109・宮本武蔵「火の巻」「わすれ貝(3)(4)」


朗読「109火の巻21.mp3」12 MB、長さ: 約 8分 46秒

 この夕方ゆうがたふね藤次とうじむかえにくといってたおこうは、まだかえってない。そのあいだに、同勢どうぜい風呂ふろにはいり、旅舎やど着膨きぶくれて、
「やがて、藤次とうじもおこうえるだろう、そのあいだ、こうしていてもつまらんじゃないか」
 んでっていようということになったのは、この同勢どうぜいとして、当然とうぜんおさまりであった。
 藤次とうじかおえるまでのつなぎとしてんでいたうちはいいが、いつのにかひざがくずれ、さかずきがみだれすと、もうそんなものはどうでもよくなってしまい、
「この住吉すみよしには、うたはいないのか」
「きれいなのを三人呼さんにんよぼうじゃないか。どうだ諸卿しょけい
 と、病気びょうきはじまる。
(よせ、つまらない)などというかおは、このなかにはひとつもいない。ただ吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうかおいろを多少たしょうはばかるのであったが、
若先生わかせんせいには、朱実あけみそばについているから、別間べつまのほうへ、おうつねがおうじゃないか」
 横着おうちゃくやつらかなと清十郎せいじゅうろうはにがわらいする。けれど、それは自分じぶんってもこのましい。炬燵こたつのある部屋へやはいって、朱実あけみとふたりでむかうほうが、この同勢どうぜいんでいるより、どれほどいい人生じんせいかわからない。
「さあ、これからだ」
 とは門人もんじんどもが、門人もんじんだけになってからの発声はっせいだった。やがてほどなく十三間川とさまがわ名物めいぶつというあやしげなうたふえ三味線しゃみせんなどのこびた楽器がっきってにわにあらわれ、
「いったい、あんたはんたちは、喧嘩けんかするのかいな、さけあがるのかいな」
 とたずねる。
 すでによほどおおトラになっている一人ひとりが、
「ばかっ、かねつかって喧嘩けんかするやつがあるか。おまえたちをぶからには、おおいにんであそぶのだ」
「じゃあ、まちっと、しずかにあがりやはったらどうかいな」
 手際てぎわよくあつかわれて、
しからば、うたおう」
 ほうしていた毛脛けずねをひっめたり、よこにしていたからだおこして、絃歌げんかようやくさかんならんとするころおい、小女こおんなて、
「あの、お客様きゃくさまが、ふねからおきなさいまして、ただいま、おさまといっしょに、ここへきやはりまする」
 と、げてった。
「なんだ、なにたと」
藤次とうじといった」
冬至とうじ冬至とうじとっとか」
 おこう祇園藤次ぎおんとうじは、あきれがおして部屋へやくちっていた。だれかれったらしいもの一名いちめいもないのだった。藤次とうじは、一体何いったいなんのために、この年末ねんまつこの同勢どうぜいが、住吉すみよしへなどているのかとうたがった。おこうにいわせれば自分じぶんむかえにたのだというが、どこに自分じぶんむかえにたらしい人間にんげん一人ひとりでもいるか、むっとして、
「おい、下婢おんな
「はい」
若先生わかせんせいは、どこにいらっしゃるか、若先生わかせんせいのいる部屋へやこう」
 廊下ろうかをもどりかけると、
「よう、先輩せんぱい、ただいまかえりか。――一同いちどうっておるのに、おこうなどと、途中とちゅうでよろしくやっているなんて、この先輩せんぱいしからんぞ」
 おおトラががってくびにかじりついた。たまらない臭気しゅうきはなつ。げようとしたので、トラは強引ごういん座敷ざしききずりんだ、そして、ぜんみつけたからかたのごとく杯盤狼藉はいばんろうぜきつくって、共倒ともだおれにたおれた。
「……あっ、頭巾ずきんを」
 藤次とうじは、あわてて自分じぶんのそれへをやったがおそかった。すべった拍子ひょうしに、トラはかれ頭巾ずきんをつかんでうしろへこしをついていた。

