13・宮本武蔵「地の巻」「野の人たち(3)(4)(5)」


朗読「地の13.mp3」34 MB、長さ: 約14分59秒

 荒神様こうじんさまのお使つかいのように、おすぎはだまって上座かみざすわった。おぎんのあいさつを鷹揚おうようにうけて、すぐ、
「おまえのうちの、悪蔵あくぞうがもどってたそうじゃが、ここへ、んでおくりゃれ」
 と、いった。
 やぶからぼうだ、おぎんは、
悪蔵あくぞうとは、だれのことでございまするか」
 と、きかえした。
「ホ、ホ、ホ。これはくちすべった。むらしゅうがそういうので、ばばもついまったとみゆる。悪蔵あくぞうとは、武蔵たけぞうのこと、いくさからかえって、ここにかくれておろうがの」
「いいえ……」
 肉親にくしんおとうとのことを、ずけずけいわれたので、おぎんしらけたかおくちびるんだ。おつうどくになって、武蔵たけぞうのすがたを、今日きょう灌仏会かんぶつえかけたとそばからげて、
「ふしぎでございますね、ここへもないとは?」
 と双方そうほうあいだをとりなした。
 おぎんは、くるしげに、
「……ておりません、姿すがたせたなら、そのうちには、まいりましょうが」
 すると、おすぎが、とんとたたみをたたいた、そして、しゅうとのようなこわかおをしていった。
「なんじゃ、いまのいいぐさは。そのうちにまいりましょうで、ようましていられたもの。そもそも、わしがとこの息子むすこそそのかして、いくさへつれしたのは、ここの悪蔵あくぞうじゃないか。又八またはちはな、本位田ほんいでんいえにとっては、大事だいじ大事だいじな、後継あととりじゃぞ。それを――わしのをぬすんでおびしたばかりか、おのれ一人ひとり無事ぶじにもどってむものか。……それもよい、なぜ、挨拶あいさつさっしゃらぬ、自体じたいこの新免家しんめんけ姉弟きょうだいは、小癪こしゃくにさわる、このばばなんおもうていなさるのじゃ。さっ……おのれがいえ武蔵たけぞうかえってたからには、又八またはちも、ここへかえしてくだされ、それが出来できねば、悪蔵あくぞうめをここへすえて、又八またはち安否あんぴ落着おちつきをこのばば得心とくしんがなるようにかしてもらいましょう」
「でも、その武蔵たけぞうがおりませぬことには」
白々しらじらしい。おぬしが、らぬはずはない」
「ご難題なんだいでございます」
 おぎんは、してしまった。ちち無二斎むにさいがいるならばと、すぐむねうちではおもうたのだった。
 と、そのとき縁側えんがわが、がたっとった。かぜではない、はっきり、そとにはひと跫音あしおとらしい気配けはいがしたのである。
「おやっ?」
 おすぎが、ひからすと、おつうはもうちかけていた。――途端とたんつぎ物音ものおとは、絶叫ぜっきょうだった、人間にんげんはっしるこえのうちではもっとけものちかうめきであった。
 つづいて、何者なにものかが、
「――あッ、つかまえろっ」
 はやはげしい足音あしおとが、やしきのまわりをした。れるようなおと――やぶれておと――足音あしおと一人ひとり二人ふたりのものではない。
武蔵たけぞうじゃ」
 おすぎは、そういって、ぬっとった。しているおぎん襟元えりもとにらみつけて、
「いるのじゃ! いたことをこのあまは、ばばかくしくさる。なんぞわけがあろう、おぼえていやい」
 あるいて、縁側えんがわけた。そしてそとをのぞくと、おすぎは、土気つちけいろにかおえた。
 すね具足ぐそくてた一人ひとり若者わかもの仰向あおむけになってんでいたのである。くちはなから鮮血せんけつをふきしている無残むざんていからると、なに木剣ぼっけんのようなもので、一撃いちげきのもとに、ころされたものらしかった。

