111・宮本武蔵「火の巻」「わすれ貝(7)無常(1)」


朗読「111火の巻23.mp3」14 MB、長さ: 約 10分 13秒

 ふと清十郎せいじゅうろうえているて、朱実あけみはからだがこわばってしまった。
「…………」
 無意識むいしき退きかけたが、かれは、彼女かのじょくびをはなさない。いたいほどにぎりしめ、
「なぜげる?」
 とがめるようにひたいあおすじをてる。
げやしません」
「きょうはみな留守るすなのだ、こういうおりはまたとない。そうだろう朱実あけみ
「なにがです」
「そう棘々とげとげしくいうな。もうおまえと馴染なじんでから一年いちねん、おれの気持きもちもわかったはず、おこうはとうに承知しょうちなのだ。おまえがおれにしたがわないのは、おれにうでがないからだとあの養母おふくろはいっている。……だから今日きょうは」
「いけません!」……突然とつぜん朱実あけみして、
「――はなしてください、このをこのを」
「どうしても」
いやいやいやですっ」
 くびはれそうにあかくなってくる。それでも清十郎せいじゅうろうはなさないのである。こういう場合ばあい京八流きょうはちりゅう兵法へいほう応用おうようされては、いかに彼女かのじょあらそっても無駄むだであろう。それにまた、きょうの清十郎せいじゅうろうはいつもとややちがっていた。いつも自暴やけさけ仰飲あおってしつこくからむのだが、きょうは酒気しゅきはないし、青白あおじろかおをしているのだった。
「――朱実あけみ、おれをこうまで意地いじにさせて、おまえはまだ、おれにはじをかかすのか」
らないっ」
 朱実あけみついに、
「あたし、おおきなこえしますよ。はなさないと、みんなをぶからいい」
んでみい! ……。このむね母屋おもやからはなれているし、だれるなとことわってあるのだ」
「わたしかえります」
かえさん!」
「あなたのからだじゃありません」
「ば、ばかっ。……おまえの養母おふくろけ、おまえのからだには、おれのから身代金みのしろきんほどのかねが、おこうへやってあるのだ」
「おっかさんがわたしものにしても、わたしったおぼえはない。んだって、いやおとこなぞに」
「なにっ」
 炬燵こたつぶとんが、朱実あけみかおしかぶせた。朱実あけみ心臓しんぞうのつぶれたようなこえをあげた。
 ……べど、べど、だれなかった。
 ひんやりと薄陽うすびのあたっている障子しょうじには、何事なにこともなげに、まつのかげがとお潮鳴しおなりのようにれているにぎない。そとは、あくまでしずかなふゆであった。チチ、チチ、とどこかで、人間にんげん無残むざん振舞ふるまいとはおよそとお小鳥ことりこえがしていた。
 ……ほどって。
 そこの障子しょうじのうちで、わっと号泣ごうきゅうする朱実あけみこえがもれた。
 しいんとして、ややしばらくのあいだ、ひとこえはいもしないでいるとおもうと、清十郎せいじゅうろうあおじろいかおって、ついと、障子しょうじそとへすがたをあらわした。
 つめかれてになったひだりこうおさえながら――
 すると同時どうじに、ぐわらっとやぶるように障子しょうじけて、朱実あけみそとはしってった。
「あっ! ……」
 清十郎せいじゅうろう身伸みのびをして、手拭てぬぐいいたおさえながら、見送みおくってしまった。――つかまえるもなかったのである。まるで、正気しょうきうしなったようなはやさと取乱とりみだした彼女かのじょ姿すがたであった。
「…………」
 ちょっと、不安ふあんそうなをしたが、清十郎せいじゅうろうは、ってかなかった。――どこへゆくかとていた朱実あけみかげがやはり旅舎やどのうちの一間ひとまへ、にわのほうからはいってかくれんだ様子ようすなので、ほっとするとともに、満足感まんぞくかん皮膚ひふしたへたたえて、うすわらいをそのかおゆがめていた。

