朗読「146火の巻58.mp3」14 MB、長さ: 約 10分 24秒
公開状
一
四条道場へ帰るとすぐ、
「おい、これを鷹部屋の止り木へ架けておけ」
門人の手へ、鷹をわたして、清十郎は草鞋を解いた。
はっきりと不機嫌な顔つきである。剃刀のように、体から刃が立っている。
門人たちは、お笠を、洗足水をと、その神経へ気をつかいながら、
「ご一緒に行った小次郎殿は?」
「後から帰るだろう」
「野駈けのうちに、迷れておしまいになったので」
「ひとを待たせておいて、いつまでも戻って来ぬゆえ、わし一人で、先へ帰って来たまでのことだ」
衣服をかえて、清十郎は居間へ坐った。
その居間の中庭を隔てて宏大な道場はあった。年暮の二十五日を稽古仕舞として、春の道場開きまで、そこは閉っていた。
千人ぢかい門人が、年中、出入りしている道場なので、そこに木剣のひびきがきこえないと、急に空家になったような感じだった。
「まだ帰らんか」
清十郎は幾度も、居間の中から門人へたずねた。
「まだお帰りになりませぬが」
小次郎が戻って見えたら、きょうは彼を稽古台として、またやがて出会う武蔵とも見做して、みっちり鍛錬しておこう。――そう考えて、清十郎は待っていたが、夕方になっても、夜になっても、遂に小次郎は姿を見せなかった。
翌る日も帰らない。
年暮の日は、最後まで押しつまって来た。今年も、きょう一日しかないという大晦日の昼。
「どうしてくれるんだ」
吉岡家の表部屋へは、掛取が市をなして、押しかけていた。頭のひくい町人が、堪忍をやぶって、呶鳴っているのである。
「用人が留守だ、主人が留守だといえば、それで済むと思うてござるのか」
「何十遍、足を通わせるつもりなのだ」
「この半期の勘定だけなら、先代のごひいきもあったお屋敷ゆえ、黙っても退きさがろうが、この盆の勘定も、前の年の分も、この通りじゃわ」
と、帳面をたたいて突きつける男もある。
出入りの大工、左官、日用品の米屋、酒屋、呉服屋、それからあちこちと、清十郎が、遊興して歩きちらした茶屋小屋の勘定取。
そんなのは、まだまだ小口のほうで、弟の伝七郎が兄に計らず、勝手に現金で借りた利のたかい借財もあった。
「清十郎殿に会わせてもらいましょう。門人衆では、埒があかん」
坐りこんで、動かないものだけでも、四、五名はある。
平常、道場の会計や、また奥向きの経済のやりくりは、祇園藤次が用人役として、切り盛りしていたのであるが、そのかんじんな藤次は数日前に、旅先で寄せた金を持ったまま、「よもぎの寮」のお甲と逐電してしまった。
門人達にはどうしていいかわからない。
清十郎はただ、
「留守と申せ」
の一点張りで、奥にかくれたままでいるし、弟の伝七郎は、勿論、大晦日などという物騒な日に、家へ寄りつくはずもなかった。
どやどやと、そこへ六、七名の肩で風を切って歩く連中が入って来た。吉岡門の十傑と自称している植田良平やその門人達である。
掛取たちを睨めまわして、
「なんだ? おい」
良平が、そこへ突っ立って、頭からいうのである。
断りに当っていた門人が、説明するまでもない顔つきで、簡単にわけを告げると、
「なアんだ、借金取か。借金ならば、払えばよいのだろう。ご当家の都合のよろしくなる時まで待て。待てないやつは、おれが別に話の仕方があるから、道場のほうへ来い」
二
植田良平の乱暴ないいぐさに、掛取の町人も、むっと色をなした。
ご当家の都合よくなるまで待てとはなんだ。なおその上、待てない奴はべつに話をつけてやるから道場のほうへ来いとはなんだ。かりそめにも、室町将軍家の兵法所出仕という先代の信用があればこそ、頭を下げ、ご機嫌を取り、品物も貸し、何も貸し、あした参れといわれればヘイ、あさって来いといわれればヘイ、なんでもヘイヘイして、先はお屋敷と奉っていれば、つけ上がるにも程がある。そんな文句に恐れて、掛取が引き退がっていた日には、町人は生きてはゆかれない、町人がなくて、侍だけでこの世の中が持ってゆけるものなら持ってみろ、という反感が、当然、掛取たちの頭を燃やした。
良平は、がやがや首をあつめている町人たちを、木偶坊のように見て、
「さあ、帰れ帰れ、いつまでいても、無駄だぞ」
町人たちは、黙ったが、動こうとはしなかった。
すると、良平が、
「おい、つまみ出せ」
門人の一人へいったので、怺えていた掛取も、もう我慢ができないといったふうに、
「旦那、それじゃ余りひどいじゃありませんか」
「なにがひどい」
「なにがって、そんな無茶な」
「だれが無茶をいった」
「つまみ出せとはなんぼなんでも」
「しからば、なぜ神妙に帰らんか、きょうは大晦日だぞ」
「ですから、手前どもだって、年の瀬が越えられるかどうかっていうところで、一生懸命にお願い申しているんで」
「ご当家もいそがしい」
「そんな断り方があるものか」
「貴様、不服か」
「勘定をお下げくださりさえすれば、なにも文句はありません」
「ちょっと来い」
「ど、どこで」
「不埒なやつだ」
「そ、そんな馬鹿な」
「馬鹿といったな」
「旦那へいったわけじゃありません、無法だといったんで」
「だまれっ」
襟がみをつかんで良平は、その男を側玄関の外へ抛り出した。そこに立っていた掛取たちは、あわてて飛び退いたが、逃げおくれて、二人ほど折り重なって仆れた。
「誰だ、ほかに苦情のいいたい奴は。些細な勘定をたてにとり、吉岡家の表へ坐りこむなどとは沙汰の限り。おれがゆるさん、若先生が払うといっても、おれは払わさん。さ一人一人、頭を出せ」
町人たちは、彼の拳を見て、われがちに腰を上げた。しかし門の外へ逃げ出ると、腕に力を持たないだけに、口を極めて、罵った。
「今に――この門へ、売家の札が貼られたら、手をたたいて、嘲ってくれようぞ」
「遠くないうちだろうて」
「わしらの思いだけでも」
そんな怨嗟を、門の外に聞きながら、良平は屋敷の中で、腹をかかえて笑っていた。そして、他の連中と共に、奥の清十郎の居間へ入って行った。
清十郎は、沈湎として、独りで火桶をかかえていた。
「若先生、ひどくお静かですな。どうかいたしたので」
良平が訊ねると、
「いや、どうもせぬ」
股肱とたのむ門人中の門人が、六、七名もそろって来たので、清十郎はやや顔いろを直して、
「いよいよ、日が迫ったの」
「迫りました。その儀につき、一同して参りましたが、武蔵へいい渡す試合の場所、日時、あれは、どういうことに決めますかな」
「さよう? ……」
清十郎は考え込む。