150・宮本武蔵「火の巻」「針(1)(2)」


朗読「150火の巻62.mp3」14 MB、長さ: 約 10分 20秒

はり

 いたわ、小僧こぞうめが。
 お杉婆すぎばばは、むねのうちで、こうたかわめいた。
 うれしさやら、こわさやら、りつめていたこころがみだれて、
「おのれっ」
 と、焦心あせりたがる気持きもちと、がくがくわななく体力たいりょくとが、とたんに一致いっちいてしまって、おもわずどて小松こまつかげへ、ぺたっとすわってしまったのである。
うれしや、やっとめぐうたぞやい。これも、ついさきのころ、住吉すみよしうら不慮ふりょげなされたごん叔父おじれいのひきあわせでがなあろう」
 ばばは、その権叔父ごんおじほね一片いっぺんかみとを、いまも、こしゆわいつけてある旅包たびづつみのなかおさめ、つね肌身はだみにつけてあるきながら、
権叔父ごんおじよ、たといおぬしはのうとも、わし一人ひとりとはおもわぬぞよ、武蔵むさしとおつう成敗せいばいせぬうちは、故郷くにつちちかってまぬと、ともども、たび二人ふたりじゃほどにの。――おぬしはんでも、おぬしの魂魄こんぱくはこのばばかたからはなれはなさるまい。ばばもまた、いつもおぬしと二人連ふたりづれであるいているものとおもうて、きっと、武蔵むさしたいではかぬから、ていなされや、草葉くさばかげから――)
 ばばは、朝念暮念ちょうねんぼねん、そのことばをいいくらして――といってもまだ――権叔父ごんおじほねになってから七日なのかほどにしかならないが、その一心いっしん自分じぶんほねになるまでは、うしなうことではないときもぐって、さて、この数日すうじつというものを、まるで鬼子母神きしもじんのような血相けっそうになり、ついに、武蔵むさしのすがたをめてたのであった。
 ――ちらっと、最初さいしょみみにしたがかりは、吉岡清十郎よしおかせいじゅうろう武蔵むさしとのあいだに、近日きんじつ試合しあいがあるらしいというちまたのうわさ。
 つぎにはきのうの夕方ゆうがた――五条大橋ごじょうおおはし大晦日おおみそかひとだかりのなかで、その吉岡門よしおかもんものが、さん四名よんめいしてててった高札こうさつおもてである。
 あの文字もじを、おすぎは、どんなに興奮こうふんしたをもって何度なんどんだことか。
だいそれた武蔵むさしめがよ、のほどらずも、ここまでればよい愛嬌あいきょう吉岡よしおかたれることはれているが、それでは、国許くにもと公言こうげんしてたこのばば面目めんぼくがないわいの。どうあろうと、吉岡よしおかたるるまえに、武蔵むさしは、ばばにかけ、あのはなたれくびもとどりつかんで、故郷こきょうしゅうせにゃならぬ)
 躍起やっきとなった。
 こころには祖先神仏そせんしんぶつ加護かごをいのり、には権叔父ごんおじ白骨はっこつゆわいつけて、
(やわか草木くさきけてもさがさずにおこうか)
 と、またぞろ、松尾まつお要人かなめもんたたき、そこでさんざんどくづいたり詮議立せんぎだてした結果けっかが、かえって、がっかりしたものをわされて、いま――この二条河原にじょうかわらつつみまでもどりかけてたところであった。
 ボウと河原かわらしたあかるいので、おこもでもいているのかとおもいながら、なんのもなくどてってたのである。すると、のこっている焚火たきびから十間じゅうけんほどさき水際みずぎわに、素裸すっぱだかおとこが、このさむさもらないように、水浴みずあびからがった。たくましい筋肉きんにくいている。
武蔵むさし!)
 と見極みきわめると、ばばは、こしをついたきりしばらくてなかった。相手あいていま素裸すっぱだかでいるのだ。ってってりつけるにはまたとない機会きかいであるのに、この老婆ろうばている心臓しんぞうは、それをなしないで、年齢としとともに複雑ふくざつになっている感情かんじょうたかぶりがさきち、もう武蔵むさしくびでもったように、
「うれしや、かみ御加護ごかごか、御仏みほとけのひきあわせか、ここで武蔵むさしめにうとは、よも凡事ただごとであろうはずはない。日頃ひごろ信心しんじんつうじて、ばばで、神仏しんぶつかたきたせてたもるのじゃ」
 と、をあわせて、幾度いくども、そらはいしているというような、いとも悠々ゆうゆうたる老婆ろうばらしいところも、この老婆ろうばにはあるのだった。