「あれ?」
 と、奇異きいかんじにたれたように、一座いちざは、藤次とうじまげのないあたまにあつまって、
あたまをどうかなされたので?」
「ホホウ、奇妙きみょうなおぐし
「どうしたわけでござる」
 無遠慮ぶえんりょ凝視ぎょうしび、藤次とうじ狼狽ろうばいかおをどすあかくして、頭巾ずきんをかぶりなおしながら、
「いや、ちとな、その腫物しゅもつができたので」
 と、誤魔化ごまかしたが、
「わははは」
 と、皆笑みなわらいくずれ、
旅土産たびみやげは、腫物できものでござったか」
「できものにぶた
あたまかくしてしりかくさず」
ろんより証拠しょうこ
いぬあるけば――」
 などと駄洒落だじゃれをいって、だれ藤次とうじのいいわけをけないのである。
 そのばんは、さけきょうんだが、つぎになるとこの同勢どうぜいが、ゆうべとはってかわって、旅舎やどのすぐうら浜辺はまべて、天下てんか大事だいじでもすように、
しからん沙汰さただ」
 と、かたげ、つばをとばし、ひじって、小松こまつえている砂地すなちまるすわっていた。
「――だがたしかか、そのはなしは」
「このみみで、おれがいたのだ、おれがうそをいうとおもうのか」
「まあ、そうおこるな、おこってみたところで仕方しかたがない」
仕方しかたがないで黙過もっかすることはできん。いやしくも天下てんか兵法所へいほうじょをもってにんじる吉岡道場よしおかどうじょう名折なおれだ、だんじて、これをておくことはできないぞ」
「しからば、どうするのだ」
「これからでもおそくあるまい。その小猿こざるれてあるいている前髪まえがみ武者修行むしゃしゅぎょうさがす! どんなことをしてもさがす! そして、彼奴きゃつまげをちょんって、祇園藤次ぎおんとうじ恥辱ちじょくじゃない、吉岡道場よしおかどうじょう存在そんざいおごそかにする。――異議いぎがあるか」
 ゆうべトラになったっぱらいが、洒落しゃれていえば、今日きょうりゅうとなってうそぶくかのように、おもむきをかえて、激昂げっこうしているのだ。
 その動機どうきをたずねると、こうなのである。――今朝けさがた、かれらがとく朝風呂あさぶろめいじて、宿酔ふつかよいあぶらをながしていると、そこへ入浴はいって相客あいきゃくもので、さかい町人ちょうにんというものが、きのう阿波あわから大坂おおさかへくる便船びんせんのうちでは、じつにおもしろいことがあったといって、れい小猿こざるたずさえている美少年びしょうねんのうわさをかたり、祇園藤次ぎおんとうじまげおとされた由来ゆらいおよんでは、手真似てまねかおつきまでして、
(なんでもそのまげられたほうのさむらいは、京都きょうと吉岡道場よしおかどうじょう高弟こうていだっていっていたが、あんなのが高弟こうていじゃ吉岡道場よしおかどうじょうはない)
 ことおかしげに、はいっているうち喋舌しゃべってった。
 かれらの憤激ふんげきはそれからはじまったものである。しからぬ先輩せんぱいと、祇園藤次ぎおんとうじをつかまえて詰問きつもんおよぼうとすると、藤次とうじ今朝早けさはやく、吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうなにはなしていたが、朝飯あさめしをたべるとすぐ、おこうとふたりで、さき京都きょうとってしまったという。
 いよいよもって、うわさは事実じじつにちがいない。そういう腰抜こしぬけの先輩せんぱいいかけるのはおろかである、うならばどこの何者なにものかわからないが、自分じぶんたちので、小猿こざるたずさえた前髪まえがみつかまえ、存分ぞんぶんに、吉岡道場よしおかどうじょう汚名おめいをそそいでやろうじゃないか。
「――異議いぎがあるか」
勿論もちろん、ない」
「しからば――」
 と、手筈てはずをしめしあわせ、そこの同勢どうぜいは、はかますなはらってがった。