132・宮本武蔵「火の巻」「風車(7)(8)」


朗読「132火の巻44.mp3」15 MB、長さ: 約 10分 37秒

 武蔵むさしゆめをみていた。ゆめはしみたいなおなゆめ何遍なんべんもみた。ゆめというほどまとまっているゆめではないから、幼少ようしょうころ記憶きおくが、なにかの作用さようで、ねむっている脳細胞のうさいぼううえむしみたいにムズムズし、神経しんけいあし足痕あしあとが、燐色りんいろひか文字もじ脳膜のうまくえがいているかのような幻覚げんかくだった。
 ……とにかく、こういう子守唄こもりうたを、かれゆめなかいている。

ねんねしょうとて
ねるはかわい
きてなく
つらやな
つらやな
かかなかせ

 この子守唄こもりうたは、このまえここへったとき良人おっと留守るすをまもって添乳そえぢしていた梅軒ばいけんつまうたっていたものであるのに、その伊勢いせなまりのあるふしがそのまま、美作みまさかくに吉野郷よしのごうの、武蔵むさしうまれた故郷ふるさときこえる。
 ――そして。
 武蔵むさしはまだ嬰児あかごいろしろ三十さんじゅうぐらいなおんなひとかれているのだった。――そのおんなひと自分じぶんははであると嬰児あかご武蔵むさしにはわかっていて、ぶさにすがりながらそのひとしろかおをふところからおさな見上みあげている――

つらやな
つらやな
かかなかせ……

 自分じぶんゆすりながらははうたっているのである。おもやつれしているひんのよいははかおは、なしはなみたいに仄青ほのあおかった。なが石垣いしがきには、こけはながポチポチえ、土塀どべいのうえのこずえ黄昏たそがれかけていて、やしきのうちから燈火あかりがもれている。
 ははふたつのまなこから、ぽろぽろとなみだがこぼれ、そのなみだを、嬰児あかご武蔵むさし不思議ふしぎそうにているのである。
 ――てゆけっ。
 ――郷家さとかえれっ。
 ちち無二斎むにさいのきびしいこえいえのうちからひびいてるのだったが、その姿すがたあたらない。ただはははおろおろと、やしきなが石垣いしがきげまわり、ては英田川あいだがわ河原かわらて、かわなかへざぶざぶあるいてゆく。
 嬰児あかご武蔵むさしが、
(あぶない、あぶない)
 と、ははにその危険きけんおしえようとして、ふところでしきりにもがくのであったが、はははだんだんふかふちはいってき、あばれるを、いたいほどきしめて、れているほおをぺたりとほおへつけて、
(――たけぞう、たけぞう、おまえはおとうさんの? おかあさんの?)
 すると、きしのほうで、ちち無二斎むにさいおここえがした。はははそれをくと、英田川あいだがわ波紋はもんしたかげをかくしてしまった。――嬰児あかご武蔵むさしいしころのおお河原かわらほうされていて、月見草つきみそうなかでワンワンいている、ありッたけなこえしていている。
「……あっ?」
 ゆめって、武蔵むさしをさましたが、とろりとするとまた、はは他人たにんか、そのおんなひとかおが、かれゆめをのぞいて、かれをさました。
 武蔵むさし自分じぶんんだひとかおらなかった。ははおもうが、はは面影おもかげえがけない、ただ他人たにんははて、自分じぶんははもあんなひとではなかったろうかなどとおもってみるにぎない。
「……なぜ今夜こんやは?」
 さけもさめ、めて、武蔵むさしはふと天井てんじょうをひらいた。すすけた天井てんじょうに、あかひかり明滅めいめつしていた。――のこりのほのおがそこへうつって。
 ると、ちょうどかれ寝顔ねがおうえあたりに、天井てんじょうからるした風車かざぐるまが、ちゅうにふわりとがっていた。
 土産みやげにと、梅軒ばいけんってたあの風車かざぐるまだった。そればかりでなく、ふとづくと、武蔵むさしかおまでかぶっていた夜具やぐえりにも、母乳ちちのにおいがふかくしみこんでいたのである。――武蔵むさしがついて、こういう周囲しゅういもの気配けはいに、おもいもしなかった亡母ははゆめたのであろうとおもった。そして、なつかしいものとったように、その風車かざぐるま見入みいっていた。

