92・宮本武蔵「火の巻」「佐々木小次郎(3)(4)」


朗読「92火の巻4.mp3」14 MB、長さ: 約 10分 22秒

 かさひろって、怪異かいいなそのかおへかむると、武者修行むしゃしゅぎょうはさっとあしはやめた。かぜのように彼方かなたむかってしたのである。勿論もちろん、そこまでの行動こうどうきわめてみじかだった。ありのように労働ろうどうしている何百なんびゃくという石曳いしひきも、むち十手じってって、そのあぶらあせ叱咤しったしている監督かんとくも、だれづくいとまがなかったほどに――
 だが、そのひろ工事場こうじばを、えずたかところから見渡みわたしている独特どくとくがあった。それは丸太組まるたぐみやぐらのうえにいる棟梁衆とうりょうしゅう作事与力さくじよりき上役うわやくだった。そこから突然とつぜんおおきなこえはなたれたとおもうと、やぐらした湯呑ゆのどころいたがこいのなかで、大釜おおがまにいぶされながらはたらいていた足軽あしがるたちが、
「なんだ?」
なんだ」
「また、喧嘩けんかか」
 と、そとした。
 もうそのときは、作業場さぎょうば町屋まちやさかい出来できている竹矢来たけやらい木戸きどで、くろにかたまった人間にんげん怒号どごういろいほこりにつつまれていた。
間者かんじゃだな! 大坂おおさかの」
性懲しょうこりもなく」
「ぶっころせ」
 口々くちぐちにいって、石工いしく土工どこう工事奉行こうじぶぎょう配下はいかは、みな自分じぶんてきでもいるようにあつまってく。
 半分はんぶんあごのない武者修行むしゃしゅぎょうつかまったのだ。竹矢来たけやらいそと牛車ぎゅうしゃかげにかくれて、すばやく木戸きどくちをすりけようとしたが、そこの番衆ばんしゅうたちに挙動きょどうあやしまれて、くぎわっている刺叉さすまたというなが道具どうぐで、いきなりあしからられたのであった。
 そこへ、やぐらうえからも、
「その編笠あみがさとらえろっ」
 と、ばわるこえ同時どうじにあったので、理由りゆうなどはわず、遮二無二しゃにむにせにかかると、武者修行むしゃしゅぎょう形相ぎょうそうをあらためて、野獣やじゅうのようににものぐるいとなった。
 刺叉さすまたくられたおとこが、さきにその得物えものさきかみっかけられた。五人叩ごにんがたせておいて、虚空こくうへさっとひらめかしたのはかれこしよこたえていた胴田貫どうたぬきらしい大太刀おおたちである。平常ふだん差刀さしものには頑丈がんじょうすぎるが、陣太刀じんだちにすればごろである。――それをいてひたいこうりかぶると、
「こいつらッ」
 にらんだだけで、そこの重囲じゅういくぼんだので、武者修行むしゃしゅぎょう血路けつろをひらくつもりでけこんでった。
 すると、危険きけんけて人間にんげんはわっとらかったが、途端とたん八方はっぽうから小石こいしってたのである。
っちまえ」
「たたっころしてしまえっ」
 肝腎かんじんさむらいたちがおくしてちかよらないので、平常へいじょう武者修行むしゃしゅぎょうというものにたいして、かれらはすこしばかりの知識ちしき学問がくもんはなにかけ、なかをただ威張いばってよこあるくのを見栄みえにしている無産むさんひがものか、一種いっしゅ逸民いつみんみとめて、それに反感はんかんいだいている石工いしくだの土工つちくだのという労働者ろうどうしゃたちが、
っちまえ」
「のしちまえ」
 とさけんで、四方しほうからほうりつける、それは無数むすういしつぶてであった。
「この凡下ぼんげどもめ!」
 れば、わッとるのだ。武者修行むしゃしゅぎょうはもう自分じぶんきるみちつけるよりも、そのいしるほうの人間にんげんむかって、理智りち利害りがいえている。

