12・宮本武蔵「地の巻」「野の人たち(1)(2)」


朗読「地の12.mp3」23 MB、長さ: 約10分03秒

ひとたち

 ただの百姓ひゃくしょうではない、半農半武士はんのうはんぶしだ、いわゆる郷士ごうしなのである。
 本位田ほんいでん隠居いんきょは、きかない気性きしょう老母としよりだった、又八またはちのおふくろにあたひとだ、もう六十ろくじゅうぢかいが、わかもの小作こさくさきって野良仕事のらしごとかけ、はたけてば、むぎむ、くらくなるまでの一日仕事いちにちしごとをおえてかえるにも、ぶらではかえらない、こしまがったからだのかくれるほど、春蚕はるごくわ背負しょいこんで、なお、夜業よなべ飼蚕かいこでもやろうというくらいなおすぎあさんであった。
「おばばアー」
 まごはなたらしが、はたけのむこうから、はだしでるのをかけて、
「おう、丙太へいたよっ、れ、おてらったのけ?」
 桑畑くわばたけからこしをのばした。
 丙太へいたは、おどってて、
ったよっ」
「おつうさん、いたか」
「いた、きょうはな、おばば、お通姉つうねえさんは美麗きれいおびをして、花祭はなまつりしていた」
甘茶あまちゃと、虫除むしよけのうたを、もろうてたか」
「ううん」
「なぜもろうてぬのだ」
「お通姉つうねえさんが、そんなものはいいから、はやくおばばにらせに、いえけえれというたんや」
なにらせに?」
河向かわむかいいの武蔵たけぞうがなよ、今日きょう花祭はなまつりにあるいていたのを、お通姉つうねえさんがたのだとよ」
「ほんとけ?」
「ほんとだ」
「…………」
 おすぎをうるませて、息子むすこ又八またはちのすがたが、もうそこらにえてでもいるようにまわした。
丙太へいたれ、おばばにかわって、ここでくわんどれ」
「おばば、どこへゆくだ」
やしきへ、けえってみる、新免家しんめんけ武蔵たけぞうがもどっているなら、又八またはちも、やしきけえっているにちがいなかろう」
「おらもく」
阿呆あほうんでもええ」
 おおきなかしにかこまれた土豪どごう住居じゅうきょである。おすぎは、納屋なやまえけこむと、そこらにはたらいている分家ぶんけよめや、作男さくおとこむかって、
又八またはちが、けえってたかよっ」
 と、怒鳴どなった。
 みんな、ぽかんとして、
「うんにゃ」
 と、くびった。
 しかし、この老母ろうぼ興奮こうふんは、人々ひとびとのいぶかるのを、間抜まぬけのようにしかりつけた。息子むすこはもうむらかえっているのだ。新免家しんめんけ武蔵たけぞうむらをあるいている以上いじょう又八またはち一緒いっしょにもどってているにちがいない、はやくさがしてやしきっぱっていとめいじるのだった。
 せきはら合戦かっせんを、ここでも大事だいじ息子むすこ命日めいにちとしてかなしんでいたところだった、わけてもおすぎは、又八またはち可愛かわいくて、なかへでもれてしまいたいほどなのだった、又八またはちあねにはむこたせて分家ぶんけさせてあるので、その息子むすこは、本位田家ほんいでんけ後継息子あとつぎむすこでもあった。
つかったかよっ?」
 おすぎは、うちたりはいったりして、繰返くりかえ繰返くりかえたずねていた。――やがてれると、先祖せんぞ位牌いはいに、燈明あかしをともして、なにねんじるように、そのしたすわっていた。
 夕飯ゆうはんもたべずに、いえものみな出払ではらっていた、よるになっても、その人々ひとびとからの吉報きっぽうはなかなかかれなかった。おすぎはまた、くら門口かどぐちて、ちとおしていた。
 みずっぽいつきが、やしきのまわりのかしこずえにあった、うしろのやまも、まえやましろきりにつつまれ、梨畑なしばたけはなからあまかおりがただよってくる。
 その梨畑なしばたけあぜから、だれあるいてくるかげえた、息子むすこ許嫁いいなずけであるとわかると、おすぎをあげた。
「……おつうかよ?」
「おばばさま
 おつうは、草履ぞうりおとおもそうに、はしってきた。

