122・宮本武蔵「火の巻」「神泉(1)(2)」


朗読「122火の巻34.mp3」14 MB、長さ: 約 10分 19秒

神泉

 保元物語ほうげんものがたりえる伊勢武者いせむしゃたいらの忠清ただきよは、この古市ふるいち出生しゅっせいとあるが、いまは、並木なみき茶汲ちゃくおんなが、慶長けいちょう古市ふるいち代表だいひょうしていた。
 たけはしらい、筵編むしろあみの揚蔀あげじとみに、色褪いろあせたとばりなどめぐらして、並木なみきまつかずほど白粉おしろいおんなたちがていて、
ってかっしゃれ」
ちゃなど、あがりゃんせ」
「そこな若衆わかしゅ
たびしゅう
 往来おうらい旅客りょかくをつかまえて、真昼まひるよるがなかった。
 内宮ないぐうくには、いやでもくちさがないおんなれのびたり、たもと用心ようじんをしながらあるかなければかれない。山田やまだ武蔵むさしもまたこわまゆくちびるって、いたあしをひきずりながら、鈍々どんどんと、片足かたあしをひきずってここをとおった。
「あれ、武者修行むしゃしゅぎょうさん」
あしをどうなされた」
いやしてあげよ」
「さすってあげよ」
 おんなたちは、とおせんぼして、武蔵むさしたもとをとらえ、かさをつかまえ、うでくびをとり、
「そんなこわかおしたらよいおとこが、だいなしになるがな」
 といった。
 武蔵むさしかおをあからめて、なにもいいずただうろたえた。かれは、こういうてきにはなんそなえもないようだった。しきりとあやまってばかりいる。その生真面目きまじめないいわけを、おんなたちはまた、ひょうみたいで可愛かわいらしいといってわらう。そしてしろ暴力ぼうりょくはやまないのである。武蔵むさしはいよいよ狼狽ろうばいして、見栄みえもなく、られたかさてたまました。
 おんなたちのわらごえが、並木なみきそらをどこまでもいてるようながした。武蔵むさしはあのしろれにあらされた容易よういしずまらないでこまった。
 かれ女性じょせいというものにけっして無感覚むかんかくではいられない。かれながたびのあいだに、何処どこでもそういうこまった。あるは、そのために、ぐるしくなることさえあった。白粉おしろいのにおいをおもってあばれるめころすようにおさえてねむ努力どりょくは、けんまえてきとはちがってかれも、どうすることもできないのである。このせい心焔しんえんからだじゅうをいて、がえりばかりってかすよるには、おつうのおもかげさえみにく欲情よくじょう対象たいしょうに、おもしてみるほどだった。
 ――さいわいにも、かれいま片方かたほうあしいたかった。すこ無理むりけたので、そのあしは、まるで熔鉄ようてつなかみこんだように、かっかとねつって、一歩いっぽごとに、激痛げきつうあしうらからけてる。
 こういたむのは、覚悟かくごまえたことである。風呂敷ふろしきづつみのようにおおきくしばった片足かたあしは、げるたびに、全身ぜんしんちからようした。――そのためあかくちびるや、蜂蜜はちみつのようにねばや、甘酢あまずかみのにおいやらが、すぐあたまからって、かれは、つねかれかえっていた。
(くそ! くそ!)
 一歩一歩いっぽいっぽ粘土ねんどむようだった。あせひたいににじんでる。全身ぜんしんほねが、ばらばらになるかとおもう。
 だが、五十鈴川いすずがわながれをえ、内宮ないぐうへ、一歩入いっぽはいると、なに人心地ひとごこちがまるでかわっていた。くさてもても、ここにはかみかんじるのであった。――なにごとのおわしますかはらねども――とり羽音はおとまでがひとのものではなかった。
「ウムム……」
 武蔵むさしついに、苦痛くつうえかねたのであろう、風宮かぜのみやまえまでると、大杉おおすぎへ、うめきながら、たおれて、自分じぶんあしをじっとかかえた。

