123・宮本武蔵「火の巻」「神泉(3)(4)」


朗読「123火の巻35.mp3」13 MB、長さ: 約 9分 47秒

 このくらいな肉体にくたい苦痛くつうてないで、生涯しょうがいてきてるか、と武蔵むさし自分じぶん叱咤しったするのであった。生涯しょうがいはおろかなこと、やがてちかには、吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうとその一門いちもんという大敵たいてきあたらなければならない。
 吉岡方よしおかがた自分じぶんとの事情じじょうは、かなり険悪けんあくでまた複雑ふくざつ事情じじょうにある。今度こんどという今度こんどこそは、さき一門いちもん実力じつりょく体面たいめんげて自分じぶんへかかってるにちがいない、必殺ひっさつじんいて、きたるべきを、
いまやおそし)
 とかれらは、ぐすねいて、ちかまえているに相違そういないのだ。
 よくつよがったさむらいが、念仏ねんぶつのようにいう、必死ひっしとか、覚悟かくごなどという言葉ことばも、武蔵むさしかんがえからすると、るにらないごとのようにおもえる。
 およそひとなみのさむらいが、こういう場合ばあいいたったとき必死ひっしになることなどは、当然とうぜん動物性どうぶつせいである。覚悟かくごのほうは、やや高等こうとうこころがまえであるが、それとても、覚悟かくごならば、そうむずかしいことではない。どうしてもなねばならぬ事態じたいむかえられてする覚悟かくごだとすれば、なおさら、だれもすることである。
 かれがなやむのは、必死ひっし覚悟かくごてないことではなく、つことなのだ。絶対ぜったい信条しんじょうをつかむことである。
 みちとおくない――
 ここから京都きょうとまで、四十里よんじゅうりとはあるまい、すこしかかとばせば、三日みっかついやさずにくことが出来できる――だが、こころそなえは、幾日いくにちかかったら出来できるというものではない。
 すでに名古屋なごやから吉岡方よしおかがたへ、決戦状けっせんじょうしてあるが、そのあとで、武蔵むさしは、
はできているか。きっとちきることができるか)
 と、自分じぶん自分じぶんむかってただしてみると、遺憾いかんながら、こころすみ一脈いちみゃくもろそうみとめないわけにかなかった。
 それはなにかというと、やはり自身じしん未熟みじゅく自身知じしんしっていることだった。かれは、自分じぶんがまだけっして達人たつじんいきにも名人めいじん境地きょうちにもいたっていない、未完成みかんせい人間にんげんであることをよくっている。
 奥蔵院おくぞういん日観ひかんにあい、柳生やぎゅう石舟斎せきしゅうさいおもい、また、沢庵坊主たくあんぼうず出来できていることをかんがえても――いかに自分じぶん価値かちたかこうとしても、
未熟みじゅくだ)
 と、自分じぶん粗質そしつをばらばらにほぐして、その弱点じゃくてんきょ多分たぶん見出みいださずにいられない。
 そういう未熟みじゅくな――まだ出来できあがっていない自分じぶんしすすめてって、必殺ひっさつめている多数たすうてきなかはいってゆくのだ。しかもとうというのだ。――兵法者へいほうしゃたるものの根本的こんぽんてき本義ほんぎとして、いかによくたたかっても、たたかっただけではよい兵法者へいほうしゃとはいわれない、くまでつ! くまで天寿てんじゅまっとうするまでいて、この見事みごと生命せいめいふとせんえがいてせなければ、兵法者へいほうしゃとして一人前いちにんまえきたものとはいわれないのである。
 武蔵むさしは、ぶるいして、
「おれはつ!」
 こえして、神林しんりんをさけびながらあるした。
 五十鈴川いすずがわ上流じょうりゅうむかって――
 磊々らいらいかさなっているいわのあいだを、かれは、原始人げんしじんのように、いすすんでくのだった。おのれたためしのない太古たいこ渓谷林けいこくりんには、おとのしないたきがかかっていた。滝水たきみずみな氷柱つららになってこおっているのである。

