116・宮本武蔵「火の巻」「物干竿(3)(4)」


朗読「116火の巻28.mp3」14 MB、長さ: 約 9分 52秒

 三十石船さんじゅっこくぶねなかざわめきが、おかからながめていてもにとるようにわかった。さあことだぞといろうしなった様子ようすなのである。
 きしけたらなにはじまるにちがいない。おかあるいている七名ななめいさむらいは、そういえばみなはかまをくくりあげたすきをかけ、かたなりをたせている。
船頭せんどう返事へんじをするな」
「なにをいうてもだまっておれ」
守口もりぐちまではけぬがよい、守口もりぐちけば川番所かわばんしょのお役人やくにんがいるで」
 きゃく口々くちぐちにこうささやいて生唾なまつばをのんでいた。さきらずぐちをたたいたおとこなどはくちをとじてをすくめた。おかかわなかとのへだてがなによりのたよりであった。
 おか七名ななめいは、船脚ふなあし並行へいこうしてどこまでもついてた。しばらくだまってているのは、こっちでどうるかをっているらしい。しかしいつまでもこたえがないので、
「――きこえたか。小猿こざるれた洟垂はなた武士ぶしふなべりろ、ふなべりへ」
 すると、ふねのうちで、
「わしのことか」
 なにさきでいってもこたえるなといいあっていたきゃくのうちから、突然とつぜん、こうこたえてふなべりった若者わかものがあった。
「おうっ」
「いたな」
小僧こぞうめ」
 そのかげみとめて、りく七名ななめいいたり、ゆびさしたり、ちかければみずわたってもやってそうな気勢きせいしめしている。
 物干竿ものほしざおとよぶ大太刀おおたち背中せなかって、前髪まえがみ人影ひとかげはじっとっていた。すぐあしもとのふなべり水明みずあかりが、とがっているしろせた。
小猿こざるれている前髪まえがみ青二才あおにさいとあれば、わしよりほかにないが、各々おのおの何者なにものだ。かせぎのない野武士のぶしたちか、それとも、はらった旅芸人たびげいにんか」
 こえかわわたってると、
「なにっ」
 七名ななめいきしかおそろえて各々おのおのぎしりをみながら、
かしたな、さるつかい
 悪罵あくばは、順々じゅんじゅんに、その口々くちぐちからして、川面かわもった。
のほどらずが、いまづらいて、あやまるなよ」
「われわれをなんだとおもう。いまくちは、吉岡清十郎門下よしおかせいじゅうろうもんかのわれわれとってか、らずにか」
「ちょうどよい、をのばして、その細首ほそくびあらっておけ」
 ふね毛馬堤けまづつみへかかっていた。
 ここにはもやぐいとホッ小屋ごやがある。毛馬村けまむら船着ふなつきて、七名ななめいは、ばらばらとそこへ先廻さきまわりして降口おりぐちやくしてっていた。
 ――だがふねとお河心かしんまっていて、ぐるぐるまわっているのだった。きゃく船頭せんどうも、事態じたい容易よういならぬものをあんじて、けないほうが無事ぶじであると主張しゅちょうしているらしいのである。吉岡門下よしおかもんか七名ななめいはそれをて、
「こらッ、なぜけぬ」
明日あす明後日あさってけずにいられるか。あと後悔こうかいするな」
「そのふねせぬと、りおうているやつばら、一人ひとりあまさずるぞ」
小舟こぶねって、こみむがよいかっ」
 あらゆるおど文句もんくをそこからはなっていると、やがて、三十石船さんじゅっこくぶねへさき此方こなたきしなおるとともに、
「やかましいっ!」
 沍寒ごかん大河たいがくような一声いっせい彼方あなたにあって――
のぞみにまかせて、いまそれへまいってやるから、こしのつがえをさだめてっておれ」
 れば前髪まえがみ若者自身わかものじしんが、水馴みなざおって、しきりとめる船頭せんどうきゃく尻目しりめに、ぐいぐいとさおみずってこなたのきしふねすすめてるのであった。

