120・宮本武蔵「火の巻」「山川無限(3)(4)」


朗読「120火の巻32.mp3」15 MB、長さ: 約 10分 51秒

 がたいものはひとである。この人間にんげんえすぎているくらいなものだが、ほんとのひとらしいひとにはじつがたい。
 武蔵むさし世間せけんあるいて痛感つうかんするのだった。そういうなげきをもつたびに、かれむねには沢庵たくあんおもされた。――あの人間にんげんらしい人間にんげんを。
がたひとにおれはかつて出会であっているのだ、めぐまれたものといわなければならない、そして、その機縁きえんにしてはならない)
 かれのことをおもうと、武蔵むさしいまでも両手りょうてうでくびから五体ごたいがずきずきといたんでる。ふしぎなこのいたみは、千年杉せんねんすぎこずえさらされたあのとき神経しんけいが、まだそのまま生理的せいりてき記憶きおくなかきている証拠しょうこであった。
いまにみろ、おれが沢庵たくあん千年杉せんねんすぎしばりあげて、地上ちじょうから悟道ごどういてくれるぞ)
 かれはいつもそうおもった。うらみではない、報復ほうふくではない、そんな感情かんじょううえからではなく、武蔵むさしは、ぜんによって人生じんせい最高さいこうもうとする沢庵たくあんたいして、自分じぶんけんによって、どこまで沢庵たくあんうえいたることができるかということを、じつにすばらしい宿望しゅくもうひとつとしてむねそこいだいているのだった。
 もしああいうかたちはとらなくても、自分じぶん道境どうきょうがめざましい進歩しんぽげて、沢庵たくあんをかりに千年杉せんねんすぎのこずえにくくって、地上ちじょうからかれむかって、かれもうをひらいてやるような叱咤しったあたえるがあったら、沢庵たくあんこずえうえからなんというだろうか。
 武蔵むさしはそれをきたいとおもう。
 おそらく沢庵たくあんは、
善哉よいかな! 満足満足まんぞくまんぞく
 とよろこぶにちがいない。
 いや、あのおとこのことだから、そう素直すなおにはいわないだろう。からからとわらって、
豎子じゅし! やりおる)
 というか。――なんでもよい、武蔵むさしかれたいする恩義おんぎとして、どういうかたちでもよいから沢庵たくあんのあたまへ一度いちど、ぐわんと自己じこ優越ゆうえつしめしてみたい。
 だがそれは他愛たあいのない武蔵むさし空想くうそうだった。彼自身かれじしんいまひとつのみちはいりかけているだけに、いかに人間にんげんがあるところへ到達とうたつしようとするみち永遠えいえん至難しなんなものであるかを、ことごとにはじめていたのである。――それだけに、
沢庵たくあんほどには)
 と、空想くうそうこしれる。
 まして、ついわなかったけれど、柳生谷やぎゅうだに剣宗けんそう石舟斎せきしゅうさいあたりのたかさをおもいくらべると、口惜くやしくても、かなしくても、自分じぶんなどのまだあおッぽいことがあまりにもわかってくるのだった。兵法へいほうだの、みちだのと、くちにするのも気恥きはずかしくなって、くだらない人間にんげんばかりにえた世間せけんが、きゅうひろくなりおそろしくなり、そしてにわかに、
いまから小理窟こりくつはやい、けん理窟りくつじゃない、人生じんせい論議ろんぎじゃない、やることだ、実践じっせんだ)
 まっしぐらに武蔵むさし山沢さんたくはいりこむ。かれやまなかこもってどういう生活せいかつをやっているか、それはかれやまからさとるすがたをるとほぼさっしがつく。
 そんな時彼ときかれおもて鹿しかみたいにほおげている。五体ごたいのあらゆるところに、きずだのきずつくっていた。たきたれるのであぶらけのなくなったかみはパサパサにちぢれ、つちうえねむるのでだけが不思議ふしぎしろさをっていた。そして人間にんげんさとむかって、おそろしく傲岸ごうがん信念しんねんやしながら、相手あいてとするにものさがしにりてるのだった。
 ――いまがちょうど、桑名くわなしたそういう一人ひとり相手あいてを、これからたずねてゆく途中とちゅうであった。およ鎖鎌くさりがま達人たつじん宍戸梅軒ししどばいけんなるものが、このがたいほうの人間にんげんか、それともざらにある米喰こめくむしか、まだ初春はるまでには十日とおかあまりの余日よじつがあるので、これから京都きょうと出向でむたびのつれづれに、ひとつためしてみようという気持きもちで。

