103・宮本武蔵「火の巻」「怨敵(3)美少年(1)」


朗読「103火の巻15.mp3」14 MB、長さ: 約 9分 55秒

 じっとくびれたまま、又八またはち老母ろうぼ烈々れつれつくことばにたれていた。こうしているあいだは、かれ善良ぜんりょう神妙しんみょう息子むすこだった。
 けれど、隠居いんきょがいおうとする重点じゅうてんは、もっぱら家名かめい面目めんぼくとか、さむらい意気いきとかにあったが、この息子むすこ感情かんじょうつよったてんは、そこになくて、
(おつうがこころがわりした)
 と、いう初耳はつみみはなしだった。
「おふくろ、それは真実まったくか」
 かれかおいろをると、隠居いんきょは、自分じぶん鞭撻べんたつが、かれ奮起ふんきさせたものとおもいこみ、
うそおもうなら、叔父御おじごにもただしてみやれ、おつう阿女あまはおぬしをかぎって、武蔵たけぞうあとってんだわさ。――いやの、もっとわるかんがえれば、武蔵たけぞうはおぬしが、当分とうぶんむらかえらぬものとってじゃほどに、おつうをだまして、うばってげたともいえる。のう権叔父ごんおじ
「そうじゃ、七宝寺しっぽうじ千年杉せんねんすぎへ、沢庵坊主たくあんぼうずのため、くくりつけられたのを、あのおつうをかりてせた男女ふたりのことゆえ、どうせろくなかじゃあるまいての」
 こういては又八またはちも、おにとならずにいられなかった。それでなくても、かれへは――あの武蔵たけぞうという人間にんげんたいしては、どういうものか反感はんかんがあってならなかったところである。
 隠居いんきょ激励げきれいは、むちむちくわえて――
「わかったかよ又八またはち。このばば権叔父ごんおじが、故郷くにて、こうして諸国しょこくをあるいている意気地いくじが。――息子むすこよめうばってげた武蔵たけぞう本位田ほんいでん後足うしろあしすなをかけてせたおつう。――こうふたつのくびたいでは、ばばは、ご先祖せんぞのお位牌いはいと、故郷くにしゅうにむかって、わせるかおがないじゃろが」
「わかりました。……よく」
「おぬしにも、それではのめのめと、故郷くにつちめまいが」
かえりません、もう、かえりません」
ってたも、怨敵おんてきを」
「ええ」
のない返辞へんじをするものかな、おぬしには武蔵たけぞうちからがないとおもうてか」
「そんなことはありません」
 権叔父ごんおじも、そばから、
あんじるな又八またはち、わしもついているのじゃが」
「このばばとても」
「おつう武蔵たけぞうふたつのくびを、れて故郷くにへの土産みやげっさげてもどろうぞ。のう又八またはち、そうしておぬしにはよい嫁女よめごをさがし、あっぱれ本位田ほんいでん跡目あとめをついでもらいわにゃならん。そうしたうえは、武士ぶし面目めんぼくつ、近郷きんごうへの評判ひょうばんもようなる、まず、吉野郷よしのごうをとる家統いえすじほかにはあるまいてな」
「さあ、そのになってたも。なるかよ又八またはち
「はい」
「よいじゃ、叔父御おじごめておくりゃれ。きっと武蔵たけぞうとおつうつとちこうた。……」
 と隠居いんきょはやっとがすんだらしく、先刻せんこくからこらえていたこおりのような大地だいちからうごかしかけたが、
「ア……痛々々たたた
ばば、どうしやった」
えてかいの、こしきゅうってこう下腹したばらへさしこんでましたわい」
「これやいかぬ、また持病じびょうおこしてか」
 又八またはちは、けて、
「おふくろ、すがりなされ」
なに、わしをうてくれる。……うてくれるか」
 と、かたきついて、
何年なんねんぶりぞいの、叔父御おじごよ、又八またはちがわがうてくれたわいな」
 と、うれきにくのであった。
 ははあたたかなみだはだにとおってると、又八またはちなに無性むしょううれしくなって、
叔父御おじご旅籠はたごはどこか」
「これからさがすのじゃ、どこでもいい、あるいてくりゃれ」
合点がってんだ――」
 と、又八またはち老母ろうぼからだはずませてあるきながら、
「ほう、かるいなあ、おふくろ。――かるい、かるい、いしよりもかるいぞ」

