90・宮本武蔵「火の巻」「西瓜(3)(4)」


朗読「90火の巻2.mp3」15 MB、長さ: 約 10分 51秒

又八またはちは、つちのついた青銭あおぜにを、のうえでかぞえた。西瓜売すいかうりにわたして一個いっこ西瓜すいか交換こうかんした。それをかかむと、またしばらく、いしりかかったまま、ぐんなり俯向うつむいているのである。
「げ……げ……」
突然とつぜん片手かたてをつくと、くさなかうしみたいに唾液だえきいた。西瓜すいかひざからころがりしている。それをろうとする気力きりょくもないし、べようというったわけでもないらしいのだ。
「…………」
にぶいで、西瓜すいかをながめていた。虚無きょむたまみたいになん意力いりょく希望きぼうもたたえていない。呼吸いきをするとかたばかりうごいた。
「……畜生ちくしょう
のろものばかりが頭脳あたまうつってくる。おこうしろかおであり、武蔵たけぞうのすがたであった。いま逆境ぎゃっきょうちて過去かこ振顧ふりかえると、武蔵たけぞうがなかったらとおもい、おこうわなかったらとかれはついおもう。
あやまちの一歩いっぽは、せきはらいくさときだ。つぎに、おこう誘惑ゆうわくだ。あのふたつのことさえなかったら、自分じぶんいまも、故郷ふるさとにいたろう。そして本位田ほんいでん当主とうしゅになって、うつくしいよめをもち、むら人々ひとびとから、羨望せんぼうされるでいられたにちがいない。
「おつうは、うらんでいるだろうなあ……。どうしているか」
かれいま生活せいかつは、彼女かのじょ空想くうそうすることだけがなぐさめだった。おこうというおんな性質せいしつがよくわかってからは、おこう同棲どうせいしているうちから、こころはおつうへもどっていたのだった。やがてあの「よもぎのりょう」とぶおこういえを、ていよくされたようなかたちてしまってからは、よけいにおつうおもうことがおおかった。
そのあとまた、よく洛内らくないさむらいたちのあいだうわさにのぼる宮本武蔵みやもとむさしなる新進しんしん剣士けんしが、むかし友達ともだちの「武蔵たけぞう」であることをると、又八またはちはじっとしていられなかった。
(よしっ、おれだって)
かれさけをやめた。遊惰ゆうだ悪習あくしゅうとばした。そしてつぎ生活せいかつへかかりかけた。
(おこうのやつにも、見返みかえしてやるぞ。――ていやがれ)
だが、さしずめ適当てきとう職業しょくぎょうつからなかった。五年ごねん世間せけんずに、年上としうえおんなやしなわれて不覚ふかくのほどが、はっきりみてわかったが、おそかった。
(いや、おそかあない。まだ二十二にじゅうにだ。どんなことをしたって……)
と、これはだれにでもおこせる程度ていど興奮こうふんだったが、又八またはちとしては、をつぶって運命うんめい断層だんそうをとびえるような悲壮ひそうをもって、この伏見城ふしみじょう土木どぼくはたらきにたのだった。そしてこのなつからあきまでの炎天下えんてんかで、自分じぶんでもよくつづいたとおもうほど労働ろうどうをつづけていた。
(おれも、ひとかどのおとこになってみせる。武蔵たけぞうのやるげいぐらい、おれ出来できないほうはない。いや、いまにあいつを尻目しりめにかけて、出世しゅっせしてみせてやる。そのときには、おこうにもだまって復讐ふくしゅうできるのだ。ていろここ十年じゅうねんばかりに)
だが――とかれはふとおもうのだった――十年経じゅうねんたったら、おつう幾歳いくつになるだろうと。
武蔵たけぞう自分じぶんよりも、彼女かのじょひと年下とししただ。するといまから十年経じゅうねんたつうちには、もう三十さんじゅうひとつこえてしまう。
(それまで、おつうが、ひとっているかしら?)
故郷こきょうのその消息しょうそくなにらない又八またはちだった。そうかんがえると、十年じゅうねんではとおすぎる、すくなくもここ六年ろくねんのうちだ。なんとしてもてて、故郷こきょうき、おつうびて、おつうむからなければならない。
「そうだ……五年ごねんか、六年ろくねんのうちに」
西瓜すいかているに、ややひかりてきた。すると、おおきないしむこがわから、仲間なかま一人ひとりが、ひじせていった。
「おい又八またはちなにをひとりでぶつぶついってるんだ。……オヤ、ばかにあおつらして、げんなりしているじゃねえか。どうしたんだ、くさった西瓜すいかでもらって、はらでも下痢くだしたのか」

