78・宮本武蔵「水の巻」「円座(3)(4)」


朗読「78水の巻42.mp3」13 MB、長さ: 約9分47秒

 ここの新陰堂しんいんどうは、城内じょうない子弟していたちが儒学じゅがくける講堂こうどうでもあり、またはん文庫ぶんこでもあるらしくおくへゆく通路つうろ廊架側ろうかわきには、どのへやにも、かべいっぱい書物しょもつたなうけられる。
柳生家やぎゅうけといえば、武名ぶめいだけでっているが、ばかりではないとえる」
 武蔵むさしは、城内じょうないんで、柳生家やぎゅうけというものの認識にんしきに、想像以上そうぞういじょう厚味あつみ歴史れきしかんじるのだった。
「さすがに」
 ことごとにうなずかれるのである。
 たとえば、大手おおてからここまでのあいだ清掃せいそうされたみちても、対応たいおうする番士ばんしのものごしでも、本丸ほんまるのあたりの厳粛げんしゅくなうちにもなごやかなひかりのある燈火ともしびをながめても。
 それはちょうど、一軒いっけんいえおとずれて、そのいえがりくち履物はきものをぬぐとたんに家風かふうひととがほぼわかるようである。武蔵むさしは、そうした感銘かんめいもうけながら、とおされたひろゆかすわった。
 新陰堂しんいんどうには、どの部屋へやにも、たたみというものはいてなかった。この部屋へや板敷いたじきである、そして、きゃくなるかれへは、
「どうぞ、おあてなされ」
 と小侍こざむらいわらんである円座えんざという敷物しきものをすすめた。
頂戴ちょうだいする」
 遠慮えんりょなく、武蔵むさしはそれをってすわった。従僕じゅうぼく城太郎じょうたろうは、勿論もちろん、ここまではとおらない。そと供待ともまちでひかえている。
 小侍こざむらいがふたたびて、
今宵こよいは、ようこそおくださいました。木村様きむらさま出淵でぶちさま村田様むらたさまみなおちかねでございましたが、ただ庄田様しょうださまのみが、生憎あいにく突然とつぜん公用こうようで、ちとおそなわりまするが、やがてすぐまいられますゆえ、暫時ざんじちのほどを」
閑談かんだんきゃくでござる、おづかいなく」
 円座えんざを、すみはしらしたうつして、武蔵むさしはそこへりかかった。
 短檠たんけいあかりが、庭先にわさきとどいている。どこかであまいにおいがするなとおもってると、ふじはながこぼれているのである。むらさきもある白藤しらふじもある。ふとめずらしくおもったのは、ここではじめてまだ片言かたこと今年ことしかわずこえいたことである。
 せんかんとそこらあたりをみずけているらしい。いずみ床下ゆかしたへもとおっているとみえ、落着おちつくにしたがって、円座えんざしたにもさらさらとながれのおとかんじられる。やがては、かべ天井てんじょうも、そしていっすい短檠たんけいまでが、水音みずおとてているのではないかとうたがわれるほど、武蔵むさし冷々ひえびえとしたにつつまれた。
 だが――その寂寞じゃくまくたるなかにあって、かれのからだのうちには、おさえきれないほどきあがっているものがあった。熱湯ねっとうのような争気そうき血液けつえきである。
柳生やぎゅうなにか)
 と隅柱すみばしら(すみばしら)の円座えんざから睥睨へいげいしているところの気概きがいである。
かれ一箇いっこ剣人けんじん、われも一箇いっこ剣人けんみちにおいては、互角ごかくだ)
 とおもい、また、
(いや今宵こよいは、その互角ごかくから一歩いっぽいて、柳生やぎゅうを、おれの下風かふうにたたきおとしてみせる)
 かれ信念しんねんしていた。
「いや、おたせもうして」
 と、そのとき庄田喜左衛門しょうだきざえもんこえがした。ほかの三名さんめい同席どうせきして、
「ようこそ」
 と挨拶あいさつあと
「それがしは、馬廻うままわ役木村助九郎やくきむらすけくろう
拙者せっしゃは、納戸方なんどがた村田むらた与三よぞう
出淵孫兵衛でぶちまごべえでござる」
 と順々じゅんじゅん名乗なのった。

