91・宮本武蔵「火の巻」「佐々木小次郎(1)(2)」


朗読「91火の巻3.mp3」15 MB、長さ: 約 10分 34秒

佐々木小次郎ささきこじろう

 何思なにおもったか、武者修行むしゃしゅぎょうはそこへすわりこんだ。面積一坪めんせきひとつぼほどな平石ひらいしまえにである。すわってみるとちょうどつくえたかさぐらいにひじがつけるのだ。
「ふッ……ふッ……」
 けていたいしすないきく、すなとともにありれつもふきんでゆく。
 ふたつのひじをつくと、編笠あみがさはしばらく頬杖ほおづえっている。ざかりで、いしはみなかえすし、くさいきれはさかさにかおでるし、さぞあついだろうに、うごきもしない。しろ工事こうじながっているのである。
 すこはなれたところに、又八またはちがいることなどは、かいさない様子ようすであった。又八またはちもそこへてそういうていをしている武者修行むしゃしゅぎょうがあろうとあるまいと、もとより自分じぶんなん交渉こうしょうがあるわけではないし、あたまむね依然いぜんとして不快ふかいなので、時折ときおりから生唾なまつばきながら、けてやすんでいた。
 ――と。そのくるしげないきみみにとめたのだろう。編笠あみがさがうごいて、
石曳いしひき」
 と、こえをかけ、
「どういたした?」
「へい……あつあたりで」
くるしいのか」
すこちつきましたが……まだこうきそうなんで」
くすりをやろう」
 印籠いんろうって、くろつぶてのひらへうつし、って又八またはちくちれてくれた。
「すぐなおる」
「ありがとうぞんじます」
「にがいか」
「そんなでもございません」
「まだ、貴様きさまはそこで、仕事しごとやすんでおるのか」
「へ……」
だれまいったら、ちょっとおれのほうこえをかけてくれ、小石こいし合図あいずをしてくれてもいい、たのむぞ」
 武者修行むしゃしゅぎょうは、そういって、まえ位置いちすわりこむと、今度こんどはすぐ矢立やたてからふでし、半紙はんしとじ懐中ふところ手帖てちょういしうえにひろげて、ものをくことに没頭ぼっとうしはじめた。
 かさのつばしに、かれのやりばが、間断かんだんなくしろむかったり、しろそとのほうへったり、またしろのうしろのやませんや、河川かせん位置いちや、天守てんしゅなどへ、転々てんてんとうごいてゆくところをると、そのふでさきは、伏見城ふしみじょう地理ちり廓外廓内ろうがいろうないづもりを、絵図かいずっているにちがいなかった。
 せきはらいくさ直前ちょくぜんに、このしろ西軍せいぐん浮田勢うきたぜい島津勢しまづぜいめられて、その増田廓ますだぐるわ大蔵廓おおくらぐるわや、また諸所しょじょ塁濠るいごうなどもかなり破壊はかいされたものだったが、いまでは、太閤時代たいこうじだい旧観きゅうかんにさらに鉄壁てっぺき威厳いげんくわえて、一衣帯水いちいたいすい大坂城おおさかじょう睥睨へいげいしていた。
 いま――武者修行むしゃしゅぎょう熱心ねっしんうつしている見取図みとりずをのぞくと、かれは、いつのおりかに、そのしろのうしろをおおっている大亀谷おおかめだに伏見山ふしみやまからもこの城地しろち俯瞰ふかんして、べつに一面いちめん搦手図からめてずうつしているらしく、いかにも精密せいみつなものが出来できかかっている。
「……あっ」
 又八またはちが、そういったときには、写図しゃず一心いっしんになっている編笠あみがさのうしろへ、工事課役こうじかやく大名だいみょうしんか、伏見ふしみ直臣じきしんかわからないが、草鞋わらじばきで、太刀たち革紐かわひもなかにうた半具足はんぐそくさむらいが、武者修行むしゃしゅぎょうのつくまで、だまってっていたのだった。
 ――すまないことをした。又八またはち正直しょうじきにすまないとおもった。けれどもうおそい。いしげてやってもこえをかけてやっても、もうおそい。
 そのうちに、武者修行むしゃしゅぎょうは、あせ襟元えりもといついた馬蠅うまばえはら拍子ひょうしに、
「――あ?」
 あおいで、おどろきのをみはった。
 工事目付こうじめつけさむらいは、そのをじっとかえして、いしうえ見取図みとりずへだまって具足ぐそくばした。

