86・宮本武蔵「水の巻」「鶯(5)(6)」


朗読「86水の巻52.mp3」13 MB、長さ: 約9分32秒

「――城太じょうたさアん」
 いて、彼女かのじょがまたぶと、こんどはあきらかに返辞へんじがあって、
「おウーイ」
 と、けたこたえが、竹林たけばやしうえのほうでする。
「あら、こっちですよ。そんなほうみち間違まちがえては駄目だめ。そうそうそこからりておいでなさい」
 やがて孟宗竹もうそうだけしたもぐって、おつうのそばへ城太郎じょうたろうけてた。
「なアんだ、こんなところにいたのか」
「だから、わたしあといておいでなさいといったでしょう」
雉子きじがいたから、いつめてやったんだ」
雉子きじなどをつかまえているよりも、けたら、大事だいじひとさがさなければいけないじゃありませんか」
「だけど、心配しんぱいすることはないぜ。おれのお師匠様ししょうさまかぎっては滅多めったたれるづかいはないから」
「でも、ゆうべおまえは、なんといって、わたしのところへけつけてたの? ……いま、お師匠様ししょうさま生命いのちあぶないから、大殿様おおとのさまにそういって、いをやめさせてくれと呶鳴どなってたじゃありませんか。あのとき城太じょうたさんのかおつきは、いまにもしてしまいそうでしたよ」
「それや、おどろいたからさ」
おどろいたのは、おまえよりも、わたしのほうでした。――おまえのお師匠様ししょうさまが、宮本武蔵みやもとむさしというのだといたとき――わたしあまりのことにくちがきけなかった」
「おつうさんは、どうしておらのお師匠様ししょうさままえからっていたんだい」
おな故郷こきょうひとですもの」
「それだけ」
「ええ」
「おかしいなあ。故郷くにおなじというだけくらいなら、なにもゆうべ、あんなにいてうろうろすることはないじゃないか」
「そんなにわたしいたかしら」
ひとのことはおぼえていても、自分じぶんのことはわすれちまうんだな。……おらが、これは大変たいへんだ。相手あいて四人よにんだ、ただの四人よにんならよいが、みんな達人たつじんだといていたから、これはてておくと、お師匠様ししょうさまも、今夜こんやられるかもれない……。そうおもッちまって、お師匠様ししょうさま加勢かせいするで、すなをつかんで、四人よにんやつらへげつけていると、あのとき、おつうさんが、どこかでふえいていたろう」
「ええ、石舟斎様せきしゅうさいさま御前ごぜんで」
「おれは、ふえいて、ア、そうだ、おつうさんにいって、殿様とのさまあやまろうとむねなかかんがえたのさ」
「それでは、あのときわたしのふいていたふえ武蔵様むさしさまにもきこえていたのですね。たましいがとおったのでしょう、なぜならわたしは、武蔵様むさしさまのことをおもいながら、石舟斎様せきしゅうさいさままえであれをいていたのですから」
「そんなことは、どッちだっていいけれど、おらは、あのふえきこえたんで、おつうさんのいる方角ほうがくわかったんだ。夢中むちゅうになって、ふえきこえるところまでけてッた。そして、いきなりなんといっておらは呶鳴どなったんだっけ」
合戦かっせんだっ、合戦かっせんだっ。――と呶鳴どなったんでしょう。石舟斎様せきしゅうさいさまも、おどろいたご様子ようすでしたね」
「だが、あのおじいさんは、いいひとだな。おらが、いぬ太郎たろうころしたことをはなしても、家来けらいのようにおこらなかったじゃないか」
 この少年しょうねんはなしをしはじめると、おつうもついつりこまれて、とき場合ばあいわすれてしまう。
「さ……。それよりも」
 めどない城太郎じょうたろうのお喋舌しゃべりをさえぎって、おつうは、もん内側うちがわった。
「――はなしあとにしましょう。なによりさきに、今朝けさは、武蔵様むさしさまさがさなければいけません。石舟斎様せきしゅうさいさまも、れいやぶって、そんなおとこならってみようとっしゃって、おちかねでいらっしゃるのですから……」
 かんぬきはずおとがする。
 利休風りきゅうふうもんそで左右さゆうにひらいた。