 いったい、どこへ、なに目的もくてきにして、武蔵むさしはそんな努力どりょくしてくのか。
 はだかで、神泉しんせんよくしたばちがあたって、ほんとにでもふれたたのではなかろうか。
なにを。なにを」
 おにのような血相けっそうなのである。いわじ、ふじづるにつかまって、巨岩大石きょがんたいせきを、あしした征服せいふくしてゆく一歩一歩いっぽいっぽ努力どりょくというものは、到底とうていなまやさしい意志いしでやれる仕事しごとでない。それにだいなる目的もくてきがかかっていなければ、正気しょうき沙汰さたということはできない。
 五十鈴川いすずがわ一之瀬いちのせから、約十五やくじゅうご六町ろくちょう渓谷けいこくは、あゆすらものぼれないといわれている岩石がんせき奔湍ほんたんである。それからさきは、さる天狗てんぐのほかは、けそうもない断崖だんがいだった。
「ウム、あれだな鷲嶺わしは」
 かれ精神状態せいしんじょうたいのまえには、不可能ふかのうというかべえないらしい。
 大小だいしょう持物もちものを、子等之館こらのたちいてたのはこのへん用意よういであったとみえる。武蔵むさし断崖だんがいふじづるへッついた。一尺一尺いっしゃくいっしゃくちゅうへよじのぼってゆくのであった。人間にんげんちからとはえない。なに宇宙うちゅう引力いんりょく一箇いっこ地上ちじょう物体ぶったい徐々じょじょげているようにえる。
「ようしっ」
 征服せいふくした断崖だんがいうえで、武蔵むさし大声おおごえっていった。五十鈴川いすずがわしろいながれのすえから二見ふたみうらなぎさまで、もうそこからははるかにしたえたのだ。
 きっと、かれをやった前方ぜんぽうには、夜気やきけむっている疎林そりんなかへ、嶮峻けんしゅんわしだけすそをひいていた。――いたあしをかかえてていた旅籠はたご一室いっしつから、毎日まいにちのようにあおいでいた、わない鷲嶺わしのすがたへ、かれいま、こうして肉薄にくはくしてたのである。
石舟斎せきしゅうさいだ、このやまは)
 武蔵むさしは、そうおもって、ここまでた。――あのがっているあしてて、勃然ぼつぜんと、旅籠はたごし、神泉しんせんびて、ここへじてかれ目的もくてきは、はじめてそのらんらんとしたあきらかになっている。――ようするに、かれのおそろしいけんそこには、いまだに、柳生やぎゅう石舟斎せきしゅうさいという巨人きょじんが、あたまかさをかぶせられているようで、になってならないらしいのである。
 ために、このやまのすがたが、なんとなく石舟斎せきしゅうさいのようにえ、あしわずらいになやんでいる自分じぶんを、毎日まいにちあざけるかのように睥睨へいげいしているやまかたちが、忌々いまいましくて、
わないやまだ)
 と、数日すうじつおもつもっていたので、その鬱憤うっぷんをかかえて、一気いっきに、いただきへよじのぼり、
(これでもか、石舟斎せきしゅうさいめ)
 と、土足どそくにかけて、みにじってやったら、さだめし、さばさばするだろう。またそれくらいな、自信じしんがつかめなければ、京都きょうとつちんで、吉岡方よしおかがたとの試合しあいに、どうして勝目かちめがあるか。
 くさこおりも、武蔵むさしあしにかかるもの、てきでないものはない。――つかけるか! 一歩一歩いっぽいっぽ勝敗しょうはいへの呼吸こきゅうであった。神泉しんせんなか氷化ひょうかした五体ごたいが、いま熱泉ねっせんのように毛穴けあなから湯気ゆげてていた。
 行者ぎょうじゃものぼらないというわしだけ赤肌あかはだへ、武蔵むさしは、きついていた。あしがかりをさがして、あしいわへかかると、くずれてゆく砂岩すないわが、ふもとの疎林そりんなかとどろいた。
 百尺ひゃくしゃく――二百尺にひゃくしゃく――三百尺さんびゃくしゃく――武蔵むさしかげはだんだんそらちいさくなってく。白雲はくうんてつつみ、白雲はくうんるたびに、そのかげそらのものとなっていた。
 鷲嶺わし巨人きょじんのように、かれのすることを冷然れいぜんていた。