121・宮本武蔵「火の巻」「山川無限(5)(6)(7)」


朗読「121火の巻33.mp3」19 MB、長さ: 約 13分 46秒

 っとなる気持きもちをどうしようもない。はるばるこの山里やまざとまで鍛冶屋かじや女房にょうぼうわらわれにたようなものである。どこの女房にょうぼう亭主ていしゅ社会的位置しゃかいてきいちというものはみな誤認ごにんしているらしいが、この女房にょうぼうごときは、自分じぶんものほどえらひとはないときめているらしいからこわい。
 喧嘩けんかもできず、武蔵むさしは、
「お留守るすか、それは残念ざんねんな。たびへとっしゃったが、たびはどこまで?」
荒木田様あらきださまへ」
荒木田様あらきださまとは」
伊勢いせ荒木田様あらきださまらねえでか。ホ、ホ、ホ、ホ」
 とまたわらう。
 ぶさをほおばっていた嬰児あかごがむずかると、女房にょうぼうは、土間どまきゃくなどはわすれたさまで、

ねんねしょうとて
ねるはかわい
きてなく
つらやな
つらやな、かかなかせ

 なまりのある子守歌こもりうたふしさえつけてうたっている。
 のあるのがせめてつけものである。だれたのまれてたわけでもなし、あきらめるほかはないのだが、
「ご内儀ないぎ、そこのかべにかけてあるのが、ご使用しよう鎖鎌くさりがまですか」
 それを一見いっけんしておくのも後学ごがくのためであるとかんがえて、っててもさしつかえないかというと、女房にょうぼうはうつらうつら手枕てまくら居眠いねむりと子守歌こもりうたのあいだに、ふム……といってあいまいにうなずく。
「よろしいか」
 武蔵むさしをのばして、その一挺いっちょうかべ角掛つのかけからはずし、って仔細しさいた。
「――なるほど、これが近頃ちかごろだいぶもちいられている鎖鎌くさりがまか」
 ただにぎってみれば、こしにもせる一尺四寸いっしゃくよんすんほどのぼうぎない。ぼうさきかんからながくさりれていて、そのくさりはしには、ぶんとれば、人間にんげん頭蓋骨ずがいこつくだくにてつたまがついている。
「ははあ、ここからかまるのか」
 ぼうよこにミゾがってあって、なかひそんでいるかまひかっている。つめをかけてすと、かまよこおこして、これはゆう人間にんげんくびくことのできる刃渡はわたりをそなえているのだった。
「ム……こう使つかうのだな」
 ひだりかまち、みぎにくさりのついた鉄球てっきゅうをつかんで、武蔵むさしかりてきをそこに想像そうぞうしながら、かまえをつくって、ひとかんがえていた。
 するとふと、手枕てまくらはずしてこっちへをくれた女房にょうぼうが、
「なんじゃあ、まあ、そのかたちは」
 と、ぶさをしまいながら土間どまりてて、
「そんなかたちしていたら、すぐ太刀たちった相手あいてられてしまう。鎖鎌くさりがまというのはこうかまえるのじゃ」
 武蔵むさしからくると、そのつまらない百姓鍛冶屋ひゃくしょうかじや女房にょうぼうがひたと鎖鎌くさりがまって、たい仕型しかたせた。
「あっ……」
 武蔵むさしおもわずをみはった。
 ぶさをしてそべっているところをたのでは、牝牛めうしのようなおんなにしかえなかったが、鎖鎌くさりがまってかまえると、立派りっぱで、端厳たんげんで、その姿すがたでさえあった。
 また、さばのようにあおぐろいかま刃渡はわたりには、宍戸ししど八重垣流やえがきりゅうってある文字もじもあざやかにまれるのだった。

