118・宮本武蔵「火の巻」「物干竿(7)(8)」


朗読「118火の巻30.mp3」15 MB、長さ: 約 10分 38秒

 自分じぶんまであいだ解決かいけつするものと、清十郎せいじゅうろう安心あんしんしていたのである。ところが、その危険きけんは、すぐせまってた。
 ひどい暴剣振ぼうけんふりである。物干竿ものほしざお突進とっしんしてた。いきなり清十郎せいじゅうろうっているうま脾腹ひばらこうとする。
岸柳がんりゅうてっ」
 こう清十郎せいじゅうろうたかさけんだ。そしてあぶみにかけていた片足かたあしをすばやくくらうえうつし、そのくらるがごとくったとおもうと、うま前髪まえがみ美少年びしょうねんおどえて、つるはなれたのように彼方かなたし、清十郎せいじゅうろうからだ反対はんたいに、三間さんけんうしろへぽんとりていた。
「――あざやかッ」
 と、めたのは、味方みかたではなくて、てき前髪まえがみ美少年びしょうねんだった。
 物干竿ものほしざおなおして、清十郎せいじゅうろうのほうへ一躍いちやくしながら、
いま所作しょさてきながらよいたしなみ、さっするところ吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうそのひとた。よいおりだ――いざッ」
 けて物干竿ものほしざおさき炎々えんえんたる闘志とうしかたまりであった。清十郎せいじゅうろうからだにはさすが拳法けんぽう嫡子ちゃくし、それをけるだけの余裕よゆうきたえたものが十分じゅうぶんえる。
岩国いわくに佐々木小次郎ささきこじろう、さすがにたかい。いかにも自分じぶんこそは清十郎せいじゅうろうであるが、理由りゆうもなく、其許そこもと刃交はまぜをする意思いしたぬ。――勝負しょうぶはいつでもけつしられる。なんの意趣いしゅでこの始末しまつか、まず退たまえそのかたなを」
 最初さいしょ清十郎せいじゅうろうが、岸柳がんりゅうんだときには、みみにもはいらなかったらしいが、二度目にどめにはあきらかに岩国いわくに佐々木ささきをさしたので、前髪まえがみは、
「や! ……わしを、岸柳佐々木小次郎がんりゅうささきこじろうとは、どうしてごぞんじあるのか」
 とおどろきにたれた。
 清十郎せいじゅうろうは、ひざって、
「やはり、小次郎殿こじろうどのであったか」
 と、いいながらまえすすんでた。
「――おにかかるのは、もとよりはじめてだが、おうわさは常々詳つねづねくわしくいていた」
だれに?」
 と、すこし茫然ぼうぜんとしたように小次郎こじろうはいう。
其許そこもと兄弟子あにでし伊藤弥五郎いとうやごろうどのから」
「お、一刀斎いっとうさいどのとご懇意こんいか」
「ついこの秋頃あきごろまで、一刀斎いっとうさいどのは、白河しらかわ神楽かぐらおかあたり一庵いちあんをむすんでおいであった。屡々しばしば、こちらよりもおとずれ、先生せんせい時折ときおり四条しじょう拙宅せったくってくだされたりなどして」
「ホウ! ……」
 小次郎こじろう笑靨えくぼつくって、
「ではまんざら、貴公きこうともただの初対面しょたいめんではない」
一刀斎いっとうさいどのはなにかというと、よく其許そこもとうわさをなされていた。――岩国いわくにに、岸柳佐々木がんりゅうささきしょうするものがある。自分じぶん同様どうように、富田五郎左衛門とみたごろうざえもんのながれをみ、鐘巻自斎先生かねまきじさいせんせい師事しじしたもので、同門どうもんなかでは一番いちばん年下とししたではあるが、末天下すえてんか自分じぶんあらそものかれよりほかにはあるまいと――」
「だがそれだけで、この咄嗟とっさにわしを佐々木小次郎ささきこじろうとは、どうしておわかりあったか」
「まだとしばえもおわかいことや、人柄ひとがらはこうこうなどと一刀斎いっとうさいどのからうかがっていたし、また其許そこもとが、岸柳がんりゅうごうされているいわれもくわしく承知しょうちしているので、その長剣ちょうけん自由じゆうになさるさまをときすぐ、もしやとむねかんだので、推量すいりょうにいってみたのがはからずもほんとをいいあててしまったわけ」
だ! これは奇遇きぐう
 小次郎こじろう快哉かいさいをさけんだがふと、ぬられた物干竿ものほしざお自分じぶんにながめると、この始末しまつ一体いったいどうしたものかとおもまどった。

