107・宮本武蔵「火の巻」「美少年(8)(9)(10)」


朗読「107火の巻19.mp3」20 MB、長さ: 約 14分 46秒

 一休いっきゅう和尚おしょう頓智とんちばなしをそのままもちいて、美少年びしょうねんは、藤次とうじむくいたものとみえる。
 藤次とうじはあきらかに愚弄ぐろうされたのだ。ひと小馬鹿こばかにするもほどがあるといっていい。当然とうぜん烈火れっかのようにおこった。
「だまれ。あのようにそらけている海鳥うみどりおもいのままに、まえびよせられるものなら、だれでもるわ」
 すると美少年びしょうねんは、
うみ千万里せんまんりつるぎ三尺さんじゃくそばないものは、わたしにもれません」
 それたかといわないばかりに藤次とうじ三歩出さんぽでて、
口上こうじょうをいうやつだ。出来できませんなら出来できませんと、素直すなおあやまれ」
「いや、あやまるほどなら、こんな身構みがまえはつかまつりません。海鳥うみどりのかわりに、べつなものっておにかける」
なにを?」
藤次先生とうじせんせい、もう五歩ごほこちらへませんか」
「なんだ」
「あなたのおくび拝借はいしゃくしたい。わたし法螺ほらふきかいなかをためせといったそのおくびだ。つみもない海鳥うみどりるよりは、そのおくびのほうが恰好かっこうですから」
「ばッ、ばかいえっ」
 おもわず藤次とうじはそのくびをすくめた。――とたんに美少年びしょうねんひじつるねたように、大剣たいけんいたのであった。ばっと空気くうきれるおとがした。三尺さんじゃく長剣ちょうけんが、はりほどなひかりにしかえないくらいはやかったのである。
「――な、なにするかッ」
 よろめきながら藤次とうじえりくびへをやった。
 くびはたしかにいているし、そのほかなんの異状いじょうかんじなかった。
「おわかりか」
 美少年びしょうねんは、そういって、荷梱にごうりのあいだへった。
 土気色つちけいろになった自分じぶんかおいろを、藤次とうじはいかんともすることが出来できなかった。だが、そのときはまだ自分じぶん五体ごたいのうちのもっと重要じゅうよう部分ぶぶんおとされていることなどづかなかった。
 美少年びしょうねんったあとで、ふと、冬陽ふゆひのうすくあたっている船板ふねいたうえると、へんものちている。それは、刷毛はけのようなちいさなたばだ、アッと、はじめてづいて、自分じぶんかみをやってみると、まげがない。
「や、や? ……」
 でまわしておどろがおをしているあいだに、元結もとゆいがほぐれて、びんはばらりとかおにちらかった。
「やったな! 青二才あおにさい
 ぼうのようにむねってくる憤怒ふんぬであった。美少年びしょうねんみずかかたっていたことのすべてが、うそでも法螺ほらでもないことが、とたんにわかりすぎるほどかれにはわかった。ねん似合にあわないおそろしいわざだとおもう。わか仲間なかまにも、ああいうわかいのもいるのかといまさらおもう。
 だが、頭脳あたま驚嘆きょうたんと、はらのそこの憤怒ふんぬとは、べつものである。そこからのぞいてると、美少年びしょうねん先刻さっきせきへもどって、なにか、くしものでもしたように、自分じぶんあしもとを見廻みまわしている。藤次とうじは、絶好ぜっこうすきをそのからだつけた。――かたな柄糸つかいとつばをくれてかたにぎったのである。をかがめて、美少年びしょうねんのうしろへせまり、こんどは、かれまげはらってやろうとするのだった。
 ――だが藤次とうじには、その髷先まげさきだけをあざやかに確信かくしんはなかった。当然とうぜんかおにかかる、あたまはちよこるだろう。勿論もちろん、それでさしつかえない。
 うむっ! 満身まんしんあかふくれあがって、かれくち鼻腔びくういきむすんだときであった。