 あっ見事みごとなと、武蔵むさしいよせられた途端とたんに、鍛冶かじ女房にょうぼうはもうすぐ仕型しかたかまえを、からだからして、
「ま、こんなものじゃ」
 鎖鎌くさりがまをがらがらと一本いっぽんぼうにまとめて、もとかべへかけてしまった。
 武蔵むさし彼女かのじょのしたかたを、記憶きおくするがなかったのを、ひそかに遺憾いかんにして、
(もういちどたいが)
 とおもったが、女房にょうぼうはさしたるかおもなく、きぬたかたづけたり、あさかしぎの仕掛しかけをしたり、台所だいどころのほうでガチャガチャ水仕事みずしごとせわしない。
(あの女房にょうぼうですら、あれほどな心得こころえがあるとすれば、亭主ていしゅ宍戸梅軒ししどばいけんというおとこうではどれほどか?)
 武蔵むさし病気びょうきのように、きゅうにその梅軒ばいけんというおとこにあいたくなってた。――だがあの女房にょうぼうのいうには、良人うち梅軒ばいけんは、伊勢いせ荒木田あらきだとかいうひといえっていて留守るすだという。
 伊勢いせて、荒木田様あらきださまらないのか、とさっきもわらわれたことだが、はじをしのんで、馬子まごにそっといてみると、
大神宮だいじんぐうさまのお守人もりゅうどじゃ」
 と、馬子まごは、ふいごのそばのかべりかかって、いいあんばいにぬくもりながら、もう半分眠はんぶんねむっていながらいう。
伊勢神宮いせじんぐう神官しんかんか、そこへったのならすぐわかる、よし……)
 勿論もちろんそのよるは、むしろのうえにごろである、それも、鍛冶かじ小僧こぞうきて、土間どまをあけるともうていられない。
馬子まご、ことのついでに、山田やまだまでのせてゆくか」
山田やまだへ」
 馬子まごをみはる。
 だが、きのうのぶん駄賃だちん無事ぶじにもらったので、そのほう不安ふあんはない、こうということになって今日きょうもまた、武蔵むさしうまにのせて、松坂まつざか、やがて伊勢大神宮いせだいじんぐうへの何里なんりとつづく参道並木さんどうなみきがたた。
 ふゆであるにしても、街道かいどう茶屋ちゃやはひどくさびれていた。並木なみき大木たいぼくが、風雨ふううたおれたまま、いくつもよこたわっていた。旅客りょかくかげうますずれである。
 禰宜ねぎ荒木田家あらきだけへ、武蔵むさし山田やまだ旅籠はたごからいあわせてみた。――宍戸梅軒ししどばいけんというもの逗留とうりゅうしているかいなかを。
 すると、荒木田家あらきだけ執事しつじからの返辞へんじには、そういうものとまっていない、なにかのちがいであろう――とある。
 武蔵むさしは、失望しつぼう同時どうじに、あしきずいたみをおもした。くぎんだ傷口きずぐちはおとといころよりひどくれている。
 豆腐粕とうふかすしぼった温湯ぬるゆあらうとよいとおしえられて、武蔵むさしあく旅籠はたご一日いちにちそれをかえしていた。
(もう今年ことし師走しわす中旬なかば
 そうかんがえると、武蔵むさしは、豆腐とうふくさい焦々いらいらしてきた。すでに吉岡家よしおかけてての決戦状けっせんじょうは、名古屋なごやから飛脚ひきゃくたくしてしてあるのだ。まさか、そのになって、あしいためているからなどとは意地いじでもいえない。
 その期日きじつも、てき都合つごうまかせといってやってある。なおほか約束やくそくもあるし、正月しょうがつ一日ついたちまでには、どうでも五条ごじょうはしだもとまでっていなければならない。
伊勢路いせじへまわらずひとすじにけばよかった」
 かるいをいだきながら、だらいにひたしているあしこうていると、あし豆腐とうふのようにふくれて気持きもちがする。