 この炎天下えんてんか我慢がまんと、粒々りゅうりゅう辛苦しんくをして、やっとうつしたしろ見取図みとりずが、ものもいわず、いきなり肩越かたごしにのために、しわつかられようとするのをると、武者修行むしゃしゅぎょうは、火薬かやくかたまりがんだように、
なにするかッ」
 満身まんしん呶鳴どなった。
 手頸てくびをつかまえてつと、工事目付こうじめつけげたかれ写図帖しゃずちょうを、かえされまいとして、ちゅうへそのをさしあげつつ、
せろ」
無礼ぶれいなッ」
役目やくめだ」
「なんであろうが」
てはわるいものか」
わるいっ。貴様きさまなどがたってわかるもんじゃない」
「とにかくあずかる」
「いかん!」
 じょう写図しゃずは、双方そうほうかれて、半図はんずずつにぎりしめた。
ひきてるぞ、素直すなおにせぬと」
「どこへ」
奉行所ぶぎょうしょへ」
貴様きさま役人やくにんか」
しかり」
何番なにばんの。だれの」
左様さようなこと、なんじらが、かんでもいい。此方このほうは、工事場見廻こうじばみまわりのやくあやしいとみとめたによって、取調とりしらべるのじゃ――誰様だれさまのおゆるしをうけて、おしろ地勢ちせいや、御普請ごふしんなどをうつったか」
「おれは武者修行むしゃしゅぎょうだ、後学ごがくのため諸国しょこく地理ちり築城ちくじょう見学けんがくしておる、なんでわるいか」
「さような口実こうじつでうろついておるてき間者かんじゃは、はえありほどおおいのじゃ。……とにかくこれはかえせん、其方そなた一応取いちおうとりただすによって、あっちまでい」
「あっちとは」
工事奉行こうじぶぎょうのお白洲しらす
「おれを罪人扱ざいにんあつかいするのか」
「だまってまいるのだ」
役人やくにん、こらっ。――貴様きさまあ、そんな権柄顔けんぺいがおさえすれば愚民ぐみんおどろくとおもっておるくせがついてるな」
あるかんか」
あるかせてみろ」
 てこでもうごかない姿勢しせいしめすのである。見廻みまわりは、あおすじをてた。つかんでいた写図しゃずやぶれを、へすててみにじり、二尺余にしゃくあまりのなが十手じってこしからいた。
 武者修行むしゃしゅぎょうかたなへかかったら、すかさず、そのひじ十手じって打撃だげきれてやろうとするもののように、こし退いて身構みがまえたが、その様子ようすもないので、もう一度いちど
あるかんと、なわつぞ」
 ことばのおわらないうちに、武者修行むしゃしゅぎょうのほうから一歩出いっぽでた。なにおおきなこえはっしたとおもうと、見廻みまわりはくびをつかみせられていた。武者修行むしゃしゅぎょう片手かたてはまた、かれ鎧帯よろいおびこしをつかんで、
「この、むしけら」
 巨石おおいしかどむかってほうげた。
 見廻みまわりの侍頭さむらいがしらは、先刻さっきそこで石曳いしひきのおとこがたたきった西瓜すいかのようになって、かたちうしなってしまった。
「……アッ」
 又八またはちは、かおおさえた。
 味噌みそみたいなものがかれのいるあたりまでねてたからである。平然へいぜんたるものは、彼方あなた武者修行むしゃしゅぎょうであった。よほどこんな殺人さつじんれているのか、また一気いっきいきどおりを爆発ばくはつさせてあとすずしさに落着おちついているのか、とにかく、あわてて様子ようすもなく、見廻みまわりのあしみにじられた写図しゃず断片だんぺんと、そこらにらばっている反古ほごをひろいあつめ、つぎに、相手あいてげる途端とたんひもれてんでった編笠あみがさを、しずかなさがしている。
「…………」
 又八またはちは、凄惨せいさんたれていた。おそろしい力量りきりょう自分じぶん毛穴けあなまでよだっている。――るところ武者修行むしゃしゅぎょうはまだ三十さんじゅうとどくまい。陽焦ひやけのした骨太ほねぶとかおうすがあり、みみしたからあごにかけて四半分しはんぶんほどかおがない。ないというのはおかしいが、太刀たちられたきずあとにくへんちぢんでしまったのかもれない。そのみみうらにもくろ刀痕とうこんがあり、ひだりこうにも刀傷かたなきずがある。なお肌着はだぎいだらいくつでも同様どうよう刀傷かたなきずそうな――るからに近寄ちかよりがたい猛気もうきをそのかおはそなえていた。