無常むじょう

「これよ、権叔父ごんおじ
「おい、なんじゃあ」
「おぬし、くたびれぬかよ」
「いささか気懶けだるうなっておる」
「そうじゃろが、このばばもちと、きょうは歩行ひろいた。したが、さすがに住吉すみよしやしろ見事みごと結構けっこうではある。……ホホ、これが若宮八幡わかみはちまん秘木ひぼくとかいうたちばなかいの」
「そうとみえる」
神功じんぐう皇后こうごうさまが、三韓さんかんへご渡海とかいなされたおりに、八十はちじゅうそうみつもののうちの第一だいいちのみつぎものがこれじゃといういいつたえじゃが」
ばばよ、あの神馬しんめ小屋ごやにいるうまは、よいうまぞよ。加茂かもくらうましたら、あれこそ第一だいいちでがなあろうに」
「ムム、月毛つきげじゃの」
なにやらふだがあるわ」
「この飼料かいばのおんまめせんじてますれば、夜泣よなき、ぎしりがむとある。権叔父ごんおじ、おぬしむがええ」
「ばかをいわしゃれ」
 わらいながら見廻みまわして、
「おや、又八またはちは」
「ほんに、又八またはちはどこへったぞいな」
「ヤア、ヤア、あれなる神楽かぐら殿でんしたあしをやすめているわ」
またよう。またようっ――」
 ばばをあげて、
「そっちゃへくと、もと大鳥居おおとりいほうるのであろうが。――高燈籠たかとうろうのほうへくのじゃがな」
 とぶ。
 又八またはちは、のそりのそりあるいてた。このばばとこのじじれにして、毎日まいにちこうあるいてばかりいるのは、かれとしてかなりの我慢がまんらしくえる。それが五日いつか十日とおか見物けんぶつというならまだしも、宮本武蔵みやもとむさしというてきめぐってはたすまでのながたびかとおもうと、なんとしても、憂鬱ゆううつにならざるをない。
 三人さんにんつながってあるいていても無益むえきであるから、各々おのおのわかれて、自分じぶん自分じぶん武蔵むさし所在ありかをさがすから――と提議ていぎしてみたが、
(もうやがてすぐ正月しょうがつひさしゅう母子おやこ一緒いっしょ屠蘇とそまぬし、いつ何時なんどき、これがこの名残なごりとなろうもれぬおたがいの、せめて、ことしの正月しょうがつだけは、ともにごそうではないか)
 ははがいうので、又八またはち無下むげにもできなかった。元日がんじつ二日ふつかぎたらすぐわかれようとおもう。だが、ばばじじも、さきみじかいせいか、仏性ほとけしょうがあるというのか、神社仏閣じんじゃぶっかくというといちいちお賽銭さいせんたまわったり、長々ながなが祈願きがんをこめたりばかりしていて、今日きょうも、この住吉すみよしだけで、ほとんど一日暮いちにちくれてしまいそうだ。
「はようぬか」
 鈍々どんどんたるあしつきで、かおをふくらませて又八またはちをながめて、お杉隠居すぎいんきょは、わかもののようにれた。
勝手かってなことをいってら」
 又八またはちは、口返答くちへんじして、すこしもあしはやめないのだ。
ひとたせるときは、いくらでもたせておいて」
なにをいうぞ、この息子むすこは。かみさまの霊域れいいきたら、かみさまをおがむのは人間にんげんのあたりまえなことじゃ。おぬし、かみにもほとけにもあわせたのをたことがないが、そういう量見りょうけんでは、すえおもいやらるる」
 又八またはちは、よこいて、
「うるせえな」
 それをとがめてまたばばが、
なにがうるさいのじゃ」
 はじめの三日さんにちこそ、母子おやこ愛情あいじょうみつよりこまやかであったが、れるにつれ又八またはちが、ことごとにいたり老母ろうぼ小馬鹿こばかにしたりするので、旅籠はたごかえるとお杉隠居すぎいんきょは、この息子むすこまえすわらせ、毎夜まいよのようにお談義だんぎばかりであった。
 それがいま、ここではじまりそうな気色けしきなので権叔父ごんおじは、こんなところでひらなおられては閉口へいこうと、
「まアまア、まアまア」
 と、母子ふたりをなだめてあゆした。