「――るぞ」
命知いのちしらずめが」
 つかをかけて、七名ななめいは、ふねのぶつかってきしあたりの岸辺きしべかこんでいた。
 かわよこに、すぐ流紋りゅうもんってふね剣舳けんさきであった。不動ふどうって、そこにっている前髪まえがみ美少年びしょうねん姿すがたが、いきめてきしちかまえている七名ななめいものひとみへ、ぐうっとせまるにしたがって、いっぱいなおおきさにうつった――と、おも途端とたんにである。
 ざ、ざ、ざっ、ふねあしどろへさきッこんで、自分じぶんたちのむねへどんとたように、七名ななめいかかと無意識むいしきにズズッとうしろ退さがった。それとともに、ふねへさきからまるっこい動物どうぶつかげが、五間ごけんほどもはばのあるふねきしとのあいだあしぬまをぽーんとんで、七名ななめいのうちのだれ一人ひとりくびたまおどりかかったのである。
「ひゃっッ」
 一人ひとりさけぶと、七名ななめいから七本ななほん白光びゃっこうが、さやだっして、そらいた。
さるだっ」
 とがついたのは、すでにくう一撃いちげきしてからで、それをとうてきである前髪まえがみ飛躍ひやく錯覚さっかくしてあわてたのは、かれ自身じしん不覚ふかくみとめたらしく、
「あわてるな!」
 と、おたがいをいましった。
 かかいになるまいと、ふね一隅ひとすみへかたまってちぢがっていた乗合客のりあいきゃくは、かれらの狼狽ろうばいぶりに、こわばっていた神経しんけいのどこかをくすぐられたが、だれもくすりともこえさなかった。
 ただ、あれっ――といったものがある。ると、自分じぶん水馴みなさおいていた前髪まえがみ美少年びしょうねんが、そのさおを、あしなかにとんといたとおもうと、さきんだ小猿こざるよりもかるく、はずみをあたえた自分じぶんからだを、きし彼方あなたなんなくおくっていたのであった。
「やっ?」
 すこし方角ほうがくちがったので、七名ななめい一斉いっせいにそっちへなおった。さんざんちかまえていたことではあるが、咄嗟とっさ場合ばあいのない焦心あせりがどのかおにもッつれていた。えんつくって相手あいてせまいとまがなく、そのまま、きし沿ってだっとむかってったので、当然とうぜんかれらの陣形じんけい縦隊たてたいになり、それをけるところの前髪まえがみ少年しょうねんをして、十分じゅうぶん気構きがまえをたせる余地よちあえあたえてしまった。
 さきになってしまった縦隊たてたいものかしらは、もうひるんでも退しりぞけない位置いちである。途端とたん充血じゅうけつみみきこえなくなっていた。平常へいじょう剣法けんぽう修練しゅうれんなどはてんで意識いしきにものぼらないのである。カッときだして、いつくように前髪まえがみかげかたなしてった。
「…………」
 たださえおおきい美少年びしょうねん体躯からだは、そのとき、つまさきがるようにむねり、右手みぎてをぐっとかたうえにやった。っている大刀だいとうにぎったのである。
吉岡よしおか門人もんじんどもだといったな。のぞむところだ。さきには、まげだけでゆるしてくれたが、おもうに、それでは物足ものたらないのであろう、わしもすこし物足ものたらぬ」
「ほ、ほざいたなっ」
「どうせ手入ていれにやるこの物干竿ものほしざお手荒てあらにつかうぞっ」
 こう宣言せんげんをうけながら、そのまえこわばっていた人間にんげんは、げることができなかった。まるで据物すえもの同然どうぜんに、物干竿ものほしざお長剣ちょうけん梨割なしわりにそのもの死骸しがいにしてしまった。