146・宮本武蔵「火の巻」「公開状(1)(2)」


朗読「146火の巻58.mp3」14 MB、長さ: 約 10分 24秒

公開状こうかいじょう

 四条道場しじょうどうじょうかえるとすぐ、
「おい、これを鷹部屋たかべやとまけておけ」
 門人もんじんへ、たかをわたして、清十郎せいじゅうろう草鞋わらじいた。
 はっきりと不機嫌ふきげんかおつきである。剃刀かみそりのように、からだからっている。
 門人もんじんたちは、おかさを、洗足水すすぎをと、その神経しんけいをつかいながら、
「ご一緒いっしょった小次郎殿こじろうどのは?」
あとからかえるだろう」
野駈のがけのうちに、はぐれておしまいになったので」
「ひとをたせておいて、いつまでももどってぬゆえ、わし一人ひとりで、さきかえってたまでのことだ」
 衣服いふくをかえて、清十郎せいじゅうろう居間いますわった。
 その居間いま中庭なかにわへだてて宏大こうだい道場どうじょうはあった。年暮くれ二十五日にじゅうごにち稽古けいこ仕舞じまいとして、はる道場開どうじょうびらきまで、そこはしまっていた。
 千人せんにんぢかい門人もんじんが、年中ねんじゅう出入でいりしている道場どうじょうなので、そこに木剣ぼっけんのひびきがきこえないと、きゅう空家あきやになったようなかんじだった。
「まだかえらんか」
 清十郎せいじゅうろう幾度いくども、居間いまなかから門人もんじんへたずねた。
「まだおかえりになりませぬが」
 小次郎こじろうもどってえたら、きょうはかれ稽古台けいこだいとして、またやがて出会であ武蔵むさしとも見做みなして、みっちり鍛錬たんれんしておこう。――そうかんがえて、清十郎せいじゅうろうっていたが、夕方ゆうがたになっても、よるになっても、つい小次郎こじろう姿すがたせなかった。
 あくかえらない。
 年暮くれは、最後さいごまでしつまってた。今年ことしも、きょう一日いちにちしかないという大晦日おおみそかひる
「どうしてくれるんだ」
 吉岡家よしおかけ表部屋おもてべやへは、掛取かけとりいちをなして、しかけていた。あたまのひくい町人ちょうにんが、堪忍かんにんをやぶって、呶鳴どなっているのである。
用人ようにん留守るすだ、主人しゅじん留守るすだといえば、それでむとおもうてござるのか」
何十遍なんじゅっぺんあしかよわせるつもりなのだ」
「この半期はんき勘定かんじょうだけなら、先代せんだいのごひいきもあったお屋敷やしきゆえ、だまっても退きさがろうが、このぼん勘定かんじょうも、まえとしぶんも、このとおりじゃわ」
 と、帳面ちょうめんをたたいてきつけるおとこもある。
 出入でいりの大工だいく左官さかん日用品にちようひん米屋こめや酒屋さかや呉服屋ごふくや、それからあちこちと、清十郎せいじゅうろうが、遊興ゆうきょうしてあるきちらした茶屋小屋ちゃやごや勘定取かんじょうとり
 そんなのは、まだまだ小口こぐちのほうで、おとうと伝七郎でんしちろうあにはからず、勝手かって現金げんきんりたのたかい借財しゃくざいもあった。
清十郎殿せいじゅうろうどのわせてもらいましょう。門人衆もんじんしゅうでは、らちがあかん」
 すわりこんで、うごかないものだけでも、五名ごめいはある。
 平常へいぜい道場どうじょう会計かいけいや、また奥向おくむきの経済けいざいのやりくりは、祇園藤次ぎおんとうじ用人役ようにんやくとして、りしていたのであるが、そのかんじんな藤次とうじ数日前すうじつまえに、旅先たびさきせたかねったまま、「よもぎのりょう」のおこう逐電ちくてんしてしまった。
 門人達もんじんたちにはどうしていいかわからない。
 清十郎せいじゅうろうはただ、
留守るすもうせ」
 の一点張いってんばりで、おくにかくれたままでいるし、おとうと伝七郎でんしちろうは、勿論もちろん大晦日おおみそかなどという物騒ぶっそうに、いえりつくはずもなかった。
 どやどやと、そこへろく七名しちめいかたかぜってある連中れんちゅうはいってた。吉岡門よしおかもん十傑じゅっけつ自称じしょうしている植田良平うえだりょうへいやその門人達もんじんたちである。
 掛取かけとりたちをめまわして、
「なんだ? おい」
 良平りょうへいが、そこへって、あたまからいうのである。
 ことわりにあたっていた門人もんじんが、説明せつめいするまでもないかおつきで、簡単かんたんにわけをげると、
「なアんだ、借金取しゃっきんとりか。借金しゃっきんならば、はらえばよいのだろう。ご当家とうけ都合つごうのよろしくなるときまでて。てないやつは、おれがべつはなし仕方しかたがあるから、道場どうじょうのほうへい」

