いつか又八またはちっていうひとへ、お師匠様ししょうさま言伝ことづててをたのんだ朱実あけみじゃないか。お茶屋ちゃやむすめだからているんだな。いつのまにかお師匠様ししょうさまとあんなになかよくなったんだろ。お師匠様ししょうさまもお師匠様ししょうさまだ。……おつうさんにいいつけてやろ」
 そこから往来おうらい彼方此方かなたこなたまわす。欄干らんかんからはししたのぞいてる。――だが、おつう姿すがたは、まだここに見当みあたらない。
「どうしたんだろ?」
 先頃さきごろからとまっている烏丸家からすまるけ邸内ていないたのは、おつうのほうがさきかけているのである。
 おつう今朝けさ武蔵むさしとここであえるのを確信かくしんしているので、年暮くれのうちに、烏丸家からすまるけおくからいただいたという初春はる小袖こそで、ゆうべはかみあらったりったりして、今朝けさたのしみにもやらない様子ようすであったのだ。
 そして、まだ未明みめいのうちから、よるしらむのをどおしがって、
(こうしているに、祇園ぎおん神社じんじゃから清水堂きよみずどう初詣はつまいりをして、それから五条大橋ごじょうおおはしくとしよう)
 といいし、城太郎じょうたろうが、
(じゃあ、おいらも)
 と、いてこうとすると、ふだんはいいが、こいには邪魔物じゃまものあつかわれて、
(いいえ、わたし武蔵様むさしさまに、すこ二人ふたりきりではなしたいことがあるのだから、城太じょうたさんは、けてから、なるべくっくり五条大橋ごじょうおおはしあとからおで。――だいじょうぶ、きっと、城太じょうたさんがるまでは、武蔵様むさしさまとあそこでっていますから)
 といって、一人ひとりさきかけてしまったのである。
 べつにひがんだりおこったりはしないが、城太郎じょうたろうけっしていい気持きもちではない。かれにも、ともにいるおつう気持きもちぐらいは、もう解釈かいしゃくできない年頃としごろではない。おとこおんな感動かんどうとはおよそどんなものかということは、彼自身かれじしんも、柳生やぎゅうしょう旅籠屋はたごや小茶こちゃちゃんと、馬糧小屋まぐさごやわらなかでなんというわけもわからずに悶掻もがった体験たいけんがある。
 その体験たいけんからしても、大人おとなのおつういたりしずんだりしている平常ふだん様子ようすは、かれにはただ不可解ふかかいで、おかしくって、くすぐったくて、理解りかい同情どうじょうてなかったが、いま武蔵むさしむねへすがっていているものが、そのおつうでなくて、朱実あけみという案外あんがい女性じょせいであったことをると、城太郎じょうたろう分別ふんべつは、俄然がぜんいきどおりにたものをって、
(なんだ、あんなおんな
 と、おつうかたをもち、
(お師匠様ししょうさまもお師匠様ししょうさまだ)
 わがことのようにはらてて、その結果けっかが、
(おつうさんはなにしてるんだろ。おつうさんにいいつけてやるぞ)
 という焦躁しょうそうびてると、きゅうはし上下じょうげをキョロキョロしはじめたものだった。
 ところが、そのおつう見当みあたらないので、城太郎じょうたろうひとりでしていると、彼方あなた男女ふたりは、往来おうらいはばかるように、はしのたもとにちか欄干らんかん位置いちうつして、武蔵むさしもそのうえ腕拱うでぐみをせ、朱実あけみならんで、河原かわらしたおもて俯向うつむけている。
 反対側はんたいがわ欄干らんかん沿って、城太郎じょうたろうとおけてったのも、男女ふたり背中せなかづかなかった。
愚図ぐずだな、いつまで、観音様かんのんさまなんかおがんでるんだろ」
 城太郎じょうたろうつぶやきながら、五条坂ごじょうざかほう背伸せのびをして、れていた。
 すると、かれ佇立たたずんでいるところから十歩じゅっぽほどの距離きょりである、みきふと五本ごほん枯柳かれやなぎがあった。よくこのやなぎには川魚かわうおついばみに白鷺しらさぎれをかけるのであるが、きょうはその白鷺しらさぎ一羽いちわかげせていないかわりに、前髪まえがみった一人ひとり若衆わかしゅが、臥龍がりゅうのようにひくっている老柳ろうやなぎみきりかかって、じっと、なにものかをつめていた。