82・宮本武蔵「水の巻」「心火(1)(2)」


朗読「82水の巻46.mp3」13 MB、長さ: 約9分27秒

心火しんか

 合戦かっせんといっては、言葉ことばおおげさにひびくが、武蔵むさしいま自分じぶん気持きもちをいいあらわすには、そういってもなおいいりないほどであった。
 わざすえや、たんなる小手先こてさき試合しあいではけっしてない。そんななまぬるい形式けいしきを、武蔵むさしもとめているのでもない。
 合戦かっせんだ、くまでもたたかいだ。人間にんげん全智能ぜんちのう全体力ぜんたいりょくとをけて、運命うんめい勝敗しょうはいいどむからには、形式けいしきはちがっても、かれにとってはおおいなる合戦がっせんにかかっている気持きもちすこしもちがわないのである。――ただ三軍さんぐんをうごかすのと、自己じこ全智ぜんち全力ぜんりょくをうごかすのとの相違そういがあるだけだった。
 一人対一城ひとりたいいちじょう合戦かっせんなのだ。――武蔵むさしっているかかとには、そういうはげしい意力いりょくがあった。――で自然しぜん合戦かっせんというような言葉ことばくちをついてたので、相手あいて四高弟よんこうていは、
(こいつ狂人きょうじんか?)
 と、かれ常識じょうしきうたがうように、そのまなざしを見直みなおしたが、これはうたがったほうにも無理むりはなかった。
「よしっ、おもしろい」
 敢然かんぜんと、こうおうじて、木村助九郎きむらすけくろうは、穿いていた草履ぞうりあしばし、そして、股立ももだちをからげた。
「――合戦かっせんとはおもしろい。陣鼓じんこ陣鐘じんがねらさんまでも、その心得こころえ応戦おうせんしてやる。庄田しょうだうじ出淵氏でぶちうじ、そやつをおれのほうへぱなしてくれ」
 さんざんめもし、堪忍かんにんもした揚句あげくである。第一だいいち木村助九郎きむらすけくろうはさっきからしきりと成敗せいばいしたがっている。
(もうこれまでだろう)
 そうでいいあわすように、
「よしっ、まかせるっ」
 両方りょうほうからかかえていた武蔵むさしうでを、二人ふたり同時どうじはなして、ぽんと背中せなかくと、六尺ろくしゃくちか武蔵むさしおおきなからだが、
 だ、だ、だっ――
 いつ大地だいちらし、助九郎すけくろうまえへ、よろめいてった。
 助九郎すけくろうは、っていたものの、さっ――と一足飛退ひとあしとびのいた。はずんでくる武蔵むさしからだ自分じぶんうでびとに間合まあいはかって退しりぞいたのである。
「――ガギッ」
 奥歯おくばのあたりでこういきむと、助九郎すけくろうみぎひじは、かおがっていた。そしておとのないおとが、ヒュッとるかのように、武蔵むさしのよろめいてかげちにした。
 ザ、ザ、ザ、ザ――
 と、けんった。助九郎すけくろうかたな神霊しんれいあらわしたように、鏘然しょうぜんと、刃金はがねりをはっしたのである。
 ――わっ。というこえ一緒いっしょきこえた。武蔵むさしはっしたのではない。彼方かなたまつしたにいた城太郎じょうたろうがってさけんだのだ。助九郎すけくろうかたながザザとったのも、その城太郎じょうたろうがつかんではげつけた荒砂あらすなあめだったのである。
 けれど、そのさいひとつかみのすななどは、なん効果こうかもないことはもちろんだった。武蔵むさしは、かれたせつなに、あらかじめ、助九郎すけくろう間合まあいはかることをはかって、むしろ自分じぶんいきおいをもくわえて、かれむないたへ突進とっしんしてったのである。
 かれてよろめいてくる速度そくどと、その速度そくど意思いしせてくるのとでは、速度そくどうえに、おおきな相違そういがある。
 助九郎すけくろう退しりぞいたあしと、同時どうじに、ちにはらった尺度しゃくどには、そこに誤算ごさんがあったので、見事みごとくうなぐってしまった。

