127・宮本武蔵「火の巻」「冬かげろう(6)(7)」


朗読「127火の巻39.mp3」13 MB、長さ: 約 9分 14秒

「おつうさんか、たせてまなかったの。まあおがり」
 氏富うじとみは、自分じぶん居間いま彼女かのじょみちびいてったが、すわらぬまえに、
「なんじゃ?」
 と、彼女かのじょかかえている大小だいしょうをみはった。
 今朝けさ子等之館こらのたち内塀うちべい蓑掛みのかけに、持主もちぬしれないこの大小だいしょうがかけてあって、ほかの品物しなとちがい、巫女みこたちが気味悪きみわるがるので、自分じぶんとどけにってたのですとはなすと、荒木田氏富あらきだうじとみも、
「ホ? ……」
 しろまゆひそめ、いぶかしげにながめていたが、
参拝人さんぱいにんのものでもないのう」
「ただの参拝人さんぱいにんが、あんなところへはいってるわけはありません。それに、ゆうべはえなかったのに、今朝けさがた稚児ちごたちがつけたのですから、へいなかはいってたのも夜半よなか夜明よあけらしいのです」
「ふウむ……」
 いやかおして、氏富うじとみは、くちのうちでつぶやいた。
「ことによるとわしへおもあたるように、神領郷士しんりょうごうしものが、いやがらせにした悪戯いたずらかもれぬな」
「そんな悪戯いたずらをしそうなもののお心当こころあたりがあるのですか」
「ある! ……じつはおことてもろうたのもその相談そうだんじゃが」
「ではなにか、わたしかかわりのあることで」
気持きもちわるくなさるまいぞ――こういうわけじゃ。おことを、あの子等之館こらのたちいておくのがよろしくないというて、わしのおもうてくれるあまり、わしにってかかる神領郷士しんりょうごうしものがある」
「ま、わたしのために」
「なんの、おことがそうまんかおをする理由わけはちっともない。しかし、世間眼せけんめというものでると――おこりなさるなよ……おことはもうおとこらぬ清女せいじょではない――清女せいじょでもないおんな子等之館こらのたちくのは神地しんちけがすものだと――まアこういうのじゃな」
 氏富うじとみ淡々たんたんはなしているが、おつうのうちには、口惜くやしげななみだがいっぱいにひかった。だれむかっていかりようもないそれは無念むねんさだった。しかしまた、たびれ、ひとれ、そしてあかのように年月古ねんげつふるこいこころにつけて世間せけんをさまよっているおんなを――世間せけんがそうるのはあたまえかもれないともおもう。だが、それにせよ、処女むすめ処女むすめでないといわれることは、しのかた恥辱ちじょくをあびたようにおののくのだった。
 氏富うじとみは、それほどの問題もんだいとはかんがえていないらしい。けれど、ひとくちがとかくうるさいし、もう数日すうじつのうちには初春はるともなるのだから、このへんで、巫女みこたちのふえ指南しなん打切うちきりにしてもらいたい――つまり子等之館こらのたちてくれまいかという相談そうだんであった。
 もとより最初さいしょから長居ながいをするつもりはないし――氏富うじとみにそういう迷惑めいわくがかかっていてはなおさらのことともかんがえ、おつうはすぐ承知しょうちして、ふた月余つきあまりのおんしゃして、今日きょうにもさきたびちまする――とこたえると、
「いや、そういそがいでもよいのじゃが」
 氏富うじとみは、いいしたものの、薄々聞うすうすきいていた彼女かのじょうえに、ひどくどく心地ここちもして、どうなぐさめたものかとあんじるように、まずしげな手文庫てぶんこせて、なにかつつんでいた。
 おつうかげのように、いつのまにかうしろのえんていた城太郎じょうたろうは、そのとき、そっとくびべてささやいた。
「おつうさん、伊勢いせつの。おらも一緒いっしょこうね。――もうここの掃除そうじきしていたところだ、ちょうどいいや、ネ……ちょうどいいよ、おつうさん」