 怪我人けがにんおおたし、死者ししゃ幾人いくにんかあったのに、それから一瞬いっしゅんのちは、めいめい職場しょくばにかえって、けろりとした工事場こうじばひろさであった。
 何事なにごともなかったように、石曳いしひきはいしき、土工つちくつちをかつぎ、石工いしくのみいしっている。
 のみ火花ひばなあつおと霍乱かくらんをおこしてあばれくるううまのいななき、残暑ざんしょそらは、午後ごごはいって、じいんと鼓膜こまく馬鹿ばかになるようなあつさだった。伏見城ふしみじょうからよどのほうへのびをしているくもみねは、しばらくうごきもしなかった。
「もう九分九厘くぶくりんまで、くたばっているが、御奉行ごぶぎょうるまでこうしてくから、てめえそこにいて、こいつのばんをしておれ。――んだらんだまでのことでいい」
 人足にんそくがしら目付めつけさむらいに、こうめいじられたことを又八またはちおぼえている。――だがあたまがどうかなってしまったのか、先刻さっきから目撃もくげきしたきりそう吩咐いいつけられたことも、なんだか悪夢あくむをみているようで、みみには意識いしきしても、あたままでとどいていない。
「……人間にんげんなんて、つまんねえものだな。たったいまそこで、しろ見取図みとりずうつしていたおとこが」
 又八またはちのにぶいひとみ自分じぶんから十歩じゅっぽほどさき地上ちじょうにある一個いっこ物体ぶったいつめたまま、最前さいぜんからぽんやりと虚無的きょむてきかんがえにとらわれている。
「……もうんでるらしい。まだ三十前さんじゅうまえだろうに」
 とかれおもった。
 あご半分はんぶんない武者修行むしゃしゅぎょうは、ふと麻縄あさなわしばられて、つちのまぶされたくろかおを、無念むねんそうにしかめたまま、そのかお横伏よこぶせにしてたおれている。
 縄尻なわじりはそばのおおきないしきつけてあるのだった。もう「ウ」も「ス」もいいない死人しにんからだをそう大仰おおぎょうくくっておかないでもよさそうなものと又八またはちはながめていたことだった。なんなぐられたのか、やぶれたはかまからへん恰好かっこうして露出ろしゅつしているあしすねは、にくはじけてれた白骨はっこつさきしていた。かみねばっていているし、そのへはあぶがたかり、あしにはもうありれがっている。
武者修行むしゃしゅぎょうたからには、のぞみをいていたろうに。――故郷くに何処どこか。おやはあるのかないのか」
 そんなことをおもると、又八またはちはいやな気持きもちおそわれて、武者修行むしゃしゅぎょう一生いっしょうかんがえているのか、自分じぶんてをかんがえているのか、わからなくなってきた。
のぞみをもつにも、もっと悧巧りこう出世しゅっせするみちがありそうなものだ」
 と、つぶやいた。
 時代じだいわかもの野望やぼうあおって、「若者わかものゆめて」「若者わかものて」と未完成みかんせいから完成かんせいへの過渡期かときにあった。又八またはちですらその社会しゃかい空気くうきかんじるほど、いまは、はだかから一国一城いっこくいちじょうあるじのぞめるときである。
 そのために、青年せいねん続々離郷ぞくぞくりきょうする――またいえはな骨肉こつにくかえりみない。そのおおくが武者修行むしゃしゅぎょうみちをとるのだ。武者修行むしゃしゅぎょうをしてあるけばいま社会しゃかいではいたるところで衣食いしょくことくことはない。田夫野人でんぷやじんでも武術ぶじゅつには関心かんしんをもっているからだ。寺院じいんたよってもわたれるし、あわよくば地方ちほう豪族ごうぞくきゃくとなり、なお、幸運こううんにぶつかれば、一朝事いっちょうことのある場合ばあいのために、大名だいみょう経済けいざいから「扶持ぶち」「蔭扶持かげぶち」などというものをみつがれることもある。
 だが数多かずおお武者修行むしゃしゅぎょうなかで、そういう幸運こううんにあうものがどれほどあろうかといえば、これはきわめて少数しょうすうにちがいない。功成こうなげ、一人前いちにんまえろくりになるほどのもの一万人中いちまんにんちゅう二人ふたり三人さんにんないであろう。――それでいて修行しゅぎょうくるしさと、達成たっせい至難しなんなことは、これでいいという、卒業そつぎょうまりがないのである。
馬鹿馬鹿ばかばかしい……)
 又八またはちは、同郷どうきょうとも宮本武蔵みやもとむさしったみちあわれんだ。おれは将来しょうらいやつ見返みかえしてやるにしても、そんなおろかなみちはとらないぞとおもう。ここにんでいるあごのない武者修行むしゃしゅぎょうのすがたをてもそうおもう。
「……おやっ?」
 又八またはち退いておおきなをすえた。なぜならば、んだものときめていたありだらけの武者修行むしゃしゅぎょうがびくっとうごして、縄目なわめあいだからすっぽんのような手首てくびだけをして大地だいちへつき、やがてむくりと、はらげ、かおげ、つぎまえのほうへ一尺いっしゃくばかり、ずるりとしてたからであった。