 さける。
 古風こふう高坏たかつきに、とろりとねばるような手造てづくりの地酒じざけさかなは、めいめいのまえ木皿きざらけられてある。
「お客殿きゃくどの、こんな山家やまがのことゆえ、なにもないのです。ただ、くつろいでどうぞ」
「ささ、遠慮えんりょなく」
「おひざを」
 四名よんめい主人側しゅじんがわは、一人ひとりきゃくたいしてくまでいんぎんであって、またくまでけてせる。
 武蔵むさしさけはたしなまない。きらいなのではなく、まださけあじというものがわからないのである。
 しかし、今夜こんやは、
頂戴ちょうだいする」
 めずらしくさかずきってめてみた。まずいとはおもわないが、格別かくべつにもかんじない。
「おつよいとえる」
 木村助九郎きむらすけくろうが、瓶子ちょうしける。せきとなりなのでぽつぽつはなしかけるのであった。
貴君きくんから先日せんじつたずねのあった芍薬しゃくやくえだですな。あれはじつは、当家とうけ大殿おおとのがおずからったものだそうです」
道理どうりで、お見事みごとなわけ」
 と、武蔵むさしひざった。
「――しかしですな」
 と、助九郎すけくろうひざをすすめ、
「どうして、あんな柔軟じゅうなん細枝ほそえだくちて、非凡ひぼんということが貴君きくんにはわかりましたか。そのほうが、吾々われわれには、むしろ怪訝いぶかしいのですが」
「…………」
 武蔵むさしは、小首こくびをかしげて、こたえにきゅうするもののようにだまっていたが、やがて、
左様さようでござろうか」と、反問はんもんした。
「そうですとも」
 庄田しょうだ出淵でぶち村田むらた三名さんめいも、異口同音いくどうおんに、
吾々われわれには、わからない。……やはり非凡ひぼん非凡ひぼんるというものか。そこのところを、後学ごがくのために、こよいはひと説明せつめいしていただきたいとおもうのですが」
 武蔵むさしは、またひとさかずきをふくみ、
恐縮きょうしゅくです」
「いや、ご謙遜けんそんなさらずに」
謙遜けんそんではござらぬ。ていもうして、ただ、そうかんじたというだけにぎませぬ」
「そのかんじとは?」
 柳生家やぎゅうけ四高弟よんこうていは、ここを追及ついきゅうして、武蔵むさし人間にんげんためそうとするもののようであった。最初さいしょいちべつしたとたんに、四高弟よこうていはまず、武蔵むさし若年じゃくねんなのをちょっと意外いがいとしたらしい。つぎには、そのたくましい骨格こっかくがついた。まなざしやごなしにもゆるみがないと感服かんぷくした。
 けれど、武蔵むさしさけめると、そのさかずきちようやはしのさばき、なにかにつけ、粗野そやについて、
(ははあ、やはり野人やじんだ)
 つい書生扱しょせいあつかいになり、したがって、幾分軽いくぶんかろんじてくるかたむきがあった。
 たった三杯みっつ四杯よっつかさねただけなのに、武蔵むさしかおは、あかがねいたようにてりだし、始末しまつこまるように、時々手ときどきててた。
 その容子ようすが、処女おとめみたいなので四高弟よんこうていわらった。
「ひとつ、貴君きくんのいうところのかんじとは、どういうものか、おはなくださらんか。この新陰堂しんいんどうは、上泉伊勢守先生かみいずみいせのかみせんせいが、当城とうじょう御滞在中ごたいざいちゅう先生せんせいのため御別室ごべっしつとしててたもので、剣法けんぽう由縁ゆかりのふかいものなのです。こよい武蔵むさしどのの御講話ごこうわ拝聴はいちょうするにも、もっともふさわしいせきおもうが」
こまりましたな」
 武蔵むさしはそういうだけであった。
「――感覚かんかく感覚かんかく、どういっても、それ以外いがいきようはごさらぬ。いてたくおぼすなら、太刀たちって、わたくしをおためしくださるほかはない」