139・宮本武蔵「火の巻」「奔馬(11)(12)(13)」


朗読「139火の巻51.mp3」21 MB、長さ: 約 15分 26秒

十一

 さか日蔭ひかげつちまでこおっていたが、柑子坂こうじざかくだると、ふゆでもはえがいるほどあたりのよい立場茶屋たてばぢゃやが、やまふところの田圃たんぼむかって、うしのわらじや、駄菓子だがしなどをひさいでいる。城太郎じょうたろうは、そこのまえっておつうっていた。
 おつうが、
武蔵様むさしさまは」
 と、たずねながら、立場茶屋たてばぢゃやまえにがやがやれている人々ひとびとのほうを、じっとると、
「いないンだよ」
 と、城太郎じょうたろうは、気抜きぬけしたようにいいはなって、
「どうしたんだろ?」
「え……」
 おつうは、しんじないように、
「そんなこと、ないでしょう」
「だって、どこにも、いないもの。――立場茶屋たてばぢゃやひといても、そんなおさむらいかけないというし……きっとなにかの間違まちがいだよ」
 と城太郎じょうたろうは、そう落胆らくたんもしないかおつきなのである。
 ひとりぎめに、おもごしたよろこびにはちがいないが、そう無造作むぞうさかたづけられると、
 おつうは、
なんていうだろう)
 と、城太郎じょうたろう平気へいきでいるのが、にくらしくなってくる。
「もっと彼方あっちってみましたか」
たよ」
「そこの庚申塚こうしんづかうらは」
「いない」
立場茶屋たてばぢゃやうらは」
「いないッてば」
 城太郎じょうたろうが、うるさくなったようにそういうと、おつうは、ふいとかおよこけてしまった。
「おつうさん、いているね」
「……らない」
「ずいぶんわけのわからないひとだなあ、おつうさんはもっとかしこひとかとおもったら、まるであかンぼみたいなところもあるぜ。最初さいしょから、うそだかほんとだか、あてにはならないことだったんだろ。それを、ひとりでめこんで、武蔵様むさしさまがいないからって、ベソをいているなんて、どうかしてらあ」
 一片いっぺん同情どうじょうたないように、城太郎じょうたろうはかえってゲラゲラわらうのだった。
 おつうは、そこへすわってしまいたくなった。きゅうなかのすべてのものにひかりがなくなって、もとのような――いやいままでにない滅失めっしつこころとらわれた。わらっている城太郎じょうたろう味噌みそが、にくえて、はらって、こんなをなんで自分じぶんれてあるいているのか、てられるものならてて、たったひとりぼっちで、いてあるいていたほうがはるかにだとおもったりする。
 かんがえてみると、おな武蔵むさしというひとさがしているうえであっても、城太郎じょうたろうのは、ただ師匠ししょうとしてしたっているのだし、彼女かのじょもとめているのは、生涯しょうがい生命せいめいとして、武蔵むさしをさがしているのである。そしてまた、こんな場合ばあいさいしても、城太郎じょうたろうはいつでもケロリとして、すぐ快活かいかつにかえってしまうし、おつうはその反対はんたい幾日いくにちつぎちからうしなってしまう、それは、城太郎少年じょうたろうしょうねんこころのどこかに、なアに、そのうちにきっとどこかでえるにきまっていることだからという定義ていぎわっているからであって、おつうには、そう楽天的らくてんてきすえとおしていられないのである。
(もう生涯しょうがい、このまま、あのひととは、うこともはなすことも、出来できない運命うんめいなのではないかしら?)
 と、わるいほうへも、やはりおもぎをしてしまう。
 こい相思そうしもとめていながら、こいをするものはまた、ひどく孤独こどくあいしたがる。それでなくても、おつうには、うまれながらの孤児性こじせいがある。ほかたいして、他人たにんかんじることに、どうしてもひとよりは鋭敏えいびんだった。
 すこしねて、おこったふりをせて、だまってさきへぐんぐんあるしてくと、
「おつうさん」
 と、うしろでものがあった。
 城太郎じょうたろうんだのではない。庚申塚こうしんづかうらから、くさみわけてひと大小だいしょうさやれてえた。

