81・宮本武蔵「水の巻」「太郎(4)(5)(6)」


朗読「81水の巻45.mp3」19 MB、長さ: 約13分36秒

 先刻さっきから、周囲しゅうい人々ひとびとは、
かれなに血迷ちまよっているのか。自分じぶん下僕しもべであるあの小童こどもを、頭上ずじょうげて、あれを一体いったいどうするつもりだろう?)
 武蔵むさし仕方しかたをみはり、武蔵むさしこころ忖度はかりかねていたらしい。
 すると、諸手もろてにさしあげていた城太郎じょうたろうのからだを、武蔵むさしが、宙天ちゅうてんからおとすように相手あいてものむかってほうりつけたので、
「あっ――」
 人々ひとびとは、そこをひろくして、おもわずうしろへ退いた。
 人間にんげんをもって人間にんげんつける。あまりにも無茶むちゃな――意外いがいな――武蔵むさし仕方しかたをのまれてしまったのである。
 武蔵むさしほうられた城太郎じょうたろうは、てんからって雷神らいじんみたいに、あしもちぢめ、まさかと油断ゆだんしてっていた相手あいてむねのあたりへ、
「わっ」
 ぶつかったのである。
 あごはずしたように、
「ぎぇッ」
 異様いようこえをあげると、そのものからだは、城太郎じょうたろうからだかさなって、ててある材木ざいもくたおしたように、直線ちょくせんにうしろへたおれた。
 したたかに、大地だいちへ、後頭部こうとうぶでもったのか、城太郎じょうたろう石頭いしあたまが、ぶつけた途端とたんさき肋骨ろっこつをくだいたのか、とにかく、ぎぇッといったこえをさいごに、太郎付たろうづきのその家臣かしんくちからいてしまったが、城太郎じょうたろう五体ごたいはそのむねうえひとツとんぼかえりをったとおもうと、そのまま三間先さんけんさきまで、まりのようにころがってった。
「や、やったなっ」
「どこの素浪人すろうにん
 これはもう太郎付たろうづけやくであるといなとにかかわらず、まわりにいた柳生家やぎゅうけ家臣かしんたちが、こぞってののしした雑言ぞうごんだった。こよい四高弟よんこうていものが、きゃくとしてまねいた宮本武蔵みやもとむさしとよぶ人間にんげんであることをはっきりっていたものすくないのであるから、さしずめ、そんなふうにて、殺気立さっきだったのも無理むりではないのである。
「さて――」
 武蔵むさしは、なおった。
おのおの
 なにを、かれはいおうとするのか。
 すさまじい血相けっそうをもって、城太郎じょうたろうおとしたところの木剣ぼっけんをひろい、それを右手みぎてにさげて、
小童こわっぱつみは、主人しゅじんつみ、どうなりと、ご処罰しょばつうけたまわろろう。ただし、それがしも、城太郎じょうたろうも、いささかけんをもってさむらいなかさむらいをもってにんじているものにございますゆえ、いぬのごとくぼうをもってころされるわけにはまいりかねる。一応いちおう相手あいてつかまつるから左様さよう承知しょうちねがいたい」
 これではつみすのではなくて、あきらかな挑戦ちょうせんだ。
 ここで一応いちおう武蔵むさしが、城太郎じょうたろうかわって、謝罪しゃざい陳弁ちんべんをつくして藩士はんしたちの感情かんじょう極力きょくりょくなだめることにつとめれば、あるいは、なんとかおだやかにおさまりがついたろうし、また、さきほどからくちはさみかねていた四高弟よんこうていともがらも、
(まあ、まあ)
 と、相互そうごのあいだにはいる機会きかいもあったろうが、武蔵むさし態度たいどは、あたかもそれをこばみ、かえって、自分じぶんのほうから事件じけん葛藤かっとうこのんでいるようにえるので、庄田しょうだ木村きむら出淵でぶちなどの四高弟よんこうていは、
奇怪きかいな」
 まゆをひそめて、かれ態度たいどをひどくにくむもののように、はしって、じっと、するどをそろえて、武蔵むさしまもっていた。

