77・宮本武蔵「水の巻」「円座(1)(2)」


朗読「77水の巻41.mp3」13 MB、長さ: 約9分16秒

円座

ってまいりました」
 かえってると、城太郎じょうたろうましたかおつきで、武蔵むさしまえにかしこまった。
 武蔵むさしは、なにげなくかれかおおどろいた。碁盤ごばんみたいに顔中かおじゅうきずでバラきになっている。はななども、すななかちたいちごみたいにだらけなのだ。
 さぞ鬱陶うっとうしいことだろうし、いたくもあろうに、それについては、城太郎じょうたろうがちっともれないので、武蔵むさしなにわなかった。
返事へんじをよこしたよ」
 庄田喜左衛門しょうだきざえもん返事へんじをそこへさしして、ふたこと三言みこと使つかさき様子ようすはなしていると、かおからぼとぼとがながれてくる。
「ハイ。それだけです、もうよございますか」
「ご苦労くろうだった」
 武蔵むさしが、喜左衛門きざえもん返書へんしょおとしているあいだに、かれは、両手りょうてかおおさえて、あわてて部屋へやそとった。
 小茶こちゃちゃんが、うしろからいてて、心配しんぱいそうにかれかおをのぞいた。
「どうしたの、城太郎じょうたろうさん」
いぬにやられたんだ」
「ま、どこのいぬ
「おしろの――」
「アア、あのくろ紀州犬きしゅうけん。あのいぬじゃ、いくら城太郎じょうたろうさんでもかなうまいよ。いつかも、おしろなかしのもうとした他国よそ隠密おんみつものころされたというくらいないぬだもの」
 いつもいじめられているくせに、小茶こちゃちゃんは親切しんせつに、かれみちびいて、うらながれでかおあらわせたり、くすりってけてやったりするので、今日きょうばかりは城太郎じょうたろうあくたれをたたかず、彼女かのじょのやさしい親切しんせつあまえて、
「ありがと。ありがと」
 くりかえして、あたまばかりげていた。
城太郎じょうたろうさん、そんなに、おとこのくせに、やすッぽくあたまげるものじゃないわ」
「だって」
喧嘩けんかしても、あたし、ほんとは城太郎じょうたろうさんがきなんだもの」
「おらだって」
「ほんまに」
 城太郎じょうたろうは、膏薬こうやく膏薬こうやくのあいだのかお皮膚ひふにさせた。小茶こちゃちゃんもみたいなかおをして、そのほっぺたを両手りょうておさえた。
 だれもいなかった。
 そこらにかわいている馬糞まぐそから陽炎かげろうえている。そして、緋桃ひももはな太陽たいようからこぼれてた。
「でも、城太郎じょうたろうさんの先生せんせいは、もうすぐここをつんだろ」
「まだいるらしいよ」
一年いちねん二年にねんとまっているとうれしいんだけど……」
 馬糧小屋まぐさごや馬糧まぐさなかへ、二人ふたり仰向あおむけになってころがった。だけはつないでいた。からだ納豆なっとうのようにれてると、城太郎じょうたろう物狂ものくるわしく小茶こちゃちゃんのゆびへいきなりみついた。
「アいたっ」
いたかった。ごめん」
「ううん、いいの、もっとんで」
「いいかい」
「アア、もっとんで、もっときつんで――」
 いぬころみたいに、二人ふたりは、馬糧まぐさあたまからかぶって、喧嘩けんかのようにっていた。どうするでもなく抱擁ほうようをもだえっていた。すると、小茶こちゃちゃんをさがしにじいやが、あきてたようにながめていたが、突然とつぜん道徳どうとくたか君子くんしのようなかおをして、
「この阿呆あほっ。餓鬼がきのくせに、なにしてさらすっ」
 ふたりのえりくびをつかんできずりし、小茶こちゃちゃんのおしりを、ふたみっった。

 そのからあくへかけ、二日ふつかのあいだというもの、武蔵むさしなにかんがえているのかほとんくちもきかずにうでこまねいていた。
 沈湎ちんめんたるそのまゆて、城太郎じょうたろうはひそかにおそれをなした。馬糧まぐさ小屋ごやなか小茶こちゃちゃんとあそんだことがわかったのではないかとおもって――
 ふと、夜半よなかに、をさまして、そっとくびしてときも、武蔵むさしは、夜具やぐなかをあいて、おそろしいほどかんがえつめたかおつきをして、天井てんじょうつめていた。
城太郎じょうたろう帳場ちょうばものに、すぐてくれともうしてこい」
 つぎ黄昏たそがれがまどせまってころである。あわてて城太郎じょうたろうてゆくと、かわって、綿屋わたや手代てだいはいってた。もなく、勘定書かんじょうがきとどけられ、武蔵むさしはそのあいだに、出立しゅったつ身支度みじたくをしているのだった。
「お夕飯ゆうはんは」
 と、宿やどものきにると、
「いらぬ」
 というかれ返事へんじ
 小茶こちゃちゃんは、ぼんやり部屋へやすみっていたが、やがて、
旦那だんなはん、もう、今夜こんやは、此宿ここかえってないの」
「ウム。ながあいだ小茶こちゃちゃんにもお世話せわになったな」
 小茶こちゃちゃんは、両方りょうほうひじげて、かおをかくした。いているのである。
 ――ご機嫌きげんよう。
 ――どうぞおをつけて。
 綿屋わたや番頭ばんとうおんなたちは、門口かどぐちならんで、この山国やまぐにをどういうつもりか黄昏たそがれれに旅人たびびとへ、人里ひとざとこえおくった。
「? ……」
 そこののきはなれてからうしろをると、城太郎じょうたろういてないので、武蔵むさしはまた、十歩じゅっぽほどかえして、かれ姿すがたをさがした。
 綿屋わたやよこくらしたに、城太郎じょうたろう小茶こちゃちゃんとわかれをしんでいた。武蔵むさしかげたので二人ふたりはあわててそばはなれて、
「……左様さようなら」
「……あばよ」
 城太郎じょうたろうは、武蔵むさしのそばへけてて、武蔵むさしおそれながら、時々振ときどきふりかえった。
 柳生谷やぎゅうだに山市さんしは、すぐ二人ふたりうしろになった。武蔵むさしあいかわらず黙々もくもくあしをすすめているだけであった。かえっても、もう小茶こちゃちゃんの姿すがたえないので、城太郎じょうたろうしょンぼりといてゆくほかはない。
 やがて武蔵むさしから、
「まだか?」
何処どこ
小柳生城こやぎゅうじょう大手門おおてもんは」
「おしろくの」
「うむ」
今夜こんやはおしろとまるのかい」
「どうなるか、わからんが」
「もうそこだよ、大手門おおてもんは」
「ここか」
 ぴたと、あしそろえて、武蔵むさしちどまった。
 こけにつつまれた石垣いしがきさくうえに、巨木きょぼくはやしうみのようにっていた。そこのくら多門型たもんがた石塀いしべいのかげに、ポチと、四角しかくまどからあかりがれている。
 こえをかけると、番士ばんした。庄田喜左衛門しょうだきざえもんからの書面しょめんせ、
「おまねきによってまかした宮本みやもともうものでござる。――お取次とりつぎを」
 番士ばんしは、もう今夜こんやきゃくっていた。取次とりつぐまでもなく、
「おちかねでござる、どうぞ」
 と、さきって、外曲輪そとぐるわ新陰堂しんいんどうへ、きゃくみちびいてった。