 こういう家伝かでんくすりがありますとか、この油薬あぶらぐすりをつけてごろうじませとか、旅籠はたごものはいろいろ療法りょうほうこうじてくれるが、武蔵むさしあしは、つほどれをして、片足かたあしはまるで材木ざいもくのようなおもさをかんじ、夜具やぐしたれるとねつ激痛げきつうえなくなる。
 つくづくかんがえてみると――
 かれはまだ物心ものごころついてから、病気びょうきというもので三日みっかたことのおぼえがない。幼少ようしょうときあたま脳天のうてんに――ちょうど月代さかやきあたりちょうという腫物できものわずらって、いまでもあざのようなくろあとのこしているので、かれつね月代さかやきらないことにきめているが――そのほかに病気びょうきらしい病気びょうきはしたことがなかった。
やまいもまた人間にんげんにとっては強敵きょうてきだ。こいつを調伏ちょうふくするけんなにか?)
 かれてきは、つねに、かれそとにばかりはいなかった。四日よっかばかり仰向あおむけにたままでいる瞑想めいそう課題かだいに、そんなことをかんがえたりしたが、
(あと幾日いくにち
 と、年暮くれせまこよみ吉岡道場よしおかどうじょうとの約束やくそくおもおよぼすと、
(こんなことはしていられない)
 肋骨あばらは、さかん心臓しんぞうおさえるため、よろいのようにってて、おもわず、材木ざいもくのようにれているあしで、がばと蒲団ふとん退けてしまう。
(このてきにすらてないで、吉岡一門よしおかいちもんてるか)
 病魔びょうまくつもりで、無理むりかしこまってすわってみる。――いたい。るほどいたいのだ。
 まどむかって、武蔵むさしをつぶっている。かっかとあかくなったかおがやがてめてくる。かれ頑固がんこ信念しんねんに、病魔びょうまけて、幾分いくぶんあたまがすずやかになったらしい。
 をひらくと、まどからすぐに、外宮げぐう内宮ないぐう神林しんりんひらけている。そのうえ前山まえやま、すこしひがしあたって朝熊あさまやまえ、それをつなやまやまとのかたあいだから、群山ぐんざん睥睨へいげいするように、突兀とっこつとして、けんのような一峰ひとみねのぞまれた。
鷲嶺わしだな」
 武蔵むさしは、そのやまにらみあった。仰向あおむけにながら毎日見まいにちみていたわしたけである。かれなんとなくこのやまると闘志とうしかんじるのだった。征服慾せいふくよくてられるのであった。四斗樽よんとだるのようにれたあしをかかえてていると、なんとなくわないがしてならないやま傲岸ごうがんさである。
 衆山しゅうざんいて、白雲はくうんのうえに、超然ちょうぜんとしている鷲嶺わしあたまさきていると、武蔵むさしは、柳生やぎゅう石舟斎せきしゅうさいのすがたがおもされてならない。石舟斎せきしゅうさいという人物じんぶつは、おそらくあんなかんじの老人ろうじんではないかとおもう。――いやいつのまにかかれは、わしだけというやま石舟斎せきしゅうさいそのもののようながしてて、はる雲表うんぴょうから、自分じぶん意気地いくじなさを、あざけわらわれているかのようながするのだった。
「…………」
 やまにらめッこしているあいだわすれていたが、ふとわれにかえると、かれはまた鍛冶かじふいごなかッこんでいるようなあしてあまし、
「ウウム、いたい」
 おもわずひざしたからよこして、自分じぶんものでないようなふとくてまるあしくびにまゆをしかめた。
「――おいっ、おいっ」
 武蔵むさしはその激痛げきつうくような語勢ごせいで、旅籠はたご女中じょちゅうを、不意ふいてた。
 なかなかないので、かれはまた拳固げんこふたみったたみをたたいた。
「おいっ、だれかいないか。……すぐ出立しゅったつするから、勘定かんじょうをしてくれい。それと弁当べんとう焼米やきまい丈夫じょうぶ草鞋わらじさんぞくほど、支度したくをたのむぞ」