 もちろん、武蔵むさし暴言ぼうげんには、四高弟よんこうていのほか、そこにいる面々めんめんみなすくなからず、激昂げっこうした。
 かれ何者なにものであるかをらないし、またかれ意中いちゅうはかれない柳生家やぎゅうけ諸士しょしは、それでなくても、になりたがっていた感情かんじょうあぶらをそそがれて、
「なにをッ」
 だれとはなく、武蔵むさしおうじ、
不逞ふていやつっ」
「どこぞの諜者まわしものだろう、くくってしまえ」
「いや、ッちまえ」
 また――
「そこをらすなっ」
 前後ぜんごからこうひしめいてまさにかれは、かれかかせられている城太郎じょうたろうともに、白刃しらはなかかくされてしまうかとえた。
「あッてっ」
 庄田喜左衛門しょうだきざえもんであった。
 喜左衛門きざえもんがそうさけぶと、村田与三むらたよぞうも、出淵孫兵衛でぶちまごべえも、
「あぶないっ」
すな」
 四高弟よんこうていものはじめて、こう積極的せっきょくてきて、
退退け」
 と、いった。
「ここは、吾々われわれにまかせろ」
「おのおのは、おのおののお役室やくしつへもどっておれ」
 そして――
「このおとこには、なに画策かくさくがあるとた。うかと、さそいにまれて、負傷ておいしては、御主君ごしゅくんたい吾々われわれもうひらきがたぬ。おいぬのことも、重大事じゅうだいごとには相違そういないが、人命じんめいはより貴重きちょうなものだ。その責任せきにんも、吾々四名われわれよんめいうもので、けっして、貴公きこうたちに迷惑めいわくはかけぬから、安堵あんどして、るがよい」
 程経ほどへのちのそこには、最前新陰堂さいぜんしんいんどうすわっていたきゃく主人側しゅじんがわだけの頭数あたまかずだけがのこっていた。
 けれど、いまはもう、主客しゅきゃくのあいだがらは一変いっぺんして、狼藉者ろうぜきものさばものとの、対立たいりつである。敵対てきたいである。
武蔵むさしとやら、どくながらそちらの計策けいさくやぶれたぞ。――さっするに、何者なにものかにたのまれ、この小柳生城こやぎゅうじょうさぐりにたか、あるい御城内ごじょうない攪乱かくらん目論もくろんでたものにちがいあるまい」
 四名よんめいは、武蔵むさしをかこんでめよるのであった。この四名よんめいのどの一人ひとりでも達人たつじんいきたっしていないものはないのである。武蔵むさしは、城太郎じょうたろう小脇こわきかばいながら、えたように、おな位置いちっているのであったが、かりいま、このだっしようとかんがえても、それはつばさっていても、こう四名よんめいすきやぶってることはむずかしいだろうとおもわれた。
 出淵孫兵衛でぶちまごべえが、つぎに、
「やよ、武蔵むさし
 鯉口こいくちったかたなつかを、ややまえへせりして、かまごしをしていった。
事破ことやぶれたら、いさぎよう自決じけつするのが武士ぶし値打ねうちだ。小柳生城こやぎゅうじょうなかへ、わっぱひとりをれて、堂々どうどうと、はいんでござった不敵ふてきさは、曲者くせものながらよいつらがまえ。それに、いっせき好誼よしみもある。――はられ、支度したくのあいだはってやろう。武士ぶしはこうぞという意気いきせられい」
 それで、すべてが解決かいけつできると四高弟よんこうていほうではかんがえていた。
 武蔵むさしまねいたことが、そもそも、主君しゅくんへは無断むだんのことであったから、かれ素姓目的すじょうもくてきも、不問ふもんのままやみ出来事できごととして、ほうむろうという意思いしらしいのだ。
 武蔵むさしがえんじない。
「なに、この武蔵むさしはられといわれるか。――馬鹿ばかなっ、馬鹿ばかなことを」
 昂然こうぜんと、かたすってかれわらった。

 くまでも、武蔵むさし相手あいて激高げきこうのぞむのであった。闘争とうそうかけるのであった。