 植田良平うえだりょうへい乱暴らんぼうないいぐさに、掛取かけとり町人ちょうにんも、むっといろをなした。
 ご当家とうけ都合つごうよくなるまでてとはなんだ。なおそのうえてないやつはべつにはなしをつけてやるから道場どうじょうのほうへいとはなんだ。かりそめにも、室町将軍家むろまちしょうぐんけ兵法所出仕へいほうじょしゅっしという先代せんだい信用しんようがあればこそ、あたまげ、ご機嫌きげんり、品物しなものし、なにし、あしたまいれといわれればヘイ、あさっていといわれればヘイ、なんでもヘイヘイして、さきはお屋敷やしきたてまつっていれば、つけがるにもほどがある。そんな文句もんくおそれて、掛取かけとり退がっていたには、町人ちょうにんきてはゆかれない、町人ちょうにんがなくて、さむらいだけでこのなかってゆけるものならってみろ、という反感はんかんが、当然とうぜん掛取かけとりたちのあたまやした。
 良平りょうへいは、がやがやくびをあつめている町人ちょうにんたちを、木偶坊でくのぼうのようにて、
「さあ、かえかえれ、いつまでいても、無駄むだだぞ」
 町人ちょうにんたちは、だまったが、うごこうとはしなかった。
 すると、良平りょうへいが、
「おい、つまみせ」
 門人もんじん一人ひとりへいったので、こらえていた掛取かけとりも、もう我慢がまんができないといったふうに、
旦那だんな、それじゃあまりひどいじゃありませんか」
「なにがひどい」
「なにがって、そんな無茶むちゃな」
「だれが無茶むちゃをいった」
「つまみせとはなんぼなんでも」
「しからば、なぜ神妙しんみょうかえらんか、きょうは大晦日おおみそかだぞ」
「ですから、手前てまえどもだって、としえられるかどうかっていうところで、一生懸命いっしょうけんめいにおねがもうしているんで」
「ご当家とうけもいそがしい」
「そんなことわかたがあるものか」
貴様きさま不服ふふくか」
勘定かんじょうをおげくださりさえすれば、なにも文句もんくはありません」
「ちょっとい」
「ど、どこで」
不埒ふらちなやつだ」
「そ、そんな馬鹿ばかな」
馬鹿ばかといったな」
旦那だんなへいったわけじゃありません、無法むほうだといったんで」
「だまれっ」
 えりがみをつかんで良平りょうへいは、そのおとこわき玄関げんかんそとほうした。そこにっていた掛取かけとりたちは、あわてて退いたが、げおくれて、二人ふたりほどかさなってたおれた。
だれだ、ほかに苦情くじょうのいいたいやつは。些細ささい勘定かんじょうをたてにとり、吉岡家よしおかけおもてすわりこむなどとは沙汰さたかぎり。おれがゆるさん、若先生わかせんせいはらうといっても、おれははらわさん。さ一人一人ひとりひとりあたませ」
 町人ちょうにんたちは、かれこぶして、われがちにこしげた。しかしもんそとると、うでちからたないだけに、くちきわめて、ののしった。
いまに――このもんへ、売家うりやふだられたら、をたたいて、わらってくれようぞ」
とおくないうちだろうて」
「わしらのおもいだけでも」
 そんな怨嗟えんさを、もんそときながら、良平りょうへい屋敷やしきなかで、はらをかかえてわらっていた。そして、ほか連中れんちゅうともに、おく清十郎せいじゅうろう居間いまはいってった。
 清十郎せいじゅうろうは、沈湎ちんめんとして、ひとりで火桶ひおけをかかえていた。
若先生わかせんせい、ひどくおしずかですな。どうかいたしたので」
 良平りょうへいたずねると、
「いや、どうもせぬ」
 股肱ここうとたのむ門人中もんじんちゅう門人もんじんが、ろく七名しちめいもそろってたので、清十郎せいじゅうろうはややかおいろをなおして、
「いよいよ、せまったの」
せまりました。そのにつき、一同いちどうしてまいりましたが、武蔵むさしへいいわた試合しあい場所ばしょ日時にちじ、あれは、どういうことにめますかな」
「さよう? ……」
 清十郎せいじゅうろうかんがむ。