 んでいしってしまったかのように、武蔵むさしはいつまでもうごかなかった。からだなかからはんでふくがった患部かんぶのようなみゃくち、からだそとからは十二月じゅうにがつよる寒気かんきがひしひしとはだした。
「…………」
 武蔵むさしはやがて知覚ちかくうしなっていた。一体いったい、どういうかんがえのもとに、突然とつぜん旅籠はたご寝床ねどこってしてしまったのだろうか。こういうくるしみをするのは当然とうぜんわかっていたことである。
 蒲団ふとんなか自然しぜんあしなおるのをっていてはてしがないから――という病人びょうにん癇癪かんしゃくからとすれば、無茶むちゃはなはだしい沙汰さただ、あまりといえば乱暴らんぼうである、くるしむだけで、そののよけいにわるくなるのはれきっている。
 だが、精神せいしんだけはおそろしくりつめているらしい。そのうちにかれは、はッとくびもたげた。するどで、虚空こくうをにらんだ。
 虚空こくうには、神苑しんえんすぎ巨木きょぼくが、ごうっとなくくらかぜっていた。――がいま武蔵むさしみみをいたく刺戟しげきしたのは、そのかぜあいだながれてた――しょう篳篥ひちりきふえとを合奏あわせた古楽こがく調しらべであった。
 さらになお、みみをすますと、そのかなでのうちに、やさしい童女わらべたちの唱歌しょうかれる。
 シダラ ウテト
 テテガノタマエバ
 ウチハンベリ
 ナラビハンベリ
 アコメノソデ
 ヤレテハンベリ
 オビニヤセン
 タスキニヤセン
 イザセンイザセン
 ――くそっ! とまたしても武蔵むさしくちびるんで、無理むりちあがった。自分じぶんからだが、にかわのようにままにならないらしい。風宮かぜのみや土塀どべいへ、両手りょうてをかけ、かにのようによこあるいてゆく。
 彼方あなたれるしとみから、天界てんかい音楽おんがくきこえるのだった。そこは、子等之館こらのたちといって、大神宮だいじんぐうつかえる可憐かれん清女せいじょたちがいえだった。おおかた、天平てんぴょうむかしのようにしょう篳篥ひちりき楽器がっきをならべて、その清女せいじょたちが、神楽かぐら稽古けいこをしているのであろう。
 むしあゆむように、武蔵むさしちかづいてったのは、その子等之館こらのたち裏口うらぐちらしかった。なかのぞいてみたが、だれもいないのである。――でかれは、かえってそれを気易きやすおもったように、おび大小だいしょうはずして、武者修行風呂敷むしゃしゅぎょうふろしきとともにひとつにからげ、へいうち蓑掛みのかけのくぎへ、あずけるようにかけておいた。
 丸腰まるごし空身からみになると、武蔵むさしりょうを、こしほねてて、すぐ片足かたあしをひきずってどこかへった。
 ほどてからである。
 そこから六町ろくちょうほどはなれている五十鈴川いすずがわいわのほとりに、一人ひとり裸形らぎょうおとこが、こおりって、ざぶざぶとみずびていた。
 さちいに神官しんかんづかないからよいようなものの、もし見咎みとがめられたら、
不審者ふしんしゃめっ)
 と、しかばすにちがいない。
 それほどに、はだかおとこ水浴みずあびは、はたからると異常いじょうなかんじにえた。太平記たいへいきというほんによれば、そのむかし、この伊勢地方いせちほうには、仁木義長にっきよしながという弓矢ゆみや大馬鹿者おおばかものがいて、神領三郡しんりょうさんぐんって、ここを占領せんりょうし、五十鈴川いすずがわさかなってらったりし、神路山かみじやまたかはなって小鳥ことりにくあぶったりして、おおいに武威ぶいうたっているうちにへんになったというおとこはなしがあるが――今夜こんや裸男はだかおとこに、その悪霊あくりょううつったのではあるまいか。
 やがてかれ水禽みずどりのように、いわうえにあがってからだ着物きものこんだ。――それは武蔵むさしであった。
 びんは、そそけって、ひとすじひとすじ、はりのようにこおっていた。