 河原かわらいしひとひとつが、あかつきひかりれてきあがってくる。
 沐浴もくよくした五体ごたいに、衣服いふく、かたくめたおびに、大小だいしょうをたばさむと、武蔵むさしは、ひざまずいて、天地てんち黙然もくねんかしらげていた。
 お杉婆すぎばばは、
いまっ」
 と、はやったが、武蔵むさしがそのとき河原かわら水溜みずたまりをびこえ、きゅうにかなたへあゆみしたため、遠方えんぽうからこえをかけてはがすおそれがあると、あわてておな方角ほうがくむかってどてうえあゆした。
 白々しらじらと、元日がんじつまち屋根やねはしは、初霞はつがすみそこからなごやかなせんをぼかしはじめたが、まだそらにはほしがよくえるし、東山一帯ひがしやまいったいのふところは、すみのような暁闇ぎょうあんだった。
 三条仮橋さんじょうかりばししたをくぐると、武蔵むさし河原かわらからどてうえ姿すがたあらわし、大股おおまたあるしている。
 ばばは、
武蔵待むとしまとう)
 何度なんどか、ぼうとしては、相手あいてすきとか、距離きょりとか、さまざまな条件じょうけん老婆としよりらしく緻密ちみつかんがえ、数町すうちょうあいだられるようにあるいてしまった。
 武蔵むさしっていた。
 さきほどからくそれとっていたので、かれはわざと振向ふりむかなかった。振向ふりむいて、が、かちったら、その途端とたん、おすぎえら行動こうどうわかっているし、老婆としよりとはいえ、もの物狂ものぐるいで以上いじょう、こちらが怪我けがをしない程度ていどのあしらいはむくいなければならない。
こわ相手あいてだ)
 と、武蔵むさしこころからおもうのだった。
 むらにいたころのなら、すぐたおして撃退げきたいするか、へどをかせてばしてしまうであろう。だがいまでは、そういうにはなれない。
 うらみはこちらのほうにこそあるので、ばば自分じぶん七生しちしょうまでのかたきかのようにねらっているのは、まったく、感情かんじょう誤解ごかいのこぐらかりにもとづくので、それをけばわかるのだ。しかし、自分じぶんくちからいったのでは、百万ひゃくまんべんいたにせよ、
(そうか、そうじゃッたか)
 と、あのばばが、あれほどこぶにしてっている宿怨しゅくおんをわすれて、みずにながすはずはない。
 ――だが、いかなお杉婆すぎばばでも、息子むすこ又八自身またはちじしんくちから、せきはらかけた前後ぜんご二人ふたり事情じじょうと、すべてのいきさつをねんごろにさとされたら、それでもなお、自分じぶん本位田ほんいでんかたきとはよもいいきれまい、また息子むすこよめ横奪よこどりしてげた曲者しれものともまさかうらむまい。
(よいりだ、その又八またはちに、わせてやろう。――五条ごじょうまでけば、今朝けさは、かれさきっているかもれない)
 武蔵むさしは、自分じぶん言伝ことづてした約束やくそくが、かれつうじているものとしんじていた。したがって、五条大橋ごじょうおおはしまでけば、この老婆としよりとあの息子むすことがって、そのあいだ誤解ごかいされている自分じぶん立場たちばも、そこではじめて、諄々じゅんじゅんいて氷解ひょうかいさせることが出来できようとかんがえている。
 その五条大橋ごじょうおおはしのたもとは、もうすぐそこにちかづいていた。小松殿こまつどの薔薇園しょうびえんだの平相国入道へいしょうこくにゅうどうやかただのがいらかをならべていた平家繁昌へいけはんじょうころから、このあたりは民家みんか人通ひとどおりもおお中心ちゅうしんで、戦国以後せんごくいごもその旧態きゅうたいのこしているが、まだどこのいえひらいていなかった。
 大晦日おおみそかよいのうちに、きれいにいた箒目ほうきめが、まだねむっている家々いえいえ門口かどぐちに、そのままいて、ほのかにしらんでくる元日がんじつひかり徐々じょじょむかえている。
 武蔵むさしおおきな足痕あしあとを、お杉婆すぎばばうしろからた。
 足痕あしあとさえにくかった。
 もうはしたもとまでは、一町いっちょうか、半町はんちょう
「――武蔵むさしっ!」
 おすぎはさけんだ。のどたんったようなこえである。両手りょうてこぶしをこしらえて、くびまえしながらってった。