105・宮本武蔵「火の巻」「美少年(4)(5)」


朗読「105火の巻17.mp3」13 MB、長さ: 約 9分 38秒

 ちょっとはなしのつぎがない。
 藤次とうじは、だまったが、また、
「よいおかたなだな」
 と、こんどはかれにある大太刀おおたちめた。すると美少年びしょうねんは、
「はあ、いえ伝来でんらいのもので」
 きゅう藤次とうじのほうへひざけ、められたのをうれしそうに、
「これは陣太刀じんたち出来できていますから、大坂おおさか刀師かたなしへあずけ、りょうこしらえをなおそうとおもっているのです」
りょうには、ちとながすぎるようだが」
「されば、三尺さんじゃくです」
長剣ちょうけんだな」
「これくらいなものがせなければ――」
 自信じしんがある――というように美少年びしょうねん笑靨えくぼをうごかす。
「それはせないことはない――三尺さんじゃく四尺よんしゃくでも。――けれども実際じっさいもちうる場合ばあい、これが自由じゆうにあつかえたらえらいが」
 と、藤次とうじは、美少年びしょうねん衒気げんきをたしなめるようにいう。
大太刀おおたちを、かんぬきによこたえて、としてあるくのは、伊達だてでよいが、そういう人物じんぶつにかぎって、げるときには、かたなかたへかつぐやつだ。――失礼しつれいだが、貴公きこうは、何流なにりゅうまなばれたか」
 剣術けんじゅつのことになると、自然しぜん藤次とうじはこの乳臭児にゅうしょうじ見下みさげずにいられなかった。
 美少年びしょうねんは、ちらと、かれのそういう尊大そんだいかおつきへ、ひとみをひらめかせ、
富田流とみたりゅうを」
 と、いった。
富田流とみたりゅうなら、小太刀こたちのはずだが」
小太刀こたちです。――けれどもなに富田流とみたりゅうまなんだから小太刀こたちをつかわなければならないというほうはありません。わたしは、人真似ひとまねがきらいです。そこで、ぎゃくって、大太刀おおたち工夫くふうしたところ、おこられて破門はもんされました」
わかいうちは、えて、そういう叛骨はんこつほこりたがるものだ。そして」
「それから、越前えちぜん浄教寺村じょうきょうじむらをとびし、やはり富田流とみたりゅうからて、中条流ちゅうじょうりゅうてた鐘巻自斎かねまきじさいという先生せんせいたずねてゆきますと、それはどくだと、入門にゅうもんをゆるされ、四年よねんほど修行しゅぎょうするうち、もうよかろうとにもいわれるまでになりました」
田舎師匠いなかししょうというものは、すぐ目録もくろく免許めんきょすからの」
「ところが、自斎先生じさいせんせい容易よういにゆるしをしません。先生せんせい印可いんかをゆるしたのは、わたし兄弟子あにでしである伊藤弥五郎一刀斎いとうやごろういっとうさいひとりだというはなしでした。――でわたしも、なんとかして、印可いんかをうけたいものと、臥薪嘗胆がしんしょうたん苦行くぎょうをしのんでいるうち、故郷くにもとのはは死去しきょしたので、こうなかばに帰国きこくしました」
「おくには」
周防すおう岩国いわくにさんです。――でわたしは、帰国きこくしたあとも、毎日まいにち練磨れんまおこたらずに、錦帯橋きんたいばしほとりて、つばめり、やなぎり、ひとりで工夫くふうをやっていました。――ははくなりますさいに、伝来でんらいいえかたなぞ、大事だいじてといわれてくれましたこの長光ながみつかたなをもって」
「ほ、長光ながみつか」
めいはありませんが、そういいつたえています。国許くにもとでは、られているかたなで、物干竿ものほしざおというがあるくらいです」
 無口むくちだとおもいのほか、自分じぶんのすきな話題わだいになると、美少年びしょうねんわないことまでかたりだした。そしてくちひらすとなると、相手あいて気色けしきなどはていない。
 そういうてんや、またさっき自分じぶんはなした経歴けいれきなどからても、すがたにあわないのつよい性格せいかくらしくおもわれた。