十二

 それは柘植三之丞つげさんのじょうであった。
 さっき、あのままさかうえのぼってったものとのみおもっていたのにふいに――また、往来おうらいでもないところからたのである。おつうにも城太郎じょうたろうにも、不思議ふしぎ行動こうどうえた。
 それに馴々なれなれしく、おつうさんなどとびかけるのも、へんおとこだ。城太郎じょうたろうは、すぐっかかって、
「おじさん、うそいったね」
「なぜ」
武蔵様むさしさまがこの坂下さかしたで、かたなをさげてっているなんていって、どこに武蔵様むさしさまがいるかい、うそじゃないか」
「ばか」
 三之丞さんのじょうは、しかって、
「そのうそのために、おまえのれのおつうさんは、あの三名さんめいからのがれたのではないか。理窟りくつをこねるやつがどこにある、またおれにたいしても、いちごんれいぐらいはもうすのがほんとうではないか」
「じゃあ、あれは、おじさんがあの三人さんにん計略けいりゃくせるためにいったでたらめかい」
れたこと」
「なアんだ、だからおらもいわないことじゃないのに――」
 と、おつうむかって、
「やっぱり、でたらめだとさ」
 いてみれば城太郎じょうたろうへわがままにおこったのはいいとしても、あかの他人たにん柘植つげ三之丞さんのじょううらがおする理由りゆう毛頭もうとうないので、おつう幾重いくえにもひざって、たすけてもらった好意こうい感謝かんしゃした。
 三之丞さんのじょうは、満足まんぞくのていで、
野洲川やすがわ野武士のぶしといえば、あれでもこのごろは、ずいぶんおとなしくなったほうだ。あれにねらわれては、この山街道やまかいどうから無難ぶなんることはおそらくできまい。――だが、最前さいぜんこの小僧こぞうからはなしをきけば、おまえたちのあんじている宮本武蔵みやもとむさしというもの心得こころえのあるものらしいから、むざむざそのあみにかかるようなドジもむまい」
「この街道かいどうのほかに、まだ江州路ごうしゅうじみちが、いくすじもありましょうか」
「あるとも」
 三之丞さんのじょうは、真昼まひるそらんでいる冬山ふゆやまみねあおぎまわして、
伊賀谷いがだにれば、伊賀いが上野うえのからみちへ。――また安濃谷あのだにけば、桑名くわな四日市よっかいちからみちへ。――杣道そまみち間道かんどうが、みっつぐらいあるだろう。わしのかんがえでいえば、その宮本武蔵みやもとむさしとかいうおとこは、いちはやく、みちをかえて危難きなんだっしているとおもうが」
「それならば、安心あんしんでございますが」
「むしろ、あぶないのは、おまえ達二人たちふたりのほうだ。折角せっかく山犬やまいぬれからすくってやったのに、この街道かいどうを、ぶらぶらあるいていれば、いやでも野洲川やすがわですぐまたつかまってしまう。――すこしみちけわしいがおれについてるがいい、だれらぬみち案内あんないしてやろう」
 三之丞さんのじょうは、それから甲賀村こうがむらかみとおして、大津おおつ瀬戸せと馬門峠まかどとうげ途中とちゅうまで一緒いっしょて、つぶさにみちおしえ、
「ここまでれば、もう安心あんしんなものだ。よる早目はやめとまって、をつけてくがいい」
 と、いった。
 かさねて、れいをのべて、わかれようとすると、
「おつうさん、わかれるのだぜ」
 三之丞さんのじょうは、意味いみありげに、あらためて彼女かのじょをじっとた。そして、ややうらがおに、
「ここまであいだに、いまいてくれるか、いまいてくれるかとおもっていたが、とうとう、いてくれないな」
「なにをですか」
「おれの姓名せいめいを」
「でも、柑子こうじざかいておりましたもの」
「おぼえているか」
渡辺半蔵様わたなべはんぞうさまおい柘植つげ三之丞さんのじょうさま」
「ありがたい。恩着おんきせがましくいうのじゃないが、いつまでも、おぼえていてくれるだろうな」
「ええ、ごおんは」
「そんなことじゃない、おれがまだひとものだということをさ。……伯父おじ半蔵はんぞうがやかましでなければ、やしきれてきたいところだが……まあいい、ちいさな旅籠はたごがある、そこの主人しゅじんも、おれのことはよくっているから、おれのげてとまるといい。……じゃあ、おさらば」

