114・宮本武蔵「火の巻」「旧約(2)(3)」


朗読「114火の巻26.mp3」13 MB、長さ: 約 9分 30秒

「おうだれだ? ――清十郎せいじゅうろうはこれにおるが」
 あわててさかいのふすまをめ、何気なにげないていをつくっていると、
植田良平うえだりょうへいでござる」
 物々ものものしいたびいでたちのおとこが、ほこりびた姿すがたのまま、障子しょうじけてそのはしこしかけた。
「あ、植田うえだか」
 なにしにここへたのだろうかと清十郎せいじゅうろうはまずうたがった。植田良平うえだりょうへいというのは、祇園ぎおん藤次とうじ南保余一兵衛なんぽうよいちべえ御池みいけ十郎左衛門じゅうろうざえもん小橋こばし蔵人くらんど太田黒おおたぐろ兵助ひょうすけなどという古参門下こさんもんかとともに、吉岡よしおか十剣じゅうけん自称じしょうしている高弟こうていのうちの一名いちめいだった。
 こんどの小旅行しょうりょこうには、勿論もちろんそういう股肱ここう弟子でしれてていない。植田良平うえだりょうへい四条道場しじょうどうじょうのこっていたほうである。――それが、みれば旅装たびそう騎馬支度きばしたくで、かなり急用きゅうようらしい血相けっそうでもある。留守中るすちゅうがかりはたくさんあるが、ここまで良平りょうへい鞭打むちうってるほどの急用きゅうようは、まさか年暮くれせまっての負債ふさいとか相談そうだんともおもわれない。
なんだ。なにかわしの留守中るすちゅうおこったのか」
「すぐ若先生わかせんせいにも、おかえねがわなければなりませぬゆえ、このままでもうしあげます」

「ム……」
「はてな」
 植田良平うえだりょうへいは、内懐中うちぶところ両手りょうてれて、なに自分じぶんはだをあたふたさぐっていた。
 ――と、ふすましに、
いやアっ――畜生ちくしょうっ――あっちへゆけっ」
 うつつにまで、ひる悪夢あくむにおびやかされているのであろう、朱実あけみの、さけびが、囈言うわごとともおもえないほど、生々なまなましいのろいをおびてひびいた。
 良平りょうへいはびっくりして、
「あっ……なんです、あれは」
「いや……朱実あけみが……ここへてからちとからだをわるくし、ねつのせいか、時折ときおり、うわごとをいうのだ」
朱実あけみですか」
「それよりは急用きゅうようのほう、こころがかりじゃはやこう」
「これです」
 腹帯はらおびそこからやっとした一通いっつう書面しょめんをそこへす。
 おんないてった燭台しょくだいを、良平りょうへいはずっと清十郎せいじゅうろうのそばへおくった。
 何気なにげなくおとして、
「あっ……武蔵むさしからだの」
 良平りょうへいこえちからをこめて、
「そうです!」
開封かいふうしたか」
急展きゅうてんとありますので、留守居るすいものはかりあって、一読いちどくいたしました」
「な、なんともうしてまいったのか」
 清十郎せいじゅうろうはすぐそれをにとれなかった。――他人ひとうまでもなく彼自身かれじしんむねになければならない宮本武蔵みやもとむさしだったが、おそらくは、二度にどとはあのおとこが、自分じぶんたいして書面しょめんをよこすことなどはありまいと多寡たかをくくっていたのである。その気持きもち今裏切いまうらぎられて、愕然がくぜんと、かれほねぼねのずいこおりのようにけてったので、全身ぜんしんはだなんとはなくあわしょうじて、にわかに、清十郎せいじゅうろうはそれをひらいてみる心地ここちず、しばらくただそこにいてているのであった。
 いきどおったくちびるみしめて、良平りょうへいはこういった。
「――ついにやってきました。このはる、ああは豪語ごうごしてったものの、よもや二度にどとは京都きょうとあしぶみいたすまいとおもっていたのに――よくよくな慢心者まんしんしゃ――約束やくそくとあって――御覧ごらんなさい、吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうどのほか御一門ごいちもんと、名宛なあても不敵ふてきに、新免宮本武蔵しんめんみやもとむさしと、ただ一人名前ひとりなまえで、つけてよこしたそのはたじょうを」

