142・宮本武蔵「火の巻」「心猿(1)(2)」


朗読「142火の巻54.mp3」14 MB、長さ: 約 10分 16秒

心猿しんえん

 ちょうど阿弥陀あみだみね真下ましたにあたるところで、清水寺きよみずでらかねちかきこえ、うた中山なかやま鳥部とりべやまにかこまれて、ここのちいさい谷間たにましずかでもあり、またかぜたるさむさもよほどちがう。
 その小松谷こまつだにまでると、
「――ここじゃよ、わしの仮住居かりずまいは、なんと暢気のんきなものだろうが」
 青木丹左あおきたんざは、れて朱実あけみをふりかえって、うすひげえている上唇うわくちびるいて、にやりとわらう。
「ここですか」
 失礼しつれいとはおもいながら、朱実あけみはついかえした。
 ひどくれている一宇いちう阿弥陀堂あみだどうなのである。これが住居すまいというならば、この附近ふきんには、堂塔どうとう伽藍がらん空家あきやがずいぶんすくなくない。このへんから黒谷くろだに吉水よしみずのあたりは、念仏門発祥ねんぶつもんはっしょうであるので、祖師そし親鸞しんらん遺跡いせきおおいし、念仏行者ねんぶつぎょうじゃ法然房ほうねんぼう讃岐さぬきながされるその前夜ぜんやは、たしかこの小松谷こまつだに御堂みどうとやらにあって、随身ずいしん諸弟子しょでし帰依きえ公卿くげ善男女ぜんなんにょたちと、わかれのなみだをしぼられたものである。
 それは承元じょうげんむかしはるだったが、今夜こんやは、はなもないふゆすえ
「……おはいり」
 丹左たんざさき御堂おどうふちがって、格子扉こうしどしあけ、そこから手招てまねきをしたが朱実あけみはためらって、かれ好意こういしたがったものか、ほかへってひとりで寝場所ねばしょをさがしたものか、まよっている様子ようすえる。
「このなかは、おもいのほかあたたかいのだ。わらだが、敷物しきものもあるしな……。それとも、このわしまで、さっきの悪者わるもののように、こわ人間にんげんと、うたがっているのか」
「…………」
 朱実あけみかおよこった。
 青木丹左あおきたんざひとのよい人間にんげんらしいことには、彼女かのじょ安心あんしんしているのである。それに年配ねんぱい五十ごじゅうえているし――。だが、彼女かのじょがためらっているのは、かれ住居じゅうきょしょうするおどうきたなさと、かれ衣服いふく皮膚ひふあかからにおう不潔ふけつさであった。
 ――だが、ほかにとまるところのあてはないし、また、赤壁八十馬あかかべやそまにでもつかればこんどはどんなにあうかれないし――それになお朱実あけみは、身体からだねつッぽくて、気懶けだるくって、はやくよこにでもなりたいがしきりとするので、
「……いいんですか」
 階段かいだんからがりかけると、
「いいとも、幾十日住いくじゅうにちすんでいようが、ここなら、だれおこってはせんのじゃ」
 なかくらである。蝙蝠こうもりでもびだしてはしまいかしらとおもわれるほどくらい。
「おち」
 丹左たんざすみで、火打ひういしをカチカチッているのだ。どこでひろってたか、短檠たんけいあかりがつく。
 れば、なべ瀬戸物せともの木枕きまくらむしろなど、ひととおりのものはひろあつめられてある。かして、これから蕎麦掻そばがきを馳走ちそうしてやろうといい、七輪しちりんけたようなものへ木炭すみをつぎ、付火木つけぎをくべ、だねをつくってフウフウときはじめる。
親切しんせつひと
 すこし落着おちついてくると、朱実あけみは、不潔ふけつにならなくなり、かれ生活せいかつに、かれおな気安きやすさがててるのだった。
「そうそうねつがあって、身体からだがだるいといっていたの、おおかた風邪かぜだろう。蕎麦掻そばがきのできるあいだ、そこにていさっしゃれ」
 むしろだの、米俵こめだわらだので、すみどこができている。朱実あけみはそこにある木枕きまくらへ、自分じぶんっているかみてて、すぐよこになった。
 うえからかぶるふすまのかわりに、それへそなえてあるのは、これもどこかでひろってたものらしい、やぶれた紙衣蚊帳かみこがや
「じゃあ、おさきに」
「さあ、さあ、なにも心配しんぱいしないがいいぞよ」
「……すみません」
 と、をつかえる。そして、渋紙しぶがみ蒲団ふとんかつごうとすると、そのしたから、なにか電光でんこうのようなをしたものびだし、自分じぶんあたまえたので、彼女かのじょは、きゃっといって俯伏うっぷした。