 約十二やくじゅうに三尺さんじゃく間隔かんかくをひらいて、二人ふたり退いていた。助九郎すけくろうかたなれ、武蔵むさしかたなにかかろうとした瞬間しゅんかんにである。――そして双方そうほうで、じっと、やみしたしずみこむようにすくんでいる。
「オ。これはもの!」
 そう口走くちばしったのは庄田喜左衛門しょうだきざえもんであった。庄田しょうだのほかの出淵でぶち村田むらた二人ふたりも、まだなに自分じぶんたちは、その戦闘圏内せんとうけんないじっているわけでもないのに、ハッと、なにものかにかれたような身動みうごきをした。そしておのおのが、おるところ位置いちをかえ、おのずからながまえをちながら、
出来できるな、こいつ)
 武蔵むさしいま一動作いちどうさに、ひとしくひとみをあらためた。
 ――しいッとなにせまるような冷気れいきがそこへかたまってきた。助九郎すけくろうさきは、ぼやっとくろえるかれかげむねよりもややがりあたりにじっとしている。そのままうごかないのだ。武蔵むさしも、てきみぎかたせたまま、つくねんとしてっている。そのみぎひじは、たかがって、まださやはらわない太刀たちのつかに精神せいしんをこらしているのだった。
「…………」
 ふたりの呼吸いきをかぞえることが出来できる。すこはなれたところからると、いまにもやみろうとしている武蔵むさしかおには、ふたつのしろ碁石ごいしいたかのようなものえる。それがかれだった。
 ふしぎな精力せいりょく消耗しょうもうであった。それきり一尺いっしゃくりあわないのに、助九郎すけくろうからだをつつんでいるやみには次第しだいにかすかな動揺どうようかんじられてきた。あきらかに、かれ呼吸こきゅうは、武蔵むさしのそれよりも、あらくはやくなってているのである。
「ムム……」
 出淵孫兵衛でぶちまごべえおもわずうめいた。いておおきなわざわいをもとめたことが、もう明確めいかくにわかったからである。庄田しょうだ村田むらたおなじことをかんじたにちがいない。
(――これは凡者ただものでない)と。
 助九郎すけくろう武蔵むさし勝負しょうぶは、もうすところが三名さんめいにはわかっていた。卑怯ひきょうのようであるが、大事だいじおこさないうちに――またあまり手間てまどって無用むよう怪我けがもとめないうちに、この不可解ふかかい闖入者ちんにゅうしゃを、一気いっき成敗せいばいしてしまうにくはない。
 そういうかんがえが、無言むごんのうちに、三名さんめいをむすんだ。すぐそれは行動こうどうとなって、武蔵むさし左右さゆうせまりかけた。すると、つるったようにねた武蔵むさしうでは、いきなりうしろをはらって、
「いざっ」
 すさまじい懸声かけごえ虚空こくうからびせた。
 虚空こくうきこえたのは、それが武蔵むさしくちからはっしたというよりは、かれ全身ぜんしん梵鐘ぼんしょうのようにって四辺あたり寂寞じゃくまくをひろくやぶったせいであろう。
「――ちいッ」
 つばするようないきが、相手あいてくちをついてはしった。四名よんめい四本よんほんかたなをならべて、車形くるまがたになった。武蔵むさしからだはすはななかにあるつゆにひとしかった。
 武蔵むさしいま、ふしぎに自己じこ感得かんとくした。満身まんしん毛穴けあながみなくようにあついのだ。けれど、心頭しんとうこおりのようにつめたい。
 仏者ぶっしゃのいう、紅蓮ぐれんということばは、こういう実体じったいをいうのではあるまいか。寒冷かんれい極致きょくちと、灼熱しゃくねつ極致きょくちとは、でもみずでもない、おなじものである。それが武蔵むさしいま五体ごたいだった。