 ――どう彼方かなたで、小袖幕こそでまくかこって、最前さいぜんから、「うんすん骨牌かるた」という博戯あそび千金せんきんけて、夢中むちゅうになっていた阿波あわさかい大坂おおさかあたりの商人あきんどたちが、
ふだらない」
「どこへんだのじゃ?」
「そっちをろ」
「いや、こっちにもない」
 敷物しきものはらってさわいでいたが、そのうちの一人ひとりが、ふと、大空おおぞらあおいで、
「やっ、小猿こざるめが! あんなところへ!」
 たか帆柱ほばしらうえゆびさして、頓狂とんきょうなさけびをあげた。

 ――なるほど、さるだ、さるがいる。
 三十尺さんじゅっしゃくもあろうかとおもわれるばしらのぺんに。
 したでは、ほかの船客せんきゃくまでが、海上かいじょうたびいていたおりからなので、ことこそあれと、みなかおそらげ、
「やあ、なにくわえている」
骨牌かるたのふだですよ」
「ハハア、あそこで、金持かねもれんがやっていた骨牌かるたさらってったんですか」
「ごらんなさい、小猿こざるのやつも、ばしらのうえ骨牌かるたをめくる真似まねをしている」
 ヒラヒラと、そういうかおなか一枚いちまいふだちてた。
畜生ちくしょう
 さかい商人あきんどのひとりが、あわててそれをひろいあげたが、
「まだらない。もうさん四枚持よんまいもっているはずだ」
 ほか連中れんちゅう口々くちぐちに――
だれか、さるのやつから、ふだかえしていやい。博戯あそび出来できぬ」
「どうして、のぼれるものか、あんなたかいところへ」
船頭せんどうなら」
「それやのぼるだろう」
かねをやって、船頭せんどうっててもらおうじゃないか」
 そこで船頭せんどうは、かねをもらって、承諾しょうだくはしたが、海上かいじょうでは司権者しけんしゃである船頭せんどうとして、一応いちおう、この事件じけん責任せきにんわなければならないというかおつきで、
「お客衆きゃくしゅう
 と、荷物にもつのうえにがって、船客せんきゃくたちをまわし、
「――あの小猿こざるは、いったいだれざるじゃ、ぬしはここへてもらおう」
 といった。
 どこからも、おれのだといって名乗なのものがない。しかし、そのへんにいたきゃくはみなっている。れい美少年びしょうねんのすがたへせずして一同いちどうそそがれた。
 船頭せんどうっていたはずだ。そこで当然とうぜん業腹ごうはらえてきたにちがいない。船頭声せんどうこえ一段いちだんりあげて、
ぬしはねえのか。ぬしがねえならねえように、おらが処分しょぶんするが、あとで苦情くじょうはあんめえな」
 いないのではない、美少年びしょうねん荷物にもつりかかって、黙然もくねんと、なにかんがごとでもしている様子ようすなのだ。
「……なんて図々ずうずうしい」
 と、ささやくものがある。船頭せんどうもぎょろりと美少年びしょうねんあたまていた。博戯あそびさまたげられた金持かねも階級かいきゅうは、にわかにざわめいて悪口わるくち口走くちばしる。――鉄面皮てつめんぴだの、えないの、みみがきこえないのと。
 だが美少年びしょうねんは、ちょっとひざよこすわなおしたきりだった。どこへかぜかという姿すがたである。
うみのうえにも、さるむとみえて、ぬしのねえさるいこんだ。ぬしのねえ動物どうぶつなら、どうして始末しまつしてもかまうめい。――みなしゅう、これほど船頭せんどうことわっているのにぬし名乗なのってねえだ。あとで、みみとおいの、かなかったのと、苦情くじょうのねえように、証人しょうにんになってくらっせえ」
「いいとも、わしらが証人しょうにんってやる」
 とれい旦那連中だんなれんちゅうが、はらてて、呶鳴どなった。
 船頭せんどうは、船底ふなぞこへゆく段梯子だんばしごりてった。がってときには、のついた火縄ひなわと、種子島銃たねがしまじゅうっていた。
