89・宮本武蔵「火の巻」「西瓜(1)(2)」


朗読「89火の巻1.mp3」14 MB、長さ: 約 10分 24秒

宮本武蔵みやもとむさし
まき
吉川英治よしかわえいじ

西瓜すいか

 伏見桃山ふしみももやま城地しろちめぐっている淀川よどがわみずは、そのまま長流数里ちょうりゅうすうり浪華江なにわえ大坂城おおさかじょう石垣いしがきへもせていた。――で、ここら京都きょうとあたりの政治的せいじてきなうごきは、微妙びみょう大坂おおさかのほうへすぐひびき、また大坂方おおさかがた一将一卒いっしょういちそつ言論げんろんも、おそろしく敏感びんかん伏見ふしみしろきこえてるらしい。
 いま――
 摂津せっつ山城やましろくにつらぬくこの大河たいが中心ちゅうしんにして、日本にほん文化ぶんかおおきな激変げきへんっている。太閤たいこうあとを、さながら落日らくびうつくしさのように、よけいに権威けんい誇示こじしてせている秀頼ひでより淀君よどぎみ大坂城おおさかじょうと、せきはらえきからあと拍車はくしゃをかけて、この伏見ふしみしろにあり、みずか戦後せんご経綸けいりん大策だいさくたり、豊臣とよとみ文化ぶんか旧態きゅうたいを、根本こんぽんからあらためにかかっている徳川家康とくがわいえやす勢威せいいと――そのふたつの文化ぶんか潮流ちょうりゅうが、たとえば、かわなか往来おうらいしているふねにも、おかをゆく男女だんじょ風俗ふうぞくにも、流行歌はやりうたにも、しょくをさがしている牢人ろうにんかおつきにも、混色こんしょくしているのだった。
「どうなるんだ?」
 と、人々ひとびとはすぐそういう話題わだい興味きょうみつ。
「どうって、なにが?」
なかがよ」
かわるだろう。こいつあ、はっきりしたことだ。かわらないなかなんて、そもそも、藤原道長以来ふじわらみちながいらい一日いちにちだってあったためしはねえ。――源家平家げんけへいけ弓取ゆみとりが、政権せいけんるようになってからはなおさらそいつがはやくなった」
「つまり、またいくさか」
「こうなっちまったものを、いまさら、いくさのないほうへ、なかなおそうとしても、ちからおよぶまい」
大坂おおさかでも、諸国しょこく牢人衆ろうにんしゅうへ、をまわしているらしいな」
「……だろうな、おおきなこえではいえねえが、徳川様とくがわさまだって、南蛮船なんばんせんからじゅう弾薬たまぐすりをしこたまいこんでいるというし」
「それでいて――大御所様おおごしょさまのおまご千姫せんひめを、秀頼公ひでよりこう嫁君よめぎみにやっているのはどういうものだろ?」
天下様てんかさまのなさることは、みな聖賢せいけんみちだろうから、下人げにんにはわからねえさ」
 いしけていた。かわみずいている。もうあきっているのだが、あつさはこのなつ土用どようにもまさってきびしい。
 よど京橋口きょうばしぐちやなぎはだらりとしろっぽくえている。くるったような油蝉あぶらぜみ一匹いっぴきかわよこぎって町屋まちやなかあたってゆく。そのまちばんあかりいろはどこへかうしなって、はいびたような板屋根いたやねかわがっているのだった。はし上下かみしもには、無数むすう石船いしぶねがつながれていて、かわなかいしおかいし、どこをまわしてもいしだらけなのである。
 そのいしみな畳二枚以上たたみにまいいじょうおおきなものがおおかった。けきったいしうえに、石曳いしひきの労働者ろうどうしゃたちは、無感覚むかんかくそべったりこしかけたり仰向あおむけにころがったりしている。ちょうどいまが、昼飯ひるめしどきでそのあと半刻休はんときやすみをたのしんでいるのであろう。そこらに材木ざいもくをおろしている牛車ぎゅうしゃうしよだれをたらして、満身まんしんはえあつめてじっとしている。
 伏見城ふしみじょう修築しゅうちくだった。
 いつのまにか、人々ひとびとに「大御所おおごしょ」とばしめている家康いえやすがここに滞在たいざいしているからではない。城普請しろぶしんは、徳川とくがわ戦後政策せんごせいさくひとつだった。
 譜代大名ふだいだいみょうこころ弛緩しかんさせないために。――また、外様とざま大名だいみょう蓄力ちくりょく経済的けいざいてきにそれへ消耗しょうもうさせてしまうために。
 もうひとつの理由りゆうは、一般民いっぱんみんに、とにかく徳川政策とくがわせいさく謳歌おうかさせるためには、土木どぼくたくみ各地かくちおこして、下層民かそうみんかねをこぼしてやるにかぎる。
 いま城普請しろふしん全国的ぜんこくてき着手ちゃくしゅされていた。その大規模だいきぼなものだけでも、江戸城えどじょう名古屋城なごやじょう駿府城すんぷじょう越後高田城えちごたかだじょう彦根城ひこねじょう亀山城かめやまじょう大津城おおつじょう――等々々などなどなど

