97・宮本武蔵「火の巻」「幻術(1)(2)」


朗読「97火の巻9.mp3」13 MB、長さ: 約 9分 43秒

幻術めくらまし

 ――かねになる。つかってならないかねだとおもうにつけてになるのだ。たんとはわるいが、すこしぐらいは、このなかからりてつかったところで罪悪ざいあくにはなるまいとついにはおもう。
死者ししゃたのみで、その遺物かたみを、郷里きょうりとどけてやるにしても、路銀ろぎんというものがる。当然とうぜん、その費用ひようは、このなかからつかったとてかまうまい」
 又八またはちはそうかんがえてから、幾分気いくぶんきかるくなった。――かるくなったときには、もう幾分いくぶんずつ、小出こだしにそれをつかはじめていたときなのである。
 だが、かねのほかに死者ししゃからあずかっている「中条流印可目録ちゅうじょうりゅういんかもくろく」の巻物まきもののうちにある佐々木小次郎ささきこじろうとは、一体いったいどこが生国しょうごくだろうか。
 多分たぶん――あのんだ武者修行むしゃしゅぎょうがその佐々木小次郎ささきこじろうにちがいないとはおもうが、牢人ろうにんか、主持しゅもちか、またどういう経歴けいれきものであるかは、さっぱりわからないし、わかろうとするがかりもない。
 唯一ゆいいつたよりは、佐々木小次郎ささきこじろうたいして、印可目録いんかもくろくさずけている鐘巻自斎かねまきじさいという剣術けんじゅつ師匠ししょうだ。その自斎じさいがわかれば、小次郎こじろう素姓すじょうもすぐれよう。それについて、又八またはち伏見ふしみから大坂おおさかくだって道々みちみち茶店ちゃみせ飯屋めしや旅籠はたごおりのあるごとに、
鐘巻自斎かねまきじさいという剣術けんじゅつのすぐれたひとがいるかね」
 たずねてみたが、
いたこともないおひとですなあ」
 と、だれもいう。
富田とみた勢源せいげん流儀りゅうぎをひいている中条流ちゅうじょうりゅう大家たいかだが」
 と、いってみても、
「はてね?」
 まったくものがないのである。
 ――すると、路傍ろぼうったさむらいが、多少たしょう兵法へいほうにも心得こころえがある様子ようすで、
「その鐘巻自斎かねまきじさいとかいうじんは、きていても、もう非常ひじょう老齢ろうれいのはずだ。たしか、関東かんとうて、晩年ばんねん上州じょうしゅうのどこか山里やまざとにかくれたきり、世間せけんなかったようにいておる。――そのひと消息しょうそくりたければ、大坂城おおさかじょうまいって、富田とみた主水正もんどのしょうという人物じんぶつをたずねてみるとよい」
 と、おしえてくれた。
 富田主水正とみたもんどのしょうとはなにかとくと、秀頼公ひでよりこう兵法師範役へいほうしはんやくのうちの一人ひとりで、たしか、越前えちぜん宇坂之庄うさかのしょう浄教寺村じょうきょうじむらから富田入道勢源とみたにゅうどうぜいげん一族いちぞくものだったとおもうがというはなし
 すこし、あいまいなもしたが、とにかく大坂おおさかるつもりだし、又八またはちは、市街しがいはいるとすぐ、目抜めぬきのまち旅籠はたごとまって、そんなさむらい御城内ごじょうないにいるかいなかをいてみると、
「はい、富田勢源様とみだぜいげんさまのおまごとかで、秀頼公ひでよりこうのお師範しはんではありませんが、御城内ごじょうないしゅう兵法へいほうおしえていたおかたはございましたが、それはもうふるはなしで、数年前すうねんまえ越前えちぜんくにへおかえりになっております」
 これは、宿やどもののいうところだった。町人ちょうにんとはいえ、城内じょうない用勤ようつとめもしているいえもののいうことであるから、まえさむらいのことばよりはよほど真実味しんじつみのあるはなしだった。
 宿やどもの意見いけんではまた、
「――越前えちぜんくにまで、たずねておいであそばしても、主水正もんどのしょうさまが、いまたしてそこにいるかどうかもわかりませんから、そんなたよりのないかた遠国えんごくまでたずねてゆくよりは、近頃ちかごろ有名ゆうめいでいらっしゃる、伊藤弥五郎先生いとうやごろうせんせいをおさがしになるのが近道ちかみちでございましょう。あのほうもたしか、中条流ちゅうじょうりゅう鐘巻自斎かねまきじさいというひとのところで修行しゅぎょうなされて、のちに、一刀流いっとうりゅうという独自どくじ流儀りゅうぎをおはじめになったのですから」
 それも一理いちりある忠告ちゅうこくであった。
 だが、その弥五郎一刀斎やごろういっとうさい居所いどころをさがしてみると、これも近年きんねんまで洛外らくがい白河しらかわに、一庵いちあんをむすんでいたが、近頃ちかごろはまた、修行しゅぎょうたのか、ようとしてそのかげ京大坂きょうおおさか附近ふきんではかけたことがないとだれもいう。
「ええ、面倒めんどうくせえ」
 又八またはちは、さじげた。――そういそぐにもあたらないことをと、ひとごとにつぶやいて。

 ねむっていた野心的やしんてきわかさを、又八またはちは、大坂おおさかてからたたきおこされた。
 ここではさかんに、人物じんぶつ需要じゅようしているのだった。
 伏見城ふしみじょうでは、新政策しんせいさく武家制度ぶけせいどんでいるが、この大坂城おおさかじょうでは、人材じんざい糾合きゅうごうして、牢人軍ろうにんぐん組織そしきしているらしかった。もとよりそれは、公然こうぜんとではないが。
後藤又兵衛様ごとうまたべえさまや、真田幸村さなだゆきむらさまや、明石掃部あかしかもんさまや――また長曾我部盛親ちょうそかべもりちかさまなどへも、秀頼公ひでよりこうから、そっと、生活くらしのお手当てあてというものが、とどいているのだそうな」
 町人ちょうにんたちのあいだでも、もっぱらそういううわさをしている。――で、どこの城下じょうかよりも牢人ろうにんとうとばれ、牢人ろうにんみよいのが、いまでは大坂おおさか城下じょうかだった。
 長曾我部盛親ちょうそかべのりちかなどは、町端まちはしれのつまらない小路こうじ借家しゃくやして、わかいのにあたまをまるめ、一夢斎いちむさいをかえて、
浮世うきよのことなど、わしゃらんよ)
 といったかおつきして、風雅ふうが遊里ゆうり両方りょうほうをやつしてくらしているが、そのから、いざという場合ばあいには、猛然もうぜんって、
太閤御恩顧たいこうごおんこのため)
 というはたじるしのもとあつまろうという牢人ろうにんが、七百ななひゃく八百はっぴゃくってあって、その生活費せいかつひも、秀頼ひでよりのお手元金てもときんからているのだということもいた。
 又八またはちは、二月ふたつきほど、大坂おおさか見聞けんぶんしているうちに、
(ここだ。出世しゅっせのつるをつかむ土地とちは)
 と、まず興奮こうふんいだいた。
 空脛からすねに、槍一本やりいっぽんかつぎして、宮本村みやもとむら武蔵たけぞうと、せきはらそらをのぞんでしたときのような壮志そうしが、ひさしぶりに、近頃ちかごろ健康けんこうになったかれからだにも、よみがえってたらしいのである。
 ふところのかねは、ぼつぼつってゆくが、なにかしら、
(おれにもうんいてきた)
 という自覚じかくがしてて、毎日まいにちあかるくて、愉快ゆかいだった。いしつまずいても、そんな足下あしもとから、不意ふいにいいうんつかりそうながするのである。
(まず、身装みなりだ)
 かれはいい大小だいしょうってした。もうさむさにかかる晩秋ばんしゅうなので、それにうつりのよい小袖こそで羽織はおりった。
 旅籠はたごは、不経済ふけいざいかんがえて、順慶堀じゅんけいぼりちか馬具師ばぐしいえはなれをり、食事しょくじそとでし、たいものをいえへはかえったりかえらなかったり、このみどおりな生活せいかつをしているあいだに、よい知己ちきづるをつけ、扶持ふちくちにありつこうとこころがけていた。
 この程度ていどに、生活せいかつしていることは、かれとしては、かなり自戒じかいたもって、うまかわったほど、おさめているつもりなのである。
(あれへ大槍おおやりたせ、乗換のりかかせ、ともさむらいを、二十人にじゅうにんれてとおりなさる。――いまでは大坂城おおさかじょう京橋口きょうばしくち御番頭ごばんがしらとしてめてござるが、順慶堀じゅんけいほりかわざらいには、つちをかついでござった牢人衆ろうにんしゅうであったに)
 そんなうらやましいうわさを、まちではよくくが、さて、又八またはちがだんだんにるところでは、
なかというやつは、まるで石垣いしがきだ、きっちりと、使つかわれるいしんであって、あとからはいすきはねえものだ)
 すこしつかれてたが、また、
(なあに、つるつからねえうちが、そうえるんだ、うまく、むまでが、むずかしいが、なにかへッついてしまえば)
 とおもなおして、間借まがりしている馬具師ばぐしのおやじへも、就職くちをたのんでおいた。
旦那だんながたあ、おわかいし、うでもおできなさるじゃろうし、御城内ごじょうないしゅうたのんでおけば、すぐおかかえのくちはありましょうで」
 ありそうな口吻くちぶりで、そこの馬具師ばぐしやすうけあいしたが、就職くちはなかなかかかってない。――そのうちにふゆ十二月じゅうにがつ、ふところのかね半分はんぶんになっていた。