「わしの寸志すんしじゃ……まことに薄謝はくしゃだが、おつうさん、路銀ろぎんのたしにおさめてくだされ」
 手文庫てぶんこまずしいなかから、氏富うじとみは、いくらかのかねをつつんでそこへした。
 おつうは、滅相めっそうもないというかおつきで、れない。子等之館こらのたち巫女みこたちへふえ指南しなんしたといっても、自分じぶんもふたつきほどのあいだ多分たぶんなお世話せわになっている。謝礼しゃれいをいただくくらいならばこちらからも宿料やどりょういてゆかねばなりませんとことわると、氏富うじとみは、
「いやそのかわりに、おつうさんがこれからさき京都きょうとほうまわられたとき、ついでにたのもうしたい用事ようじもあるのじゃから、それも承知しょうちしてもらったり、これもおさめていてもらわねばならん」
「おたのみのことは、なんでもいたしますが、これはおこころざしだけでたくさんです」
 って、さしもどすと、氏富うじとみ彼女かのじょのうしろにいる城太郎じょうたろうつけて、
「オオこれ。それでは、これはおまえにあげるから、道中どうちゅうなん買物かいものでもするがいい」
「ありがとうございます」
 城太郎じょうたろうはすぐして、自分じぶんおさめてしまってあと
「おつうさん、もらっていてもいい?」
 と事後承諾じごしょうだくもとめたので、おつうもせんかたなく、
「すみませぬ」
 とれいをいう。
 氏富うじとみ満足まんぞくして、さて、
たのみというのは、おことたちが、京都きょうとったおりに、これを堀川ほりかわ烏丸からすまる光広みつひろきょうのお手許てもとまでとどけてほしいのじゃが」
 と、かべのちがいだなから、ふたまき絵巻物えまきものろして、
「おととしのころ光広卿みつひろきょうからたのまれて、ようようこのほどきあげたわたしのつたな絵巻えまきじゃが、詞書ことばがき光広卿みつひろきょうあそばして、献上けんじょうするおこころいておる。ただの使つかいや、飛脚ひきゃくものたくしては、それゆえに、こころもとないのじゃ。あめにもよごれぬよう、不浄ふじょうなこともないように、おことたちが、大事だいじにとどけてくれまいか」
 これはまた、おもいがけない大役たいやくと、おつうはちょっと当惑顔とうわくがおであった。しかし、いなむわけにもゆかず承知しょうちすると、氏富うじとみは、べつにつくっていたらしいはこ油紙あぶらがみなどをせ、それをつつんでふうにするまえに、いささか自慢じまんでもあり、また自分じぶん作品さくひん人手ひとでわた名残なごりしまれるらしく、
「どれ、ちょっと、おことたちにも、せてやろうかの」
 と、二人ふたりひざのまえに、その絵巻えまきひろげた。
「ま!」
 おもわずこうおつうこえはなってしまった。城太郎じょうたろうおおきなをして、うえへのしかかるようにくびをつきした。
 まだ詞書ことばがきがついていないので、なん物語ものがたりにしたものかわからないが、そこにかれてある平安朝へいあんちょうころ風俗ふうぞく生活せいかつ土佐流とさりゅうのこまかいふでと、華麗かれい絵具えのぐだの砂子すなこいろどられて、つぎからつぎへと、かさずひろげられてくのであった。
 のわからない城太郎じょうたろうでさえ、
「ああ、このはいいな。このは、ほんとにがっているようだ……」
でさわらずにておいで」
 いきをひそめて、二人ふたりがそれへこころうばわれているところへ、庭口にわぐちからまわって社家しゃけ雑掌ざっしょうが、なにか、氏富うじとみむかってはなしていた。
 氏富うじとみは、雑掌ざっしょうのいうことをいて、うなずきながら、
「ム……そうか、うたがわしいものではあるまい。だがねんのためじゃ、当人とうにんから一札取いっさつとってわたしてやるがよいぞ」
 そういって、おつうがさっきここへかかえて大小だいしょうと、あせくさい武者修行風呂敷むしゃしゅぎょうふろしきとを、その雑掌ざっしょうたせてやった。