 ちょっと、言葉ことばをきって、美少年びしょうねんはそのひとみに、くものかげをうつし、なに感慨かんがいふけっていたが、
「――けれどその鐘巻先生かねまきせんせいも、昨年さくねん大寿たいじゅまっとうして、ご病死びょうしなされてしまった」
 つぶやくようにいい、
わたしは、周防すおうにあって、同門どうもん草薙天鬼くさなぎてんきから、そのらせをうけたとき師恩しおん感泣かんりゅうしました――病床びょうしょうについていた草薙天鬼くさなぎてんき、それはわたしよりもずっと先輩せんぱいだし、また、自斎じさいとは叔父おじおい血縁けつえんでもあるのですが、そのものには、印可いんかあたえずに、とおはなれているわたしおもってくれて、生前せいぜんに、印可目録いんかもくろくのこして、一目会ひとめあって、ずからわたしあたえたいともうされたそうであります」
 ひとみがうるんでて、いまにもなみだのこぼれそうなになる。
 祇園藤次ぎおんとうじは、この多感たかん美少年びしょうねん述懐じゅっかいいても、わかかれといっしょになって、感傷かんしょうともにするにはもとよりなれない。
 だが、退屈たいくつくるしんでいるよりは、ましだとかんがえて、
「ふム、なるほど」
 熱心ねっしんいているかおつきをよそおうと、美少年びしょうねんは、鬱懐うっかいをもらすように、
「そのとき、すぐけばよかったのです。けれどわたし周防すおう上州じょうしゅう山間さんかん何百里なんびゃくりみちです。おりわるく、わたしははも、その前後ぜんご歿ぼっしたので、ついに、えませんでした」
 ――ふねがすこしれだした。冬雲ふゆぐもがかくれると、うみきゅう灰色はいいろていし、時々ときどきふなべり飛沫しぶきさむつ。
 美少年びしょうねんはなおはなしをやめない。多感たかん語気ごきをもってかたる。――それからさきのことを綜合そうごうすると、かれ境遇きょうぐういま故郷こきょう周防すおう家屋敷いえやしきをたたみ、おいでもあり同門どうもんともでもある草薙くさなぎ天鬼てんきというものと、どこかでおうというために、この旅行りょこうをつづけているものとられる。
自斎じさいには、なん身寄みよりもありません。で、おい天鬼てんきには、遺産いさんといってもわずかでしょうが、かねあたえ、とおはなれているわたしには、中条流ちゅうじょうりゅう印可目録いんかもくろくのこしてゆかれました。天鬼てんきは、わたしのそれをあずかって、今諸国いましょこく修行しゅぎょうにあるいていますが、来年らいねん彼岸ひがん中日ちゅうにちには、上州じょうしゅう周防すおうとのちょうどなかほどの道程みちのりにあたる三河みかわ鳳来寺山ほうらいじさんへ、双方そうほうからのぼって、対面たいめんしようという約束やくそく書面しょめんわしてあります。そこでわたし天鬼てんきからのおかたみをけることになっているので、それまでは近畿きんきのあたりを悠々ゆるゆると、修行しゅぎょうがてら見物けんぶつしてあるこうとおもっているのです」
 ようやくいうだけのことをいいおわったように、美少年びしょうねんあらためて、はな相手あいて藤次とうじにむかい、
「あなたは、大坂おおさかですか」
「いや京都きょうと
 それきりだまって、しばらく、波音なみおとみみをとられていたが、
「すると其許そこもとはやはり、兵法へいほうをもってててかれるか」
 藤次とうじはさっきからすこ軽蔑けいべつしたかおつきであったが、いましたようにいう。このごろのように、こう小生意気こなまいき兵法青年へいほうせいねんがうようよあるいて、すぐ印可いんか目録もくろくのといってほこっていることが、かれには、小賢こざかしくきこえてならない。
 そんなに天下てんか上手じょうず達人たつじんみたいにえてたまるものか。第一自分だいいちじぶんなどさえ、吉岡門よしおかもん二十年近にじゅうねんちかくもいて、やっとこれくらいなところであるのに――とにひきくらべ、
(こんなのが、将来しょうらいみな、どういうめしってゆくのか)
 と、おもうのだった。
 ひざをかかえて、灰色はいいろうみをじっとていたとおもうと、美少年びしょうねんはまた、
「――京都きょうと?」
 と、つぶやいて、藤次とうじのほうへひとみなおした。
京都きょうとには、吉岡拳法よしおかけんぽう遺子いし吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうというひとがいるそうですが、いまでもやっておりますか?」