128・宮本武蔵「火の巻」「冬かげろう(8)(9)」


朗読「128火の巻40.mp3」13 MB、長さ: 約 9分 32秒

 ふえ先生せんせいきゅう旅立たびだつといて、子等之館こらのたち清女せいじょたちは、ひとしくさびしいかおをして、
「ほんと?」
「ほんと?」
 おつう旅姿たびすがたき、
「もうここへはかえらないんですか」
 と、あねわかれるようにかなしんでいう。そこへ城太郎じょうたろうが、
「おつうさん、支度出来したくできたよ」
 とうら土塀どべいそと呶鳴どなる。
 れば、白丁はくちょういで、いつものすそみじか着物きものに、こしには木刀ぼくとうよこたえ、荒木田氏富あらきだうじとみから大事だいじにといわれて、二重三重にじゅうさんじゅうつつんだれい絵巻物えまきものはいっているはこ風呂敷ふろしき背中せなかななめに背負しょいこんでいる。
「まあ、はやいんですね」
 おつうまどからこたえると、
はやいさ。――おつうさんはまだかい、おんなあるくとお支度したくながいからなあ」
 そこのもんからうちへは、おとこのつくもの一歩いっぽはいれない規則きそくなので、城太郎じょうたろうはしばしのあいだぼっこをしながら、かす神路山かみじやまほう欠伸あくびをしていた。
 ちょっとのあいだでも、かれ溌剌はつらつとした神経しんけいは、すぐ退屈たいくつをおぼえるらしく、じっとしていられないらしい。
「――おつうさん、まだ?」
 たちなかでは、
いますぐにきますよ」
 そのおつうも、すっかり支度したくはすんでいたのであるが、わずかふたつきでも起臥おきふしをともにして、しかもよい姉様ねえさまのようにしたしんでいたひとを、たびうばわれるとなると、生徒せいと巫女みこたちは、一抹いちまつ哀愁あいしゅうにとらわれて、なかなかおつうはなさないのである。
「――またまいりますからね、みなさんもご機嫌きげんよう」
 たして、もういちどがあるだろうか、おつうは、うそをついているがする。
 巫女みこたちのうちには、すすりものさえあって、一人ひとりが、五十鈴川いすずがわ神橋みはしのたもとまでおくってこうというと、いちもなくそろって、おつうかこみながらそとた。
「あれ?」
 ると、あんなにいていた城太郎じょうたろうがいないのである。ちいさいくちびるをかざして、巫女みこたちが、
城太じょうたさあん」
城太じょうたさあん」
 おつうは、かれ習性しゅうせいをよくっているので、そう心配しんぱいはせず、
「きっとれったがって、神橋みはしのほうへ、ひとりでさきってしまったんでしょう」
意地悪いじわるね」
 そして一人ひとり彼女かのじょかおをのぞきげながら、
「あの、お師匠ししょうさまの?」
 と、いた。
 おつうわらえなかった。おもわず真面目まじめになって、
なんですって、あの城太じょうたさんがわたしかというんですか。わたしはまだ、初春はるむかえて、やっと二十歳はたちひとすんです。そんなにとしってえますか」
「でも、だれかがいいましたよ」
 おつうは、氏富うじとみはなした世間せけんうわさおもして、ふとまたはらった。けれど、世間せけんのすべてがどういおうと、自分じぶんしんじてくれるもの一人ひとりでいい、あのひとさえしんじてくれたらそれでいいとおもう。
「ひどいや! ひどいや! おつうさんは」
 さきったとおもった城太郎じょうたろうが、そのときうしろのほうからけてて、
ひとたせておいて、だまってさきってしまうなんて。ひどいじゃないか」
 と、くちとがらす。
「だっていないんだもの」
「いなかったら、さがしてくれる親切しんせつぐらいあってもいいだろう。おれは、鳥羽街道とばかいどうのほうへ、武蔵様むさしさまひとったので、オヤッとおもって、ったんだ」
「えっ、武蔵様むさしさまひと?」
「ところが、人違ひとちがいさ、――並木なみきまでて、うし姿すがたると、遠方えんぽうからでもわかるほど片足かたあしをひきずっていやがる。……がっかりしちまッた」

