117・宮本武蔵「火の巻」「物干竿(5)(6)」


朗読「117火の巻29.mp3」13 MB、長さ: 約 9分 15秒

 まえものうしろのものかたかえした。出鼻でばな先頭せんとう一人ひとりが、てき大太刀おおたちいっさつに、無造作むぞうさ目前もくぜんげたのをると、あと六名ろくめいものは、途端とたん脳中枢のうちゅうすう正確せいかくいて、行動こうどう統一とういつ全然ぜんぜんうしなってしまった。
 しゅうはこうなるといちよりもろい。それにはんしてった前髪まえがみ美少年びしょうねんは、竿さおとよぶほどびの長剣ちょうけんで、つぎものよこなぐった。
 こしぐるまはれなかった。しかしなぐられただけでも十分じゅうぶんにこたえたにちがいない。なに一声吠ひとこえほえてその一人ひとりは、よこびにあしなかびこんでしまう。
(――つぎっ)
 とまわしたときは、さしもたたか下手べた同勢どうぜいも、さとってかたちえ、五弁ごべんはなしんをつつむように、このてきひとりをかこんでいた。
退くな」
退くなよ」
 味方同士みかたどうしが、こうはげましあうのだった。そこで多少勝たしょうか見出みいだしたいきおいをって、
小童こわっぱめが!」
 勇気ゆうきというよりはもう無自覚むじかく忘恐ぼうきょうがなす仕業しわざである。このさい多言たごん必要ひつようはないのに、
「おもいれっ」
 さけびをかさねて一人ひとりびかかってった。ろしたかたなはかなりふかはいったつもりであるのに、前髪まえがみてきむねへはまだ二尺にしゃくほども手前てまえ空間くうかんげていたのである。
 当然とうぜん自信じしんちすぎたそのかたなさきは、カチッといしった。かたな持主もちぬしはすでに自分じぶんからあなさかさにくびんでったかのような姿勢しせいになり、こじりあしうらたかげて、てきまえさらしてしまった。
 だが、易々やすやすあしもとの敗者はいしゃらずに前髪まえがみ美少年びしょうねんは、をかわしたはずみにはずみをくわえて、ぶうんと横側よこがわてきあたってた。
「ぐわッ」
 あきらかな末期まつごのさけびがまたひとつそこであがった。するともう二度にど陣形じんけいなお気力きりょくうしなって、あと三名さんめいはわらわらとつながってした。
 げる姿すがたへ、人間にんげんもっと殺伐さつばつ猛気もうきがおこる。物干竿ものほしざお両手りょうてって、
「それが吉岡よしおか兵法へいほうかっ」
 前髪まえがみいかけた。
「きたないぞ、かえせっ」
 ののしりをびせかけながら、かれあしめなかった。
てっ、てっ、わざわざひとふねからげておいて、ててげるさむらいがどこにあるかっ。このままげるにおいては、京八流きょうはちりゅう吉岡よしおか天下てんかわらってやるがよいか」
 わらってやるぞということばは、さむらいさむらいげる場合ばあい最大さいだい侮辱ぶじょくなのだ。つば以上いじょうはずかしめなのだ。――だがもうげてゆくものみみへはそれもこたえない。
 そのころちょうど毛馬堤けまづつみを、寒々さむざむと、うますずってた。霜明しもあかりとよど水明みずあかりは、提灯ちょうちん必要ひつようとしないほどだった。馬上ばじょう人影ひとかげも、うましりについて徒歩かち人影ひとかげも、しろいきいて、さむさをわすれていたかのようにさきいそいでいる様子ようすである。
「あっ」
御免ごめんっ」
 われて三名さんめいは、うまはなづらへつかりそうになって、きりきりまいをしながらうしろを振向ふりむいた。

 あわてて手綱たづなしぼったので、うま足掻あがきしていなないた。馬上ばじょうものは、うままえ戸惑とまどいしている三名さんめいをのぞいて、
「やっ、門下もんかども」
 意外いがいかおしたが、すぐはらをたてて、しかりつけた。
「たわけめ、どこに終日ひねもすうろついていたのだっ」
「ア、若先生わかせんせいですか」
 するとまた、うまかげからまえ植田良平うえだりょうへいが、
何事なにごとだそのざまは。若先生わかせんせいのおともをしてながら、若先生わかせんせいかえるのもらず、また、さけうえ喧嘩けんかか。馬鹿ばかもいい加減かげんにしてあるけ」
 いつものでまたさけうえ喧嘩けんかかとられたのではたまらない。三名さんめい不平ふへいちた語気ごきで、それどころか自分じぶんたちは、当流とうりゅう権威けんい師匠ししょう名誉めいよのためにたたかって、かくかくの始末しまつと、したかわいているし、狼狽ろうばいもしているので、おそろしい早口はやくちをもって一息ひといきげ、
「あれ、あれへ、や、やってました」
 と、ここへちかづいて跫音あしおと振顧ふりかえって、恟々きょうきょうたるいろになる。
 その弱腰よわごしをながめて、植田良平うえだりょうへいは、愛想あいそをつかし、
「なにをさわぐか、くちほどもない。それでは当流とうりゅう汚名おめいをそそぐつもりでしたことも、かえってどろ上塗うわぬりだわ。――よしっ、おれがってやろう」
 と、馬上ばじょう清十郎せいじゅうろうもその三名さんめいうしろたせて、ひとりだけ十歩じゅっぽほどまえにすすみ、
御座ござんなれ、前髪まえがみ
 身構みがまって、ちかづく跫音あしおとっていた。
 ――とはろうはずもなく前髪まえがみは、れいの長剣ちょうけんわせながら、あしかぜおこして、
「やアいっ、てっ。げるのが吉岡流よしおかりゅう極意ごくいか。わしは殺生せっしょうしたくないが、この物干竿ものほしざおが、まだまだとつばりして承知しょうちせぬ。かえせ、かえせ、げてもいいが、その首置くびおいてけっ」
 毛馬堤けまづつみうえをこうばわりながら、いましもそのかげはここへちゅうんでる。
 植田良平うえだりょうへいつばしてかたなにぎなおした。疾風しっぷういきおいにある前髪まえがみ美少年びしょうねんは、そこにくっしていた良平りょうへいはいらないのか、あたまうえンづけるような足幅あしはばであった。
「――わッしょっ」
 っていた良平りょうへいうでうなって、こう大喝だいかつをくれながら地摺ちずりに大刀だいとうはらげた。あわせた両手りょうてびてったさきは、ほしったようにたかあがったにぎない。美少年びしょうねんからだ片脚立かたあしだちにまって、ぎりっと反対はんたいのほうへまわって振向ふりむいたとおもうと、
「オヤ、新手あらてか」
 た、た、た、とのめって良平りょうへい物干竿ものほしざおをぶんとかえした。
 はげしいのなんのといって、植田良平うえだりょうへいはまだかつてこんな剣気けんきかれたためしらない。その殺風さっぷうからわしたかわりに、かれ毛馬堤けまづつみから田圃たんぼのほうへころがっていた。さいわいに、どてひくいし、こおっている田圃たんぼであったが、戦機せんきはずしてしまったことは勿論もちろんである。ふたたびどてうえときには、てきかげ獅子しし奮迅ふんじんえた。長剣物干竿ちょうけんものほしざおひかりが、門下もんか三名さんめいばし、さらにすすんで、馬上ばじょう吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうせまろうとしている。