93・宮本武蔵「火の巻」「佐々木小次郎(5)(6)」


朗読「93火の巻5.mp3」16 MB、長さ: 約 11分 49秒

 ぐ……と生唾なまつばをのんで又八またはちはなおもうしろ退がった。はらそこからおどろきをかんじるとこえないものだ。ただのみおおきくみひらいて、目前もくぜん事実じじつ茫失ぼうしつした。
「……ひゅっ……ひゅっ……」
 かれは、なにかいおうとするらしい。かれとはあご半分はんぶんない武者修行むしゃしゅぎょうである。完全かんぜんんでいるとおもっていたこのおとこは、まだきていたのだ。
 ……ヒュッ、ヒュッとれにかれ呼吸こきゅうのどるのである。くちびるくろかわいてしまって、そこから言葉ことばくのはもう不可能ふかのうわざであった。それを必死ひっし一言ひとことでもいおうとするので、呼吸こきゅうれたふえるようなおとすのだった。
 又八またはちおどろいたのは、このおとこきていたからではない。むねしたしばりつけられている両手りょうてってたからだ。それだけでも、おどろくに人間にんげん死力しりょくであるのに、その縄尻なわじりきつけてある何十貫なんじゅっかんもあろう巨石おおいしが、この瀕死ひんし傷負ておいちからで、ズル、ズル……といち二尺にしゃくずつまえうごいてたからである。
 まるで、もののような怪力かいりきだ。この工事場こうじば労働者ろうどうしゃのうちにも、ずいぶん力自慢ちからじまんがあって、十人力じゅうにんりきとか二十人力にじゅうにんりきとか自称じしょうしている天狗てんぐもあるが、こんなもの一人ひとりもいない。
 しかも、この武者修行むしゃしゅぎょうは、いまなんとしているからだなのだ。――なんとするさかいにあるために、そんな人間業にんげんわざでないちからるのかもれないが、とにかく、そのしそうな武者修行むしゃしゅぎょう自分じぶんほうつめてすすんでたので、又八またはちこしすくんでしまった。
「……しょっ……しょっ……お、お、おねがい」
 またなにか、かわった語音ごいんしていう。意味いみはまったくわからない。ただはんじのつくのは武者修行むしゃしゅぎょうだ――なんとするのをっているそのである――ばしっているなか涙腺るいせんはかすかになみだみたいなものをたたえている。
「……たっ……た……たのむ……」
 がくっとくびまえった。こんどはほんとにいきえたのだろう、ているうちにえりくび皮膚ひふいろ青黒あおぐろしずんでった。くさむらのありがもうしろっぽいかみにたかっている。のかたまったはなあな一匹いっぴきはのぞきこんでいた。
「? ……」
 なにたのまれたのか、又八またはちぼうとしているだけだった。けれどこの怪力かいりき武者修行むしゃしゅぎょう臨終いまわ一念いちねんは、自分じぶんもののようについていてたがえることのできない約束やくそく負担ふたんわされたような気持きもちがしてならない。――自分じぶん病苦びょうくて、くすりませてくれたり、だれたら合図あいずしてくれとたのまれたのに、うっかりしていて、それをげてやらなかったことなども、みょう深刻しんこく宿縁しゅくえんみたいにおもされてくる。
 ――石曳いしひうたは、とおくなっていた。おしろ暮靄ぼあいにかすんでた。いつのまにかもう黄昏たそがれかけて、伏見ふしみまちにははやあかりがポツポツそよぎだしている。
「そうだ……なにかこのなかに」
 又八またはちは、死者ししゃこしむすびつけている武者修行風呂敷むしゃしゅぎょうふろしきをそっとさわってみた。――生国しょうごく骨肉こつにくなどの身許みもとも、このなかればわかるにちがいない。
故郷こきょうつちへ、遺物かたみとどけてくれというのだろう)
 そうかれ判断はんだんした。
 つつみと印籠いんろうを、死者ししゃからだからって、自分じぶん懐中ふところれた。――そしてかみでもとおもって、一握ひとにぎろうとしたが、死者ししゃかおをのぞいて、ぞっとしてしまった。
 ――跫音あしおときこえた。
 いしかげからると、奉行配下ぶぎょうはいかさむらいたちだ。又八またはちは、死骸しがいから無断むだんった品物しなもの自分じぶん懐中ふところにあるとおもうと、自分じぶん危険きけんかんじて、そこにいたたまらなくなった。――かがめて、いしかげからかげへと、野鼠のねずみのようにげてった。

 ゆうぐれのかぜはもうあきだった。糸瓜へちまおおきくなっている。そのしたで、たらいかっている駄菓子屋だがしや女房にょうぼうが、いえなか物音ものおとに、戸板といたかげからしろはだしていった。
だれだえ。又八またはちさんかい?」
 又八またはちはこのいえ同居人どうきょにんだった。
 いま、あたふたとかえってると、戸棚とだな掻廻かきまわして、一枚いちまい単衣ひとえ一腰ひとこしかたなし、姿すがたをかえると、手拭てぬぐい頬冠ほおかむりして、またすぐ草履ぞうり穿こうとしていた。
くらかろ、又八またはちさん」
「なに、べつに」
いますぐあかりをつけるで」
「それにはおよばないよ、かけるから」
行水ぎょうずいは」
「いらん」
からだでもいてったら」
「いらん」
 いそいで裏口うらぐちからしてった。といっても、かきもない草原そうげんつづきである。かれ長屋ながやからるとれちがいに、数名すうめい人影ひとかげが、かや彼方かなたとおって、駄菓子屋だがしや裏表うらおもてはいってゆくのがえた。工事場こうじばさむらいじっていた。又八またはちは、
「あぶないところだった」
 とつぶやいた。
 あご半分はんぶんない武者修行むしゃしゅぎょう死体したいから、つつみや印籠いんろうったもののあることは、そのあとですぐ発見はっけんされたはずである。当然とうぜん、そのそばにいた自分じぶん盗人ぬすっと嫌疑けんぎがかかったに相違そういない。
「だが……おれぬすみをしたのじゃない。んだ武者修行むしゃしゅぎょうたのみにやむなく持物もちものあずかってたのだ」
 又八またはちやましくなかった。そのしな懐中ふところっている。これはあずかったものだと意識いしきしながらっている。
「もう石曳いしひきにかれない」
 かれは、明日あしたからの放浪ほうろうに、なんのもなかった。しかし、こういう転機てんきでもなければ、何年なんねんでもいしいているかもれないとおもうと、かえってさきあかるくかんがえられる。
 かやかたまでかかる。夕露ゆうつゆがいっぱいだ。とおくから姿すがた発見はっけんされるおそれがなくてげるには気楽きらくだ。さてこれからどっちへゆくか? どっちへこうと体一からだひとつである。なにかいいうんだのわるうんだのがいろいろな方角ほうがく自分じぶんっているらしくおもう。いまあしかたひとつで生涯しょうがいおおきなちがいがしょうじるのだ。必然ひつぜん、こうなるものだと決定けっていされた人生じんせいなどがあろうとはかんがえられない。偶然ぐうぜんにまかせてあるくよりほか仕方しかたがない。
 大坂おおさか京都きょうと名古屋なごや江戸えど――流浪るろうさきかんがえてみるが、何処どこ知己ちきがあるわけではなし、さいをたのむようにたよりがない。さい必然ひつぜんがないように、又八またはちにも必然ひつぜんがないのだった。なにかここにおこってくる偶然ぐうぜんがあれば、それにかれてこうとおもう。
 だが、伏見ふしみさと萱原かやはらには、あるけどあるけどなん偶然ぐうぜんもなかった。むしおとつゆとがふかくなるばかりだった。単衣ひとえのすそはびっしょりれてあしきつき、くさがたかって、すねがむずがゆい。
 又八またはちは、ひる病苦びょうくをわすれたかわりに、すっかりひもじくなっていた。胃液いえきまでからっぽなのだ。追手おって心配しんぱいがなくなってからは、きゅうあるくことが苦痛くつうになっていた。
「……何処どこかでたいものだ」
 その慾望よくぼうかれ無意識むいしきにここへはこんでたのである。それは野末のずええた一軒いっけんむねだった。ちかづいてみるとかきもん暴風ぼうふうときかたむいたままだれおこしてやりがない。おそらく屋根やね満足まんぞくなものではあるまい。しかし一度いちど貴人きじん別荘べっそうとされて、みやこあたりから、糸毛いとげくるまにろうたけた麗人れいじんが、はぎけてとおったこともありそうな家造やづくりなのである。又八またはちはその無門むもんもんとおってなかはいり、秋草あきくさなかまっている離亭はなれ母屋おもやをながめて、ふと玉葉集ぎょくようしゅうなかにある西行さいぎょうの、

ひしりてはべりけるひと伏見ふしみにすむときてたずねまかりけるに、にわくさみちえずしげりてむしきければ――「わけてそでにあはれをかけよとてつゆけきにわむしさへぞく」

 ――そんな文句もんくおもいだして、肌寒はださむげにちすくんでいると、当然人とうぜんひとんでいないものとばかりおもっていたいえおくに、かぜしたがぱっとあかえ、しばらくすると尺八しゃくはちおとがそこからきこえだした。