 武蔵むさしいま、どこにいるのか、居所いどころしたためてないので、その書面しょめんからはべくもない。
 どこからにしても、かれわすれずに、吉岡一門よしおかいちもん師弟していたいしてこう約束やくそく履行りこうせまってたからには、もうかれ吉岡家よしおかけとのあいだは、つかたれるかの交戦状態こうせんじょうたいはいったものとおもわなければならない。
 試合しあいは――はたいだ――はたいは生命いのちるかるかの大事だいじを、さむらいけん面目めんぼくしてなすことだ、口先くちさき小手先こてさきわざせではない。生命せいめいをそこへしてすることなのだ。
 それを、当面とうめん吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうらないでいるのは危険きけんかぎりである。また安閑あんかんとそのせまるまであそくらしていていいものではない。
 京都きょうとにある硬骨けんこつ弟子でしのうちには、清十郎せいじゅうろう行状こうじょうにあいそをつかして、
(この場合ばあい沙汰さたかぎりだ)
 とおこっているものがあるし、
拳法先生けんぽうせんせいにおわせば)
 と、悲涙ひるいをふるって、一介いっかい武者修行むしゃしゅぎょうからあたえられた侮辱ぶじょくたいしてがみをしているものもあった。
 で、りあえず、
(ともかくおみみれて、すぐさま京都きょうとってい)
 という人々ひとびと意見いけんびて、植田良平うえだりょうへいはここへうまんでたわけであるが、そのかんじんな武蔵むさしからの書面しょめんを、どうしたわけか、清十郎せいじゅうろうひざのまえにいてながめているだけで、容易よういひらいてようとはしない。
「とにかく、御一覧ごいちらんを」
 ややれて、良平りょうへいがいうと、
「む……これか」
 やっとって、清十郎せいじゅうろうした。
 んでゆくうちにかれ指先ゆびさきにかすかなふるえがかくされなかった。――それは武蔵むさし文字もじ文面ぶんめんがさまでにはげしいからではなかった。彼自身かれじしんこころいまほどもろよわりきっているときはなかったのである。ふすまごしにきこえる朱実あけみ囈言うわごとは、かれにも多少たしょう平常ふだんにあったさむらいこころがまえというものを、まったく泥舟どろぶねみずひたったようにくつがえしていた。
 武蔵むさしからのその内容ないようはまた、いたって簡明かんめいなもので、こういてある――

以来御健在イライゴケンザイナリヤ
ヤク依而ヨッテココショてい
貴剣キケンサダメシ御鍛養ゴタンヨウ被存候ゾンゼラレソウロウ貧生ヒンセイマタイササ鍛腕タンワンシテマカリアリソウロウ
御見ギョケンハイ場所バショ何処イズコ何日イツトキ如何イカニ。
当方構トウホウカマエテノゾミナシ、タダ尊示ソンジシタガッテ旧約キュウヤク勝敗ショウハイケツセントゾンズルアルノミ。
ハバカリナガラ正月中七日ショウガツチュウナノカマデノアイダ五条ゴジョウ橋畔キョウハンマデ、御返答高札下ゴヘントウコウサツクダサルベクソウロウ
     がつ   にち

  新免宮本武蔵政名しんめんみやもとむさしまさな

「すぐかえる」
 清十郎せいじゅうろう文殻ふみがらをたもとへむとそういってがった。――さまざまにもつれる気持きもちが、もうすこしでもかれをそこへじっとしてかせなかった。
 あわただしく旅舎やどものぶ。かねあたえて、朱実あけみ身体からだあずかっておいてくれとたのむと、旅舎やどでは迷惑顔めいわくがおであったが、いやともいいれないでついにひきうける。
 ――このいえを、このいやなばんを、のがしてしまいたいのが、清十郎せいじゅうろう気持きもちにはいっぱいだった。
「そちのうまりるぞ」
 あわただしい旅支度たびじたくは、やがてげるように、うまくらッついた。植田良平うえだりょうへいうまって、くら住吉すみよし並木なみきしていた。