(――おこったな船頭せんどう
 同時どうじに、あのぬし若衆わかしゅがどうるだろうかと、人々ひとびとはまた、美少年びしょうねん姿すがたりかえってみた。

 のんなのは、うえ小猿こざるだ。
 潮風しおかぜそらで、骨牌かるたている。それがいかにも意思いしがあって人間にんげんをからかっているようにえるのである。
 だが――突然とつぜんしろいて、キッ、キッ、キッとすと、帆車ほぐるま横木よこぎはしったり、ばしらの突端とったんびついたり、きゅう狼狽ろうばいしはじめた。
「…………」
 したでは、船頭せんどうが、火縄ひなわはなさきにいぶして種子島たねがしま銃先つつさきそらけ、じっと、小猿こざるねらいすましていた。
「ざまをろ、あわてやがって――」
 と、だいぶさけはいっているらしい旦那連だんなれんのうちの一人ひとりがいう。
「しっ……」
 と、さかい商人しょうにんたもとをひいた。それまでだまって他所よそいていた美少年びしょうねんがぐっとからだおこし、
船頭せんどう
 と、こちらへこえげたからである。
 こんどは、船頭せんどうのほうでみみよそおっていた。火縄ひなわが、チラと関金せきがね煙硝えんしょう口火くちびてんじかけた。――と、間髪かんぱつれなかったのである。
「あっ」
 ドカアンと弾音だんおんはたかくッぽへはしった。つつ美少年びしょうねんくられているのだった。船客せんきゃくたちは、みみおさえてした。――そのあたまのうえをして、ぶうんと、鉄砲てっぽうふねそとなる渦潮うずしおなかてられていた。
「な! なにしやがる!」
 これは船頭せんどう当然とうぜん怒号どごうだった。おどりがって美少年びしょうねんむなぐらにぶらがったのである。
 頑丈がんじょう船乗ふなのりからだも、美少年びしょうねんのまえに正当せいとうつと、ぶらがったという言葉ことばがおかしくないほど、ほねぐみも、だんちがいに美少年びしょうねんのほうがたくましくて立派りっぱだったのである。
「おまえこそ、なにするのだ、道具どうぐで、無心むしん小猿こざるおとそうとしたろう」
「そうだ」
不届ふとどきではないか」
「なぜッ。――ことわってあるぞ、おらのほうでは」
「どうことわった?」
「おめえは、がねえのか、みみがねえのか」
「だまれ、こうえても、わしはきゃくだ、わしは武士ぶしだ。船頭風情せんどうふぜいをもって、きゃくよりもたか場所ばしょち、あたまうえからあのようにわめいたとて、さむらいが、こたえられるか」
「いいけをざくな。そのためにおらは何度なんどことわってある。そのことわりかたがにくわねえにせよ、なぜ、おらがまえに、あちらの客衆きゃくしゅう迷惑めいわくしたのを、だまりこくって、らぬふりしていさらしたのじゃ」
「あちらの客衆きゃくしゅうとは――おおあのとばりなか先刻さっきから博戯ばくちをしておった町人ちょうにんどもか」
大口おおぐちをたたくな、あの客衆きゃくしゅうは、なみ客衆きゃくしゅうよりは、三倍さんばいたか船賃ふなちんしてござらっしゃる」
「いよいよ不埒ふらち町人ちょうにんどもだ、衆人しゅうじんなかで、おおびらにかねけ、さけままにめ、わが物顔ものかおして、この船中せんちゅう振舞ふるまっている様子ようす面白おもしろくない人間にんげんどもかなとながめていたのじゃ。小猿こざる骨牌かるたのふだをってげたからとて、このがいいつけたわけではなし、あの連中れんちゅうのする悪戯いたずらを、さる真似まねしたまでのこと、わしから迷惑めいわくるすじはない」
 ことばのなかばから、美少年びしょうねんは、おおいそのかおを、彼方あなたひとつどころにかたまっているさかい大坂おおさか旦那連だんなれんのほうへけて、きわめて皮肉ひにくわらかたをしていったのであった。