 なかなか感情かんじょうをうごかさなかった四高弟よんこうていものも、ついに、まゆけんをたたえ、
「よろしい」
 ことばはしずかだか、断乎だんことしたをふくんでいった。
「こちらが、慈悲じひをもってもうしておれば、つけがって」
 出淵でぶちのことばにつづいて、木村助九郎きむらすけくろうが、
多言無用たごんむよう
 武蔵むさしまわって、
あゆめっ」
 いた。
何処どこへ?」
牢内ろうないへ」
 ――すると武蔵むさしはうなずいてあるきだした。
 しかしそれは自分じぶん意思いしのままにはこんでゆくあしであって、大股おおまた本丸ほんまるのほうへちかづいてこうとするのである。
何処どこく?」
 ぱっと助九郎すけくろうさきまわって、武蔵むさしのまえに両手りょうてをひろげ、
ろうは、こちらでない。あとへもどれ」
「もどらん」
 武蔵むさしは、自分じぶんそばへ、ひたとりついたようにしている城太郎じょうたろうむかい、
「おまえは、彼方むこうまつしたにいるがよい」
 このへんはもう本丸ほんまる玄関げんかんちか前栽せんざいらしく、所々ところどころに、えだぶりのよい男松おとこまつっていてふるいにかけたようなすなひかっていた。
 武蔵むさしにいわれて、城太郎じょうたろうはそのたもとしたからいきおいよくはしった。そして、ひとつのまつたてにして、
(そら、お師匠様ししょうさまが、なにかやりだすぞ)
 般若野はんにゃのにおける武蔵むさし雄姿ゆうしおもいだし、かれもまた、針鼠はりねずみのように筋肉きんにくふくらませていた。
 ――ると、そのあいだに、庄田喜左衛門しょうだきざえもん出淵孫兵衛でぶちまごべえのふたりが、武蔵むさし左右さゆうい、武蔵むさしうで両方りょうほうからぎゃくって、
「もどれ」
「もどらぬ」
 おなじことばを繰返くりかえしていた。
「どうしてももどらぬな」
「む! 一歩いっぽも」
「うぬっ」
 まえって、木村助九郎きむらすけくろうが、ついにこうかんげ、かたなつからすと、年上としうえ庄田しょうだ出淵でぶち二人ふたりは、まあてとそれをめながら、
「もどらぬならもどらぬでよろしい。しかし、なんじは、何処どここうとするか」
当城とうしろあるじ石舟斎せきしゅうさいいにまいる」
「なに?」
 さすがの四高弟よんこうていも、それにはがくとしてかおいろをあらためた。奇怪きかいでならなかったこの青年せいねん目的もくてきが、石舟斎せきしゅうさいちかづくことであろうなどとは、だれかんがえていなかったのである。
 庄田しょうだは、たたみかけて、
大殿おおとのって、なんとするじゃ」
「それがしは、兵法修行中へいほうしゅぎょうちゅう若輩者じゃくはいもの生涯しょうがい心得こころえに、柳生流やぎゅうりゅう大祖たいそより一手いっておしえをわんためでござる」
「しからばなぜ、順序じゅんじょをふんで、我々われわれにそうもうないか」
大祖たいそは、一切人いっさいひとわず、また修行者しゅぎょうしゃへは、授業じゅぎょうをせぬとうけたまわった」
勿論もちろん
「さすれば、試合しあいいどむよりほかみちはあるまい、試合しあいいどんでも、容易ようい余生よせい安廬あんろよりってぬに相違そういない。――それゆえ拙者せっしゃは、この一城いちじょう相手あいてにとって、まず、合戦かっせんもうしこむ」
「なに、合戦かっせんを?」
 あきれたかおつきで四高弟よんこうていはそう反問はんもんした。そして、武蔵むさしいろを見直みなおした。――こいつ狂人きょうじんではあるまいかと。
 相手あいてものに、両腕りょううでをあずけたまま武蔵むさしそらげていた。なにか、バタバタとやみったからである。
「? ……」
 四名よんめいをあげた。その一瞬いっしゅん笠置山かさぎやまやみから城内じょうない籾蔵もみぐら屋根やねのあたりへ、一羽いちわわしが、ほしをかすめてりた。