美少年びしょうねん

 あいかみ大部分だいぶぶんであった。ほかに禁制きんせい煙草たばこ船底ふなぞこにかくしているらしい。もとより秘密ひみつだが、においでれる。
 つき何度なんどか、阿波あわくにから大坂おおさかかよ便船びんせんで、そうした貨物かもつとともに便乗びんじょうしているきゃくには、このとしくれを、大坂おおさか商用しょうようるか、もどるかする商人あきんどはち九分くぶで、
「どうです、もうかるでしょう」
もうかりませんよ、さかいはひどく景気けいきがいいというが」
鉄砲てっぽう鍛冶かじなど、職人しょくにんらなくてよわっているそうですな」
 べつの商人あきんどが、また、
「てまえは、その戦道具いくさどうぐの、旗差物はたさしものとか、具足ぐそくなどおさめていますが、むかしほどもうかりませんて」
「そうかなあ」
「お侍方さむらいがたがそろばんにあかるくなって」
「ハハア」
「むかしは、野武士のぶしがかついでかすものを、すぐめかえ、りかえして、御陣場ごじんばおさめる。するとまた、つぎいくさがあって、野武士のぶしがそいつをあつめてくる。また新物あらものにするといったふうに、盥廻たらいまわしがきいたり、金銀きんぎんのお支払しはらいなどもおよそ目分量めぶんりょうみたいなものでしたがね」
 そういうはなしばかりがおおい。
 なかには、
「もう内地ないちでは、うまいもうけはありっこない。呂宋るそん助左衛門すけざえもんとか、茶屋助次郎ちゃやすけじろうといったひとのように、るかるかでうみそとかけなければ」
 と、海洋かいようをながめて、彼方かなたくにとみいているものがあるし、ものはまた、
「それでも、なんのかのといっても、わしら町人ちょうにんは、さむらいからればはるかにわりがよくきていますよ。いったい侍衆さむらいしゅうなんて、ものあじひとつわかるじゃなし、大名だいみょう贅沢ぜいたくといったところが、町人ちょうにんからればおあまいもので、いざといえば、てつかわよろって、ににかなければならないし、ふだんは面目めんぼくとか武士道ぶしどうとかにしばられて、きな真似まねはできないし、どくみたいなものでございますよ」
「すると、景気けいきがわるいのなんのといっても、やはり町人ちょうにんにかぎりますかな」
「かぎりますとも、ままでね」
あたまさえげていればすみますからな。――その鬱憤うっぷんはいくらでもまた、かねのほうであわせがつくし」
「ぞんぶんこのたのしむにかぎりまさあね」
なんのためにうまれてたんだ――といってあげたいのがいますからね」
 商人あきんどでもこのへんは、中以上ちゅういじょうのところとみえる。舶載はくさい毛氈もうせんをひろくきこんで、一階級いちかいきゅうしめしているのだ。
 のぞいてみると、なるほど、桃山ももやま豪奢ごうしゃいま太閤たいこうあとは、武家ぶけになくて、町人ちょうにんなかうつっているかとおもわれる。酒器しゅきのぜいたくさ、旅具旅装りょぐりょそう絢爛けんらんなること、持物もちものっていること、ケチな一商人いちしょうにんでも、さむらい千石取せんごくとりなどはおよびもない。
「ちと、きましたな」
退屈たいくつしのぎに、はじめましょうか」
「やりましょう。そこのとばりをひとつまわして」
 と、小袖幕こそでまくのうちにかくれると、かれらは、めかけ手代てだいさけをつがせて、南蛮船なんばんせんちかごろ日本にほんもたらした「うんすん骨牌かるた」というものをはじめる。
 そこでけているひとつかみの黄金おうごんがあれば、一村いっそん飢餓きがすくわれるであろうほどのものを、まるで、冗戯じょうだんみたいに、りしていた。
 こういう階級かいきゅうなかに、ほんの一割いちわりほどだが、わしている山伏やまぶしとか、牢人者ろうにんものとか、儒者じゅしゃとか、坊主ぼうずとか、武芸者ぶげいしゃなどというものは、かれらからいわせるといわゆる、
(いったいなんのためにきているんだ)
 と借問しゃくもんされる部類ぶるいのほうで、みんな荷梱にごうりかげに、ぽつねんと味気あじけないかおして、ふゆうみをながめているのだった。