 こう二人ふたりたびあるいていれば、城太郎じょうたろういまめたようなにが幻滅げんめつは、毎日経験まいにちけいけんすることであって、ふとれちがうたもとにも、もしや? とおもい、うし姿すがたているとてはまえけて振返ふりかえり、まち二階家にかいやにチラと人影ひとかげにも、さき渡舟わたしぶねのうちにえるひとなどにも――うまうえかごなか人間にんげん、およそすこしでも武蔵むさし姿すがたをどこかでおもわせるものれば、
(おやっ?)
 と、動悸どうきたせて、それをたしかめるまでの努力どりょくと、はかないあと落胆らくたんに、さびしいかおあわせたことが、何十遍なんじゅっぺんかわからない。
 それゆえに、おつういま――城太郎じょうたろうがひどくがっかりしているほどには、かれはなし執着しゅうちゃくたなかった。
 ことに、あしをひきずったさむらいいたので、こともなげにわらってしまい、
「それは、ご苦労様くろうさまでしたね。たび首途かどでから機嫌きげんわるくすると、しまいまで不機嫌ふきげんがつづくというから、なかをよくしてかけましょう」
「このたちは?」
 と、城太郎じょうたろうは、ぞろぞろいて巫女みこたちをまわして、
「――なんだって、一緒いっしょるんだろう」
「そんなことをいうものじゃありません、名残なごりしんで、五十鈴川いすずがわ宇治橋うじばしまで、見送みおくってくださるんです」
「それは、ご苦労くろうでしたね」
 おつう口真似くちまねをして、城太郎じょうたろうはみんなをわらわせる。
 かれくわえてから、それまでは離愁りしゅうにつつまれて、しめッぽいかおしてあるいていた巫女みこたちのれも、きゅうはなやいで、
「おつうさま、お師匠ししょうさま、そっちへがってはみちがちがいますよ」
「いいえ」
 おつう承知しょうちらしく、玉串御門たまぐしごもんのほうへまわって、はるかな内宮正殿ないぐうしょうでんのほうへむかい、らして、しばらくあたまげていた。
 それをて、城太郎じょうたろうは、
「ア、なるほど、かみさまへお暇乞いとまごいをしてゆくのか」
 と、つぶやいたが、とおくからているだけなので、巫女みこたちは、かれ背中せなかかたゆびいて、
城太じょうたさんは、なぜおがんでないの」
「いやだ、おれは」
「いやだなんて勿体もったいない、くちがりますよ」
「きまりがわるいや」
神様かみさまおがむのがなぜきまりがわるいんですか。町中まちなかにあるがみ流行はやがみとはちがって、自分じぶんたちのとおいおかあさんもおなかみさまとおもえばなにでもないではありませんか」
わかってるよ、そんなこと」
「じゃあ、おがんでらっしゃい」
「いやだよ」
強情ごうじょうね」
「おちゃッぴい! お杓子しゃもじ! だまってろい」
「まあ!」
 それにつれて、おなじおがみがみんな、をまろくして、
「まあ――」
「まあ――」
「ずいぶんこわね」
 そこへ、おつうが、遥拝ようはいをすましてもどってて、
「どうしたの? みなさん」
 われるのをちかまえて、
城太じょうたさんが、わたしたちをお杓子しゃもじですって。――そして、神様かみさまなんておがむのはいやなこッたっていうんですよ」
「いけませんね、城太じょうたさん」
「なにさ」
「いつかおまえはなしには、大和やまと般若野はんにゃので、武蔵様むさしさま宝蔵院衆ほうぞういんしゅうたたかいになろうとしたときは、おもわず、神様かみさま大声おおごえをあげてそらわせたというじゃありませんか。あそこへっておがんでいらっしゃい」
「だって……。みんながてるんだもの」
「じゃみなさん、うしろをいていておげなさい、わたしも、うしろをいているから――」
 と一列いちれつそろって、城太郎じょうたろうのほうへ背中せなかけた。
「……いいでしょう、これなら」
 おつうがいったが、返辞へんじをしないので、そっとうしろほうをのぞいてみると、城太郎じょうたろうあし玉串御門たまぐしごもんまえまでき、そこにって、ぴょこんとお辞儀じぎをしていた。