129・宮本武蔵「火の巻」「風車(1)(2)」


朗読「129火の巻41.mp3」12 MB、長さ: 約 8分 50秒

風車ふうしゃ

 ふゆうみむかって、やきやの縁台えんだいこしかけ、足拵あしごしらえをなおしているのは武蔵むさしであった。
旦那だんなしまめぐりの相客あいきゃくがあるがのう、まだ二人ふたりほどらんのじゃ、ってくださらぬか」
 と、船頭せんどうがそこへってすすめていた。
 かいれたかごうでにかけて、ふたりの海女あま先刻さっきから、
旦那だんなはん、お土産みやげに、かいってかしゃれ」
かいうておくれなされ」
「…………」
 武蔵むさしは、血膿ちうみによごれたあしのボロをいていた。あれほどなやませた患部かんぶは、すっかりねつれもひいて、ひらべったくなっていた。しろかわに、ちりめんじわっているだけだった。
「いらない、いらない」
 って、海女あま船頭せんどう退しりぞけながら、かれは、ふやけたそのあしすなみしめ、波打際なみうちぎわってザブザブとしおなかあしひたした。
 このあさから、かれあし苦痛くつうをほとんどわすれたばかりでなく、からだについても、健康けんこうかんがえないほど健康けんこう気力きりょくちていた。それにともなこころわりかたちがってたことももちろんであるが、彼自身かれじしんは、一本いっぽんあし苦熱くねつなおった事実じじつよりも、今朝けさいだいている心境しんきょうが、昨日きのうよりたしかに一日育いちにちそだっていることのほうを、自分じぶんでもみとめ、また、自分じぶんたいしてのかぎりなきよろこびとしていた。
 つぼやきやのむすめに、かわ足袋たびわせにやり、あたらしい草鞋わらじをつけ、かれあし大地だいちみしめてみた。まだ片足かたあしをひきずるくせがどこか、けないし、多少痛たしょういたもするが、いうにらない程度ていどである。
渡舟わたしものが、呶鳴どなっておりますがの。旦那だんな大湊おおみなとへおしになるのではございませぬか」
 さざえをいている老爺おやじ注意ちゅういされて、
「そうだ。大湊おおみなとわたれば、あれから便船びんせんるはずだな」
「はあ、四日市よっかいちへでも、桑名くわなへでも」
「おやじ、今日きょうはいったい、年暮くれ幾日いくにちであったかなあ」
「はははは、よいご身分みぶんでござらっしゃるの、年暮くれをおわすれか、きょうはもう師走しわす二十四日にじゅうよっかでござりますわい」
「まだそんなものか」
「おわかかたはうらやましいことをっしゃる」
 高城たかしろはま渡船場とせんばまで、武蔵むさしけるようにあるいた、もっとけてみたいがするのである。
 すぐ対岸たいがん大湊おおみなとふねはいっぱいだった。――そのころちょうど、巫女みこたちに見送みおくられて、おつう城太郎じょうたろうとは五十鈴川いすずがわ宇治橋うじばしを、かさり、たがいにわかれをしみつつえていたかもれない。
 その五十鈴川いすずがわみずは、大湊おおみなとくちへながれっているが、武蔵むさしせてゆく渡舟わたしぶね櫓音ろおとは、ただ無心むしん諧音かいおんなみいでく。
 大湊おおみなとからすぐ便船びんせんえるのだった。尾張おわりまでくそのふねには、旅客りょかく大部分だいぶぶんで、左手ゆんで古市ふるいち山田やまだ松坂街道まつざかかいどう並木なみきながら、やんわりとおおきなかぜをつつんで、伊勢いせうみのうちでもおだやかな海岸線かいがんせん悠長ゆうちょうにすすんでいた。
 陸路りくろをとって、おな方角ほうがくへ、街道かいどうあるいているおつう城太郎じょうたろうあしどりと、どっちがはやく、どっちがおそいともいえない。

 松坂まつざかまでけば、この伊勢いせ出身者しゅっしんしゃで、ちかごろの鬼才きさいうたわれる神子上みこがみ典膳てんぜんのいることはわかっているが、武蔵むさしおもとどまって、りる。
 このみなとりるときに、ふとまえあるいてゆくおとここしに、二尺にしゃくほどのぼう武蔵むさしについた。
 くさりきつけてあるのである。くさりさきには分銅ふんどうがついている。そのほかに一本いっぽん革巻かわまき野太刀のたちし、年頃四十二としごろしじゅうにさんはたしかなところ。武蔵むさしにもおとらぬいろくろさのうえがあり、かみあかくてしかもちぢれている。
親方おやかた親方おやかた
 うしろからかれをそうものがなければ、だれがどうても、野武士のぶしとしかえなかったが、ふねから一足ひとあしおくれていついてものると、十六じゅうろく七歳しちさい鍛冶屋かじや小僧こぞうで、はなりょうわきにすすをつけ、かたに、なが鉄槌つちをかついでいた。
ッとくんなさい、親方おやかた
「はやくい」
ふねへ、鉄槌つちわすれちまったんで」
商売道具しょうばいどうぐわすれたのか」
「かついでましたよ」
「あたりまえだ、もしわすれなんぞしたら、あたまはちってやる」
親方おやかた
「うるせえな」
今夜こんやは、とまるんじゃねえんですか」
「まだ、たっぷりがあるから、とまらずにあるいちまおう」
とまりてえな、旅仕事たびしごとときぐらいは、らくをしたいな」
「ふざけるなよ」
 ふねからまちはい旅客りょかくとおみちに、ここでもなく宿引やどひきや土産物屋みやげものやせきつくっている。
 鉄槌つちかついでいる鍛冶屋かじや徒弟とていは、そこでまた、親方おやかた姿すがた見失みうしなってしまい、人混ひとごみなかでキョロキョロしていたが、やがて親方おやかたはそこらのみせについた弄具おもちゃ風車かざぐるまってかれまえあらわれ、
岩公いわこう
「ヘイ」
「これをってけ」
風車かざぐるまですね」
っていると、ひとにぶつかってこわされるから、えりくびにしてあるけ」
「おみやげですか」
「ム……」
 どもがあるとえる。幾日いくにちかの旅仕事たびしごとえてこれからかえいえに、なによりのたのしみが、そのどもの笑顔えがおることなのであろう。
 岩公いわこうえりくびでまわっている風車かざぐるま心配しんぱいえ、親方おやかたは、時折ときおりそれを振向ふりむいてさきあるいてった。
 偶然ぐうぜんにも、武蔵むさしこうとする方角ほうがく方角ほうがくへと、おなみちさきんでく。
(ははあ……)
 そこで武蔵むさしうなずくところがあった。――このおとこにちがいないと。
 けれどまた、世間せけんには、鍛冶屋かじやおおいし、鎖鎌くさりがまびているものすくなくはないので、なおねんのため、あとになりさきになりして、それとなく注意ちゅういしていると、みちは、城下じょうか横切よこぎって、鈴鹿すずか山街道やまかいどう次第しだいにかかってくし、断片的だんぺんてきみみはい二人ふたり会話かいわでも、武蔵むさしはもううたがいなしとおもい、
梅畑うめはたまでおかえりか」
 と、はなしかけてみた。にべのない口吻くちぶりで、
「あ。梅畑うめはたかえるが」
「ではもしや、宍戸梅軒ししどばいけん殿どのではないか」
「ふうむ……よくっているのう。おれは梅軒ばいけんだが、おめえは?」