 この伏見城ふしみじょう土木どぼく日稼ひかせぎに労働者ろうどうしゃかずだけでも、千人せんにんちかかった。そのおおくは、新曲輪しんぐるわ石垣工事いしがきこうじにかかっているのである。伏見町ふしみちょうはそのせいで、きゅうに、売女ばいた馬蠅うまばえ物売ものうりがえ、
大御所様景気おおごしょさまけいきや」
 と、徳川政策とくがわせいさく謳歌おうかした。
 そのうえ
「もし戦争せんそうになれば」
 と、町人ちょうにんたちは、さっして、思惑おもわくねっしていた。社会事象しゃかいじしょうのことごとくを、そろばんだまにのせて、
もうけるのはここだ」
 無言むごんのうちに、商品しょうひん活溌かっぱつにうごいた。その大部分だいぶぶんが、軍需品ぐんじゅひんであることはいうまでもない。
 もう庶民しょみんあたまには、太閤時代たいこうじだい文化ぶんかをなつかしむよりも、大御所政策おおごしょせいさくさきのいいほう心酔しんすいしかけていた。司権者しけんしゃだれでもいいのである。自分じぶんたちのちいさな慾望よくぼうのうちで、生活せいかつ満足まんぞくができればそれで苦情くじょうがないのだ。
 家康いえやすは、そういう愚民心理ぐみんしんりを、裏切うらぎらなかった。どもへ菓子かしいてやるより易々いいたる問題もんだいであったろう。それも徳川家とくがわけかねでするのではない。栄養過多えいようかた外様大名とざまだいみょう課役かえきさせて、ほどよく、かれらのちからをも減殺げんさつさせながら効果こうかげてゆく。
 そうした都市政策としせいさく一方いっぽう大御所政治おおごしょせいじは、農村のうそんたいしても、従来じゅうらい放漫ほうまん徴発ちょうはつや、国持くにもちまかせをゆるさなかった。徳川式とくがわしき封建政策ほうけんせいさくをぽつぽつきはじめていた。
 それには、
たみをして政治せいじらしむなかれ、政治せいじにたよらせよ)
 という主義しゅぎから、
百姓ひゃくしょうは、えぬほどにして、ままもさせぬが、百姓ひゃくしょうへの慈悲じひなり)
 と、施政しせい方策ほうさくをさずけて、徳川中心とくがわちゅうしん永遠えいえんけいにかかっていた。
 それはやがて、大名だいみょうにも、町人ちょうにんにも、おなじようにかかってて、孫子まごこだいまで、うごきのならないかせあしかせとなる封建統制ほうけんとうせい前提ぜんていであったが、そういう百年先ひゃくねんさきのことまでは、だれかんがえなかった。いや、城普請しろぶしん石揚いしあげや石曳いしひきにかせぎにている労働者ろうどうしゃなどは、明日あしたのことさえ、おもっていないのである。
 昼飯ひるめしをたべれば、
「はやくばんになれ」
 といのるのが、いっぱいな慾念よくねんだった。
 それでも時節じせつがら、
戦争せんそうになるか」
「なれば何日いつころ?」
 などと、時局談じきょくだんは、いっぱしさかんだったが、その心理しんりには、
戦争せんそうになったって、こちとらは、これ以上いじょうわるくなりようがねえ」
 という気持きもちがあるからで、ほんとにこの時局じきょくうれいたり、平和へいわ岐点きてんをじっとあんじて、どのほうがるのがくにたみのためだろうなどとかんがえているのではけっしてないのである。
「――西瓜すいかいらんか」
 いつも昼休ひるやすみに百姓娘ひゃくしょうむすめが、西瓜すいかかごかかえてれてた。いしかげで、ぜに裏表うらおもてせて、博戯ばくちをしていた人足にんそくれで、ふたれた。
「こちらのしゅうは、西瓜すいかどうや。西瓜買すいかこうてくれなはらんか」
 と、れかられへうたってくると、
「べらぼうめ、ぜにがねえや」
「ただならってやる」
 そんなこえばかりだった。
 すると、たった一人ひとりぽち、青白あおじろかおをして、いしいしのあいだにりかかってひざかかえていた石曳いしひきのわか労働者ろうどうしゃが、
西瓜すいかか」
 と、ちからのないをあげた。
 せて――がくぼんで――けて、すっかりかわってしまったが、その石曳いしひきは、本位田ほんいでん又八またはちだった。