つけ元気げんきに、又八またはちはうすくわらった。だがすぐ、不快ふかいまいがこみあげてるらしく、生唾なまつばいてかおった。
「な、なあに、たいしたことはないが、すこあつあたりしたらしいんだ。……すまないが、ひるからいっときほど、やすましてくれ」
意気地いくじのねえ野郎やろうだな」
たくましい石曳いしひ仲間なかまは、あわれむようにあざけった。
「なんだい、その西瓜すいかは。えもしねえのにったのか」
仲間なかまにすまないから、みんなにべてもらおうとおもって」
「そいつあ如才じょさいのねえこった。おい、又八またはちおごりだとよ、ってやれ」
西瓜すいかって、そのおとこは、いしかどへたたきつけた。たちまち、そこらの仲間なかまありのようにってて、あかいしずくのしたた甘肉あまにく破片はへんむさぼった。
「やあい、仕事しごとだぞうっ」
石曳いしひきの小頭こがしらが、いしのうえにがって呶鳴どなった。監督かんとくさむらいが、むちって陽除ひよ小屋ごやからる。にわかにあせのにおいが大地だいちにうごき、馬蠅うまばえまでわんわんつ。
「テコ」や「コロ」にせられた巨大きょだいいしが、一握ひとにぎりもあるふとつなかれて徐々じょじょまえてゆくのだった、くもみねがうごくように。
築城時代ちくじょうじだい現出げんしゅつは、それにつれて全国ぜんこくに、石曳いしひうたというものの流行りゅうこうおこした。いま、ここの人足にんそくたちがうたしたのもそれである。阿波あわ城主蜂須賀じょうしゅはちすか至鎮よししげしろぶしんの課役かえきて、そこから国表くにおもてへつかわしたそのころ書信しょしん一節いっせつにも、
(――ゆうべさるかたにてならもうしそろまま名古屋なごや石曳いしひきうたきつけてまいらせそろ)
とあって、その歌詞かし

われが殿衆とのしゅう
藤五郎とうごろうさまじゃに
粟田口あわたぐちより
いしまたきゃる
エイサ、エイサ
コロサときゃる
こえきくさえ
四肢よあしがなゆる
ましてうたら
のずよの

(――おいわかきもうたいはやしそろ。これにてなくば、うきなるまじくそろ
労働歌ろうどうか絃歌げんかになり、蜂須賀侯はちすかこうのような大名だいみょうまでが、夜興やきょう口誦くちずさみにたわむれたものとみえる。
まちうたがさかんになりだしたのは、なんといっても太閤たいこう世盛よざかりからだった。室町将軍むろまちしょうぐんころには、うたがあっても廃頽的はいたいてき室内しつないのものだけだった。そのころは、児童じどうがうたううたまで、ひがみッぽいくらうたおおかったが、太閤たいこうになってからは、うたあかるくなりおおきくなり希望的きぼうてきになって、民衆みんしゅうはそれをあせをかきながら太陽たいようしたでうたうことをはなはこのんだ。
せきはらえきあと社会文化しゃかいぶんか家康色いえやすしょくがだんだんくなってくると、うたもすこしかわってて、豪放ごうほうさはうすくなった。太閤様たいこうさまのころには、民衆みんしゅうからひとりでにうたいてきたが、大御所おおごしょ世間せけんになってからは、徳川とくがわ家付いえつき作者さくしゃつくったようなうた民衆みんしゅう提供ていきょうされてた。
「……ああ、くるしい」
又八またはちは、あたまをかかえた。あたまみたいにあつかった。仲間なかまのわめいている石曳いしひうたが、あぶかれているようにみみにうるさかった。
「……五年ごねん五年ごねん。アア五年働ごねんはたらいていたらどうなるんだ。一日稼いちにちかせいでは、一日分食いちにちぶんくってしまい、一日休いちにちやすめば、一日食いちにちくわずにいなけれやならない」
生唾なまつばしきって、あおざめたかお俯向うつむけていた。
――すると、いつのまにていたのか、そこからすこはなれたところに、藁編わらあみのあらかさ眉深まぶかにかぶって、袴腰はかまごし武者修行風呂敷むしゃしゅぎょうふろしきをしばりつけたたか若者わかものが、半開はんびらきにした鉄扇てっせんを、かさのひさしにかざして、熱心ねっしん伏見城ふしみじょう地勢ちせい工事こうじのさまをながめていた。