110・宮本武蔵「火の巻」「わすれ貝(5)(6)」


朗読「110火の巻22.mp3」13 MB、長さ: 約 9分 49秒

 住吉すみよしうらは、のおよぶかぎり、白薔薇しろばらをつないだようななみである。ふゆともおもえないいそかおりけむっている。
 朱実あけみは、しろはぎせて、なみたわむれながらなにひろっててはてていた。
 何事なにごとおこったように、吉岡よしおか門人もんじんたちがおもおもいな方角ほうがくむかい、かたなのこじりをげてわかれてくのをながめて、
「オヤ、なんだろう」
 朱実あけみはまるいをしながら、波打なみうぎわって見送みおくっていた。
 いちばん最後さいごになった門人もんじん一人ひとりは、彼女かのじょのすぐそばけてたので、
何処どこくのです」
 こえをかけると、
「オ、朱実あけみか」
 あしめて――
「おまえも一緒いっしょになってさがさんか。ほかのものもみな手分てわけして、さがしにったんだ」
なにさがしにったんです」
小猿こざるたずさえている前髪まえがみわかさむらいさ」
「そのひとがどうかしたのですか」
ほうっておいては、清十郎先生せいじゅうろうせんせいのおまえにもかかわるのだ」
 祇園藤次ぎおんとうじんでもない置土産おきみやげ一件いっけんはなしてかすと、朱実あけみきょうもない口吻くちぶりで、
みなさんは、始終喧嘩しじゅうけんかばかりさがしているんですね」
 と、たしなめがおにいう。
なに喧嘩けんかこのむわけじゃないが、そんな青二才あおにさいを、だまっててておいては天下てんか兵法所へいほうじょたる京流吉岡きょうりゅうよしおか名折なおれになるじゃないか」
「なったっていいじゃありませんか」
「ばかいえ」
おとこって、ずいぶんつまらないことばかりさがして、くらしているんですね」
「じゃあ、おまえは、さっきからそんなところでなにさがしているんだ」
「わたし――」
 朱実あけみは、あしもとのきれいなすなへ、おとして、
「わたしは、貝殻かいがらつけているの」
貝殻かいがら? ……それみろ、おんなくらかたのほうが、なおくだらないじゃないか。貝殻かいがらなどなにさがさなくっても、そらほしほど、こんなにちている」
「わたしのさがしているのは、そんなくだらない貝殻かいがらじゃありません。わすれがいです」
「わすれがい、そんなかいがあるものか」
「ほかのはまにはないが、この住吉すみよしうらにだけはあるんですって」
「ないよ」
「あるんですよ」……いいあらそって、朱実あけみは、
うそだとおもうならば証拠しょうこせてあげますからこっちへてごらんなさい」
 と、ほどとおからぬところ松並木まつなみきしたへ、無理むりやりにその門人もんじんっぱってひとつのいしぶみした。

いとまあらば
ひろひにかむ住吉すみよし
きしにるてふ
こいわすれがい

 新勅撰集しんちょくせんしゅうのうちにある古歌こか一首いっしゅがそれにはきざんである。朱実あけみほこって、
「どうです、これでもないといえますか」
伝説でんせつだよ、るにもあしらんうたよみのうそだ」
住吉すみよしにはまだ、わすれみず、わすれそうなどというものもあるんです」
「じゃ、あるとしておくさ。――だが、それが一体何いったいなんのお禁厭まじないになるのかい」
「わすれがいおびかたもとのなかかくしておくと、物事ものごとなんでもわすれっぽくなるんですとさ」
「そのうえ、もっとわすれっぽくなりたいのかい」
「ええ、なにもかもわすれてしまいたい、わすれられないために、わたしはいまよるねむられないし、昼間ひるまもくるしいんです。……だからさがしているの。あんたも一緒いっしょになってさがしてくださいよ」
「それどころじゃない」
 おもしたように、その門人もんじんあしきをえて、どこかへけていってしまった。

 ――わすれたい。
 くるしくなると、そうおもうほどだったが、また、
わすれたくない」
 朱実あけみは、むねいて、矛盾むじゅんさかいった。
 もしほんとにわすれがいというものがあるならば、それはあの清十郎せいじゅうろうたもとへこそ、そっとれてやりたい。そしてこの自分じぶんというものかれからわすれてもらいたいと、ためいきついておもう。
しつこいひと……」
 おもうだけでも、朱実あけみこころがふさいだ。自分じぶん青春せいしゅんをのろうために、あの清十郎せいじゅうろう生活せいかつしているようなもちにさえおそわれる。
 清十郎せいじゅうろうのねばり求愛きゅうあいに、こころくらくなるときは、かならずそのこころのすみで、彼女かのじょ武蔵むさしのことをかんがえた。――武蔵むさしこころにあることは、すくいであったが、またくるしくもなってた。なぜならば、遮二無二しゃにむにいま境遇きょうぐうほどいて現在げんざいからゆめなかへ、してしまいたくなるからだった。
「……だけど?」
 彼女かのじょは、しかしいくたびもためらった。自分じぶんはそこまでつきめているが、武蔵むさしもちはわからなかった。
「……アアいっそのことわすれてしまいたい」
 あおうみが、ふと誘惑ゆうわくでさえあった。朱実あけみは、うみつめていると、自分じぶんこわくなった。なんのためらいもなく、すぐにそこへむかってけてかれるがするのである。
 そのくせ自分じぶんがこんなつきめたかんがえをいだいているなどということは、およそ彼女かのじょ養母ははのおこうらない。清十郎せいじゅうろうおもわない。だれでも朱実あけみひとつにくらしたものみな、このむすめいたって快活かいかつで、お転婆てんばで、そしてまだ、男性だんせい恋愛れんあいれないほど開花かいかおそたちだとおもいこんでいるらしいのである。
 朱実あけみはそんなおとこたちやまた養母ははを、こころのうちであかの他人たにんおもっていた。どんな冗戯じょうだんでもいえるのである。そしていつもすずのついたたもとって、駄々だだみたいに振舞ふるまっているのだったが、ひとりになると、はるくさいきれのようにあついためいきをついていた。
「――おじょうさま、おじょうさま。さっきから先生せんせいがおびでごさいますよ。どこへったのかと、えらいご心配しんぱいになって」
 旅舎やどおとこだった。彼女かのじょのすがたをいしぶみのそばにつけて、こういいながらはしってた。
 朱実あけみがもどってってると、清十郎せいじゅうろうはただひとりで、まつかぜのおとしずかにてこめた冬座敷ふゆざしきで、蒲団ふとんをかけた炬燵こたつれてぽつねんとしていた。
 彼女かのじょのすがたをると、
「どこへっていたのだ、このさむいのに」
「オオいやだ、ちっともさむくなんかありやしない。はまはいっぱいにがあたっていますもの」
なにしていた」
かいをひろっていたの」
どもみたいだな」
どもですもの」
正月しょうがつたら幾歳いくつになるとおもう」
幾歳いくつになってもどもでいたい……いいでしょう」
「よかあない。すこしは、おふくろのあんじているのもかんがえてやれよ」
「おっさんなんか、なにわたしのことなんかかんがえているものですか。自分じぶんがまだわかですもの」
「ま、炬燵こたつへおはいり」
炬燵こたつなんか、逆上のぼせるからだいきらい。……わたしはまだ年寄としよりじゃありませんからね」
朱実あけみ」……くびをつかんで、清十郎せいじゅうろうひざせた。
「きょうはだれもいないらしい。おまえの養母おふくろも、いきをきかしてさき京都きょうとかえったし……」