 武蔵むさし目的もくてきいたのは、もうよるふか時刻じこくだった。
 馬子まごろうねぎらって、
かえってもよい」
 駄賃だちんあたえてろうとすると、馬子まごのいうには、いまさらこんな山奥やまおくからかえりようもない。あさがたまで、旦那だんながこれからたずねてゆくいえ軒下のきしたでもりてやすみ、あさになってから鈴鹿峠すずかとうげくだってきゃくひろってかえったほうががいいし、それにまた、なんともこうさむくてはもう一里いちりあるくのはつらいという。
 そういわれてみればこのあたりは伊賀いが鈴鹿すずか安濃あの山々やまやまのふところで、どっちをいてもやまばかりだし、そのやまのいただきには、しろゆきがある。
「では拙者せっしゃのさがすうちをおまえも一緒いっしょたずねてくれるか」
宍戸梅軒様ししどばいけんさまのおうちで」
「そうだ」
「さがしましょう」
 その梅軒ばいけんというのは、このあたり百姓ひゃくしょう鍛冶かじということであるから、昼間ひるまならすぐわかろうが、もうこの部落ぶらくではきている燈火ともしびひとあたらない。
 ただどこかで先程さきほどから、こーん、こーん、とこおっている夜空よぞらにひびくきぬたおとがある。それをてに二人ふたりあるいて、ようやくひとつのあかりをた。
 さらにうれしかったことには、そのきぬたおとのしているいえが、百姓鍛冶ひゃくしょうかじ梅軒ばいけんいえだった。のき古金ふるがねがたくさんんであるのでもわかったし、くろにいぶっているひさしは、どうあっても鍛冶屋かじやいえでなければならない。
たずねてくれ」
「へい」
 馬子まごさきけてはいってった。なかひろ土間どまであった。仕事しごとはしていないがふいごかこいにはあかえさかっていた。そして、一人ひとり女房にょうぼうほのおけて夜業よなべぬのっているのだった。
「こんばんは、ごめんなすって。――アアだ、これはたまらぬ」
 見知みしらないおとこはいってて、いきなりふいごのそばのにしがみついたので、女房にょうぼうきぬため、
「どこのしゅうだえ、おめえは」
「へい、今話いまはなしますよ。……じつはお内儀ないぎ、おめえさまのうちの旦那だんな遠方えんぽうからたずねてたおきゃくせて今着いまついたのじゃ。わしは桑名くわな馬子まごだがね」
「ヘエ? ……」
 女房にょうぼう武蔵むさしのすがたを無愛想ぶあいそ見上みあげた。ちょっと、うるさいまゆをしてせたのは、ここへも屡々しばしばやってくる武者修行むしゃしゅぎょうおおいのだろう。そういう旅行者りょこうしゃ厄介者やっかいものをこの女房にょうぼうあつかれていることが様子ようすえる。三十さんじゅうがらみでちょっと美麗きれいおんなであったが、どこか横柄おうへいに、武蔵むさしむかって、子供こどもへものをいいつけるように、
「うしろをおめ、さむかぜがふきこむと、どもが風邪かぜをひくがな」
 といった。
 武蔵むさしあたまげ、
「はい」
 と素直すなおにうしろの板戸いたどめた。そしてさて――ふいごのそばの切株きりかぶこしかけて、このくろ細工場さいくばと、そこからすぐむしろいてある三間みまほどなこのいえなかまわしてみると、なるほど、かべ一端いったんに、かねてうわさくところの鎖鎌くさりがまというつけない武器ぶきが、およそじゅっちょうほど、いたちつけてある角掛つのかけけてある。
(あれだな?)
 こういう武器ぶきと、こういう一種いっしゅ武術ぶじゅつあってくことも、修行しゅぎょうひとつと武蔵むさしかんがえてたのであるから、それをるとすぐかれひかりちがっていたに相違そういない。
 きぬた木槌きづちしたへおくと女房にょうぼうはぷいとってむしろうえへあがった。ちゃでもかしてくれるのかとおもうと、そこにいてあるのみ蒲団ふとんなか手枕てまくらよこになって、ぶさをふくませながら、
「そこのわかいおさむらい、おめえっちはまた、うちの良人ひとにぶつかって、ものずきに、へどをきにやってなしたのかよ。だが生憎あいにくうちの良人ひとたびているので、生命いのちびろいしたようなものだげな」
 と、わらっていうのであった。