 今朝けさのおつうは、はなやいでえる。やがて武蔵むさしえるという期待きたいにあるばかりでなく、わかおんなうまれてのよろこびを生理的せいりてきにもいっぱいに皮膚ひふうえにあらわしている。
 なつちか太陽たいようは、彼女かのじょほお果物くだもののようにつやつやとみがきたてている。薫々くんくんとふく若葉わかばかぜはいなかまであおくなるほどにおう。
 こぼれる朝露あさつゆにあびながら、樹蔭こかげひそんで彼女かのじょのすがたをまえていた武蔵むさしは、
(アア健康じょうぶそうになったな)
 すぐそこにづいた。
 七宝寺しっぽうじえんがわに、いつもしょんぼりと空虚うつろをしていたころ彼女かのじょは、けっして今見いまみるような生々いきいきしたほおひとみをしていなかった。さびしい孤児みなしご姿すがたそのものだった。
 そのころのおつうにはこいがなかった。あっても、ぼんやりしたものだった。どうして自分じぶんのみが孤児こじなのか、そればかりをほのかにうらんだり回顧かいこしたりしていた感傷的かんしょうてき少女しょうじょだった。
 だが武蔵むさしって、武蔵むさしこそほんとの男性だんせいだとしんじてからの彼女かのじょは、はじめて、女性じょせいたぎらす情熱じょうねつというものに自身じしんきがいをしたのである。――ことに、その武蔵むさしってたびにさまよいしてからは、あらゆるものに要素ようそからだにもこころにもやしなわれてた。
 武蔵むさしは、物蔭ものかげから、彼女かのじょのそうしてみがかれてをみはった。
(まるでちがってきた!)と。
 そしてかれは、どこかひとのいないところって、あらいざらい自分じぶん本心ほんしんといおうか――煩悩ぼんのうといおうか――つよがっているこころのうらよわいものをいってしまって、花田橋はなだばし欄干らんかんにのこした無情むじょう文字もじを、
(あれはうそだ)
 と、訂正ていせいしてしまおう?
 そして、ひとさえていなければかまわない、おんなになんかいくよわくなってやってもたいしたことはない。彼女かのじょがここまで自分じぶんしたってくれた情熱じょうねつたいして、自分じぶん情熱じょうねつしめおう。きしめてもやろう、ほおずりをしてもやろう、なみだもふいてやろう。
 武蔵むさしは、幾度いくども、そうかんがえた。かんがえるだけの余裕よゆうがあった。――おつう自分じぶんにいったかつての言葉ことばみみよみがえってくるほど、彼女かのじょすぐ思慕しぼたいしてそむくことが、男性だんせいとしてひど罪悪ざいあくのようにおもわれてならない――くるしくてならない。
 けれど、そういう気持きもちを、ぎゅっとんでしまうおそろしいこらえを武蔵むさしいましているのだった。そこでは、一人ひとり武蔵むさしふたつの性格せいかく分裂ぶんれつして、
(おつう!)
 と、さけぼうとし、
(たわけ)
 と、叱咤しったしている。
 そのどっちの性格せいかくが、先天的せんてんてきなものか後天的こうてんてきなものか、彼自身かれじしんにはもとよりわからない。そしてじっと木蔭こかげなかしずみこんでいる武蔵むさしひとみには、無明むみょうみちと、有明うみょうみちとが、みだれたあたまうちにも、かすかにわかっていた。
 おつうは、なにらないのである。もん十歩じゅっぽほどあゆした。そして、振向ふりむくと、城太郎じょうたろうがまたなにもんのそばで道草みちくさをくっているので、
城太じょうたさん、なにひろっているの。はやくおでなさいよ」
ちなよ、おつうさん」
「ま、そんなきたな手拭てぬぐいなんかひろって、どうするつもり?」