十三

 さき好意こういはわかるし、親切しんせつひとともおもいながら、その親切しんせつすこしもよろこべないばかりか、親切しんせつしめされればしめされるほど、かえっていとわしくなる人間にんげんというものはよくある。
 柘植三之丞つげさんのじょうたいするおつうもちがそれだった。
そこのわからないひと
 という最初さいしょ印象いんしょうさまたげるせいか、わかれにのぞんでも、おおかみからはなれたように、ほっとはしたが、こころかられいをいうにもなれない。
 かなりひとをしない城太郎じょうたろうさえが、その三之丞さんのじょうとわかれてとうげへだてると、
「いやなやつだね」
 と、いった。
 きょうの難儀なんぎすくわれたてまえにも、そういう蔭口かげぐちはいえない義理ぎりであったけれど、おつうもつい、
「ほんとにね」
 とうなずいてしまい、
「いったいなんの意味いみなんでしょう、おれはまだひとものだということをおぼえていてくれなんて……」
「きっと、おつうさんをいまに、およめにもらいにくよというなぞなんだろ」
「オオいやだ」
 それからの二人ふたりたびいたって無事ぶじだった。ただうらみは、近江おうみ湖畔こはんても、瀬田せだ唐橋からはしわたっても、また逢坂おうさかせきえても、とうとう武蔵むさし消息しょうそくはわからないでしまったことである。
 年暮くれ京都きょうとにはもう門松かどまつっていた。
 はる町飾まちかざりをると、おつうさきいっした機会きかいをかなしむよりも、つぎ機会きかい希望のぞみをもった。
 五条橋ごじょうばしのたもと。
 一月一日いちがつついたちあさ
 もし、そのあさでなければ、二日ふつか――三日みっか――四日よっか七種ななくさまでのあさごとに。
 あのひとかならずそこへているというのである。城太郎じょうたろうからおつうはそれをいている。ただ、それは武蔵むさし自分じぶんってくれるためでないだけがさびしいといえばさびしい。しかし、なんであろうと、武蔵むさしえることだけで、自分じぶん希望きぼう八分はちぶ九分くぶげられるようにおつうおもうのだった。
(だけど、もしやそこへ?)
 ふと彼女かのじょは、また、その希望きぼうくらくするものにおそわれた。本位田ほんいでん又八またはちかげである。武蔵むさしが、元日がんじつあさから七日なのかのあいだ、あさあさなそこへていようというのは、本位田ほんいでん又八またはちつためなのだ。
 城太郎じょうたろうけば、その約束やくそくは、朱実あけみ言伝ことづけしてあるだけで、当人とうにんの、又八またはちみみには、はいっているかいないかわからないという。
(どうか、又八またはちないで、武蔵様むさしさまだけがいてくれればよいが――)
 おつうは、いのらずにいられなかった。そんなことばかりかんがえながら、蹴上けあげから三条口さんじょうぐちまぐるしいとし雑鬧ざっとうはいってゆくと、ふとそこらに、又八またはちあるいていそうながする。武蔵むさしあるいていそうながする。彼女かのじょにとってはだれよりもこわのする又八またはちははのお杉隠居すぎいんきょも、うしろからはしまいかなどとおもう。
 なんの屈託くったくもないのは城太郎じょうたろうで、ひさしぶりにもどって都会とかいいろ騒音そうおんが、無性むしょうかれがせてしまい、
「もうとまるの?」
「いえ、まだ」
「こんなにあかるいうちから旅宿屋やどやへついてもつまらないから、もっとあるこうよ。あっちへくと、いちっているらしいよ」
いちよりも、大事だいじ御用ごようさきじゃありませんか」
御用ごようって、なん御用ごよう
城太じょうたさんは、伊勢いせから自分じぶん背中せなかにつけてたものをわすれたんですか」
「あ、これか」
「とにかく、烏丸光広様からすまるみつひろさまのおやかたへうかがって荒木田様あらきださまからおあずかりのしなをおとどけしてしまわないうちは、身軽みがるにはなれません」
「じゃあ今夜こんやは、そこのいえとまってもいいね」
「とんでもない――」
 おつうは、加茂川かもがわやりながら、わらった。
「やんごとない大納言様だいなごんさまのおやかた、どうしてしらみたかりの城太じょうたさんなんど、めてくれるもんですか」