 だが、おどろいたのは、朱実あけみよりは、むしろ青木丹左あおきたんざのほうで、なべけかけていた蕎麦粉そばこふくろおとして、
「アッ、なんじゃっ?」
 ひざをまっしろにしてしまった。
 朱実あけみしたまま、
「なんだかれませんが、ねずみより、もっとおおきなけものが、すみからして……」
 いうと、丹左たんざは、
栗鼠りすじゃろ」
 と見廻みまわして、
栗鼠りすのやつめが、ようものいでおるでな。……だが、どこにも、なにもいはせぬが?」
 朱実あけみは、そうっとかおをあげ、
「あれっ、そこに」
「どこに」
 ごしめぐらして丹左たんざがふとうしろをると、なるほど一匹いっぴき動物どうぶつが、仏具ぶつぐ本尊仏ほんぞんぶつもない内陣ないじんらんのうちに、って、丹左たんざくと、びくとしたようにしりをすくめる。
 栗鼠りすではない、小猿こざるなのだ。
「……?」
 丹左たんざ不審顔ふしんがおすると、小猿こざるは、この人間にんげんくみしやすしとてとったか、内陣ないじんしゅらんをするすると三度往復さんどおうふくをしてからまた、もとのところへすわって、えたももているつらがまえをケロリとげ、パチパチばたきをしながらなにものでもいいたげな風情ふぜい
「こいつ……どこからはいってたのじゃろう、……ははあ、だいぶめしつぶがこぼれているとおもうたら、さては」
 さては、ということばが、わかるように、小猿こざるかれちかづくさきして、内陣ないじんうちへぴょんとかくれてしまう。
「……はははは、とんだ愛嬌者あいきょうものじゃわ、たべものでもくれてやれば、悪戯わるさはすまい。っとこう」
 ひざしろこなをはたいて、なべのまえにすわなおしながら、
朱実あけみ、なにもこわいことはない。――おやすみ」
「だいじょうぶでしょうか」
山猿やまざるではない、どこかの飼猿かいざるげてたのじゃろ、なに心配しんぱいがあるものか。――夜具やぐはそれでさむくはないか」
「……いいえ」
たがよい、たがよい、風邪かぜしずかにていさえすれば、なおる」
 なべへ、こなれ、みずれ、そしてぐるぐるはしさききまわす。
 七輪しちりんに、炭火すみびはかっかっとおこっている。なべをかけておいて、そのあいだに、丹左たんざねぎきざみはじめた。
 まないたは、この御堂おどうにあった古机ふるづくえ庖丁ほうちょう小柄こづかびたものらしい。きざんだねぎは、あらわずに木皿きさらへうつし、そのあとけばそのまま、つぎにはぜんにかわるのである。
 クツクツとなべたぎおとが、だんだんこのなかあたためてた。のようなひざをかかえみ、丹左たんざえたが、あわていた。人間にんげん至楽しらくはこのなべなかきるといわないばかりに、そのえるのがたのしみらしくえる。
 いつものばんのように、清水寺きよみずでらのほうでかねきこえる。もう寒行かんぎょうはすんで初春はつはるもちかいが、師走しわすしつまると、ひとこころわずらいがおおいとみえ、もすがら鰐口わにぐちをふるおとだの、おこもりをするもの詠歌えいかのあわれなこええない。
(……わしは、わし自身じしんとがをうけ、こうして、罪障ざいしょうつぐないをしているようなものだが、城太郎じょうたろうはどうしているかなあ? ……。にはなんのとがもないはず、おやつみおやにこそむくえ、南無なむかんぜおん菩薩ぼさつ城太郎じょうたろうのうえに大慈だいじ御眸みひとみありたまえ)
 ――蕎麦掻そばがきをげつかないように、そっとはしかしながら、おやのつくものよわこころそこからいのりをこめていると、
「――いやあッ!」
 突然とつぜんている朱実あけみころされでもするようにさけんで、
「ち、ち、ちくしょう……」
 れば、寝息ねいきのうちにをふさいでいながら、木枕きまくら顔押かおおしつけて、さめざめといているのであった。