「おつう。――おぬし、武蔵たけぞうのすがたをたそうだが、ほんとけ?」
「え。たしかに武蔵たけぞうさんなんです、七宝寺しっぽうじ花祭はなまつりにえました」
又八またはちは、えなんだかよ」
「それをこうとおもって、いそいでぶと、なぜか、かくれてしまったんです。もとから武蔵たけぞうさんていうひとは、かわっているひとですが、なんで、わたしぶのにげてしまったのかわかりません」
げた? ……」
 おすぎは、くびをかしげた。
 わが又八またはちを、いくさ誘惑ゆうわくしたものは、新免家しんめんけ武蔵たけぞうであるといって、常々つねづねうらんでいたこの老母ろうぼは、なにか、邪推じゃすいでもまわしているらしくかんがえこんでいた。
「あの、悪蔵あくぞうめ……、ことによると、又八またはちだけをなして、おのれは、臆病おくびょうかぜにかれて、ただ一人ひとりのめのめとけえってたのかもれぬ」
「まさか、そんなことはないでしょう。そうならばそうといって、なに遺物かたみでもっててくださるでしょうに」
「なんのいの」
 老母ろうぼは、つよく、かおった。
彼奴あいつが、そんなしおらしいおとこかよ。又八またはちは、わる友達ともだちちおったわ」
「ばばさま
「なんじゃ?」
わたしかんがえでは、きっと、おぎんさまやしきへゆけば、今夜こんやはそこに武蔵たけぞうさんもいるだろうとおもいますが」
姉弟きょうだいじゃもの、それやいるだろう」
「これから、ばばさま二人ふたりして、たずねてってみましょうか」
「あのあねあね自分じぶんおとうとが、わしがとこの息子むすこいくさしてったのを承知しょうちしながら、その見舞みまいにもねば、武蔵たけぞうがもどったとらせてもおらぬ。なにも、わしのほうから出向でむくすじはないわ。新免しんめんからるのがあたりまえじゃ」
「でも、こんな場合ばあいですし、一刻いっこくもはやく武蔵たけぞうさんにって、こまかい様子ようすきとうございます。あちらへまいったうえ挨拶あいさつはわたしがいたしますから、おばばさまもご一緒いっしょてくださいませ」
 おすぎ渋々しぶしぶ承知しょうちした。
 そのくせ息子むすこ安否あんぴりたいことは、おつうにもおとらないほどだった。
 そこから十二じゅうに三町さんちょうはある、新免家しんめんけ河向かわむこうだった。そのかわはさんで本位田家ほんいでんけふる郷士ごうしだし、新免家しんめんけ赤松あかまつ血統けっとうだし、こういうことのないまえから、暗黙あんもくのうちに、対峙たいじしているあいだがらであった。
 もんまっていた、あかりもみえないほど樹立こだちがふかい。おつう裏口うらぐちへまわろうというと、おすぎは、
本位田家ほんいでんけ老母としよりが、新免しんめんたずねるのに、裏口うらぐちからはいるような弱味よわみたぬ」
 と、うごかないのである。
 やむなく、おつうだけうらまわってった。しばらくつと、もんのうちにあかりがさした。おぎんむかれる。野良のらはたけたがやしているおすぎとはってかわって、
夜中よなかじゃが、ておかれぬことゆえに、出向でむいてましたぞよ。おむかえ、ご大儀たいぎじゃ」
 と、たか気位きぐらい言葉ことばにも権式けんしきって、ずっと、新免家しんめんけ一間いちまがった。