 はなしあえばおたがいにうものがあったのであろう。それから時経ときへて、毛馬堤けまづつみうえを、佐々木小次郎ささきこじろう吉岡清十郎よしおかせいじゅうろう二人ふたりさきって、旧知きゅうちのようにかたならべ、そのあとから植田良平うえだりょうへい三名さんめい門人もんじんが、さむそうにいて、京都きょうと方角ほうがくをかけてあるいて姿すがた見出みいだされる。
「いや、はじめからこっちは、みょうられた喧嘩けんかなので、なにもことをこのんだわけではちっともない」
 と、これは小次郎こじろうのいいぶん
 清十郎せいじゅうろう小次郎こじろうくちからしたしく祇園藤次ぎおんとうじ阿波通あわがよいの船中せんちゅうでした振舞ふるまいや、のちかれ行動こうどうなどおもいあわせ、
しからぬおとこだ、かえったら糾明きゅうめいせねばならぬ。――其許そこもとうらむどころか、此方このほうこそ、門下もんかどもの統御とうぎょ不行届ふゆきとどなんとも面目めんぼくない」
 そういわれると、小次郎こじろう謙譲けんじょうしめさねばならなくなって、
「いやいや、わしもこのような性質せいしつものでございますゆえ、ずいぶん大言たいげんくし、喧嘩けんかなら退かぬかまえでだれへでも応対おうたいするから、あながち門人衆もんじんしゅうばかりがわるいわけではありません。――むしろ吉岡流よしおかりゅう体面たいめんおもってやった今夜こんやものたちは、生憎あいにくうでのほうはどれもこれも貧弱ひんじゃくですが、その心根こころねいたっては、むしろ不憫ふびんなものがある」
拙者せっしゃわるい」
 清十郎せいじゅうろうは、自責じせきしながら、沈痛ちんつうかおをしてあるいていた。
 そちらにふくむところがなければ一切いっさいみずながそう――と小次郎こじろうがいうと、
ねがってもないことだ。かえって、これをごえんに、将来しょうらいはご交誼こうぎをねがいたい」
 と、清十郎せいじゅうろうおうじていう。
 二人ふたりちとけた様子ようすまえながら、弟子でしたちはほっとした気持きもちあとからつづいていた。――一見いっけんからだおおきなンちみたいな前髪まえがみ美少年びしょうねんが、伊藤弥五郎一刀斎いとうやごろういっとうさいつねに、
岩国いわくに麒麟児きりんじ
 と、くちきわめてたたえていた岸柳佐々木がんりゅうささきであろうとだれがちょっとおもあたろうか。祇園藤次ぎおんとうじかるめてそこなったのも、あながち無理むりはないがするのである。
 それとわかって、いまさら、きもさむうしているのは、その小次郎こじろう愛剣物干竿あいけんものほしざおさきからいのちびろいをした植田良平うえだりょうへいやほかのものどもで、
(これが、岸柳がんりゅうか)
 と、まなこあらためて、その人間にんげん幅広はばひろ背中せなか見直みなおして、なるほどそうってかられば、どこかに非凡ひぼんなところがあると、いまさら、自分じぶん見識けんしきあささをもあわせてみとめている。
 やがて、以前いぜん毛馬村けまむら船着場ふなつきばると、そこには物干竿ものほしざお犠牲ぎせいになったいくつかの死骸しがいがもう寒天かんてんこおっていた。死骸しがい後始末あとしまつ三名さんめいにいいつけてき、植田良平うえだりょうへいさきげてったうまつけていてる。――また、佐々木小次郎ささきこじろうしきりと口笛くちぶえをふいて、懐中ふところれたれいの小猿こざるんでいた。
 口笛くちぶえくと、小猿こざるはどこからかあらわれて、かれかたへとびついた。――ぜひぜひ四条しじょう道場どうじょう逗留とうりゅうしてもらいたいというので、吉岡清十郎よしおかせいじゅうろう自分じぶん乗馬じょうば小次郎こじろうへすすめたが、小次郎こじろうはかぶりをって、
「それはいけない。わたしはまだあおくさい一介いっかい若輩じゃくはいだし、貴公きこうはいやしくも平安へいあん名家吉岡拳法めいかよしおかけんぽう嫡男ちゃくなん門人数百もんじんすうひゃく一流いちりゅう御宗家ごしゅうけだ」
 と、うま口輪くちわって、
遠慮えんりょなくおめしなされ、ただあるくより口輪くちわってあるいたほうがあるきよい。おことばにあまえて、しばらくのあいだお世話せわにあずかるとして、京都きょうとまでこうしてはなしながらおともいたそう」
 傲慢不遜ごうまんふそんかとおもうと、礼儀れいぎもわきまえている小次郎こじろうだった。――やがて今年ことしれて初春はつはるむかえるとすぐ、宮本武蔵みやもとむさしなる人間にんげん出会であわなければならない宿題しゅくだい清十郎せいじゅうろうは、おりからこの小次郎こじろうという人物じんぶつをわがむかえる機縁きえんをひろって、なにかにこころづよいがしてるのだった。
「ではおさき失礼しつれいして、あしつかれたころにはかわるといたそう」
 かれもまた、そう礼儀れいぎをして、くらうえうつった。