「た……だれじゃ……だれかここにころされているがの」
 おすぎのただごとでないわななごえに、
「えっ?」
 おつうは、縁側えんがわまて行燈あんどんげてた。おぎん怖々こわごわ大地だいちをのぞいてみた。
 死骸しがいは、武蔵たけぞうでもなし又八またはちでもなかった。このへん見馴みなれない武士ぶしなのだ。戦慄せんりつのうちにも、ほっとしたように、
下手人げしゅにんは、何者なにものじゃろう?」
 おすぎは、つぶやいて、それからきゅうにおつうむかって、かかりあいになるとつまらないからかえろうといいした。おつうは、この老母としより息子むすこ又八またはち盲愛もうあいするあまり、ここへてもひどいことばをいいちらしたのみで、おぎん可哀かわいそうでならなかった。なに事情じじょうもあろうとおもうし、なぐさめてもやりたいので、自分じぶんあとからかえるというと、
「そうか。勝手かってにしやい」
 にべもなく、おすぎはひとりで、玄関げんかんからった。
「お提燈ちょうちんを」
 と、おぎん親切しんせつにいうと、
「まだ、本位田家ほんいでんけばばは、提燈ちょうちんたねばあるかれぬほど、耄碌もうろくはしておらぬ」
 と、いう。
 まったく、わかものにもけない老母ろうぼだった。そとると、すそ端折はしょって夜露よつゆのふかいなかをてくてくともうあゆしてく。
ばば。ちょっとて」
 新免家しんめんけると、すぐびとめたものがある。彼女かのじょのもっともおそれていたかかいがもうたのだ。人影ひとかげ陣太刀じんだちよこたえ、半具足はんぐそく手足てあしをかためている、このむらかけない堂々どうどうとした武士ぶしである。
「そちは、いま新免家しんめんけからたな」
「はい、左様さようでござりますが」
新免家しんめんけものか」
「とんでもない」
 あわてて、った。
「わしは、河向かわむかいいの郷士ごうし隠居いんきょ
「では、新免武蔵しんめんたけぞうともに、せきはらいくさ本位田又八ほんいでんまたはちははか」
「されば。……それもせがれこのんでったのではなく、あの悪蔵あくぞうめにだまされたのでおざりまする」
悪蔵あくぞうとは」
武蔵たけぞうのやつで」
「さほどに、むらでもよくいわぬおとこか」
「もうあなたさまのつけられぬ乱暴者らんぼうものでござりましての、せがれがあんな人間にんげんとつきうたため、わたしどもまで、どれほどきをたやら」
「そちの息子むすこは、せきはらんだらしいな。しかし、やむな、かたきはとってやる」
「あなたさまは?」
「それがしは、いくさあと姫路城ひめじじょうむかえにまいった徳川方とくがわがたものだが、主命しゅめいをおびて、播州ばんしゅうざかい木戸きどもう往来人おうらいにんあらためていたところ、此邸ここの――」
 と、うしろの土塀どべいゆびさして、
武蔵たけぞうもうものが、木戸きどやぶってげおった。そのまえから、新免伊賀守しんめんいがのかみについて、浮田方うきたかた加担かたんしたものとわかっているゆえ、この宮本村みやもとむらまでいつめてたところじゃ。――したがあのおとこ、おそろしくつよい、数日来すうじつらいあるいて、つかれるのをっているが、容易よういにはつかまらん」
「ア……それで」
 おすぎは、うなずいた。武蔵たけぞうが、七宝寺しっぽうじへも、あねそばへもらないわけけた。同時どうじに、息子むすこ又八またはちかえらずに、かれのみきてかえったことが、いきどおろしかった。
旦那様だんなさま……なんぼ、武蔵たけぞうつようても、つかまえるのは、やすいことでございませぬか」
なにせい人数にんずうすくないのだ。いまいまとて、彼奴きゃつのために、一人ひとりころされたし……」
ばばに、よい智慧ちえがありますのじゃ、そっと、みみをおしなされ……」

 どんなさくを、ささやいたのであろうか。
「む! なるほどな」
 姫路城ひめじじょうから国境こっきょう目付めつけているその武士さむらいおおきくうなずいた。
首尾しゅびようおやりなされよ」
 お杉婆すぎばばは、煽動せんどうするようにいって、った。
 ――もなく。その武士さむらいは、新免家しんめんけ裏手うらてに、十四じゅうし五人ごにん人数にんずうをまとめていた。なにか、ひそかにいいわたして、やがてへいをこえてやしきのうちへなだれこんだ。
 わか女同士おんなどうしの――おつうとおぎんとが――おたがいの薄命はくめいでもかたらいっていたのか、けたあかりのしたなみだをぬぐいっているところであった。人数にんずう土足どそくのまま、両方りょうほうふすまからはいんでて、部屋へやへいっぱいふさがった。
「……あっ?」
 おつうあおざめて、おののいたきりだったが、さすがに無二斎むにさいむすめであるおぎんかえってきびしいでその人々ひとびとつめた。
武蔵たけぞうあねはどっちだ」
 一人ひとりがいうと、
わたしですが」
 と、おぎんはいって、
やしきのうちへ、無断むだんで、何事なにごとでござりますか。女住居おんなずまいおもうて、無礼ぶれい所作しょさなどあそばすと、ゆるしてはおかれませぬぞ」
 ひざがしらをいてめると、先刻せんこく、おすぎばなしをわした組頭くみがしららしい武士さむらいが、
「おぎんは、こっちだ」
 と、彼女かのじょかおゆびさした。
 屋鳴やなりと同時どうじあかりがえた。おつう悲鳴ひめいをあげて庭先にわさきへまろびちた。理不尽りふじんでもあるし、突然とつぜん狼藉ろうぜきぶりだ、おぎんひとりにむかって、十名以上じゅうめいいじょうだいおとこしかぶさってなわにかけようとするのである。おぎんはそれにたいしておんなともおもわれない壮烈そうれつ抵抗ていこうせているのだった。――しかしそれも一瞬いっしゅんだった。ねじせられて、足蹴あしげにされているらしい。――
 たいへんだっ。
 どこをはしってたのか自分じぶんでもわからないが、とにかく深夜しんやみちを、おつう七宝寺しっぽうじほうむかって、裸足はだしのまま人心地ひとごこちもなくけていた。平和へいわれてきた処女おとめむねには、この顛動てんどうしたような衝撃しょうげきだった。
 てらのあるやましたまでると、
「お。おつうさんではないか」
 樹蔭こかげいしこしをおろしていた人影ひとかげってていった。宗彭沢庵しゅうほうたくあんなのである。
「こんなおそくまでかえらないことはないのに、さがしていたところだった。おや、はだしで? ……」
 彼女かのじょしろあしおとすと、おつうは、きながらそのむねへとびついてうったえた。
沢庵たくあんさん、大変たいへんです、アア、どうしよう」
 沢庵たくあんは、相変あいかわらず、
大変たいへん? ……なか大変たいへんなんていうことがそうあるだろうか。まあ、落着おちついて、わけかせなさい」
新免家しんめんけのおぎんさんがつかまってきました。……又八またはちさんはかえってないし、あの親切しんせつなお吟様ぎんさまつかまってゆくし。……わ、わたし、これからさき……ど、どうしたらいいんでしょう」
 きじゃくって、いつまでも沢庵たくあんむねをふるわせていた。