 めてもいない、ねむってもいない、そうしたうつつのあいだに、うすひらいて、仰向あおむいていると、武蔵むさしはふと、そこにげてある風車かざぐるまに、不審ふしんいだいた。
「……?」
 風車かざぐるままわりだしたのである。
 元々もともとまわるように出来できている風車かざぐるまが、まわしたのだ、なんの不思議ふしぎもないはずであるが、武蔵むさしはギクとしたように、夜具やぐなかからおこしかけ、
「……はてな?」
 みみました。
 どこかで、そーとすべおとがする、まると、まわっていた風車かざぐるまは、つばさをしずめて、またぴたとまる。
 このいえ裏口うらぐちを、先刻さっきからしきりとひと出入でいりしていた。あしはこびにも注意ちゅういして、ミシリともせぬほど、それはひそかなものだったが、てにはいってるかすかなかぜは、暖簾のれんをかけてあるいたあいだかよって、ここの風車かざぐるまいとへすぐひびき、鉋屑かんなくず出来できている五色ごしき造花ぞうかが、途端とたんちょう感覚かんかくのように、れたり、おののいたり、まわったり、まったりするのであった。
 ――おこしかけたあたまをそっとまくらへもどして、武蔵むさしは、このいえのうちの空気くうきをじっとからだろうとした。一枚いちまいをかぶって、天地てんち気象きしょうを、ことごとっている昆虫こんちゅうのように、とおった神経しんけいが、武蔵むさしからだきわたっていた。
 自分じぶんいま――どういう危険きけんなかにあるか、武蔵むさしはほぼわかってきた。――しかし、わからないのは、なんのために、自分じぶん生命せいめい他人たにんが――ここのあるじ宍戸梅軒ししどばいけんが、うばおうとしているのか、その理由りゆうつからない。
盗賊とうぞくいえか?」
 最初さいしょは、そうかんがえた。
 けれど、盗賊とうぞくならば、およそ人態にんてい所持品しょじひん多寡たか一見いっけんしてめいっているはずである。自分じぶんがいして、なんの所得しょとくがあるか。
うらみか?」
 それもあたらない。
 武蔵むさしは、結局けっきょくおもたるものをなかった。しかし自分じぶん生命せいめいには刻々こっこくるものがせまってつつあることが益々ますます皮膚ひふかんじられた。――こうしてそのるものの到来とうらいっているのがよいか、ぎゃくに、機先きせんってったほうがよいか、早速さっそく、ふたつにひとつのさくえら必要ひつようにまで、それはすぐそばまでているものと見做みなされた。
 武蔵むさしは、土間どまろした――さき草鞋わらじさぐっている――その草鞋わらじ片方かたほうずつするすると夜具やぐのすそへはいってしまう。
 ――きゅうに、風車かざぐるまはげしく旋回せんかいした。明滅めいめつするひかりをうけて、クルクルと魔法まほうはなみたいにまわった。
 あきらかな跫音あしおとが、いえそとにもいえおくにもきこえた。武蔵むさし寝床ねどこをつつんで、しのびやかにそれはひとつのかこみをつくっていた。――やがて、暖簾のれんのすそから、ぬっと、ふたつのひかった。ひざをついてっておとこ抜刀ぬきみち、一人ひとり素槍すやりって、そっとかべでながら蒲団ふとんのすそのほうへまわった。
「…………」
 寝息ねいきますように、ふたりのおとこは、ふくれている夜具やぐていた。するとまた、暖簾のれんかげから、けむりのように一人ひとりものっていた。宍戸ししど梅軒ばいけんである。ひだり鎖鎌くさりがまち、みぎ分銅ふんどうをつかんでいた。
「…………」
「…………」
「…………」
 と、と、と。
 三人さんにん機微きびいきをあわせると、まずあたまのほうにいたものが、ぽんとまくらとばした、すそのほうにいたおとこはすぐ土間どまへとびりて、やり蒲団ふとんけた。
きろっ、武蔵むさし
 梅軒ばいけんは、分銅ふんどうくさりこぶしを、うしろへいていった。