76・宮本武蔵「水の巻」「四高弟(2)(3)(4)」


朗読「76水の巻40.mp3」18 MB、長さ: 約13分16秒

「おじさん、今日こんにちは――」
「こら、なんでさま、おしろへなどはいってたか」
もんにいたひとれててもらったんだ」
 城太郎じょうたろうこたえに無理むりはない。
「なるほど」
 庄田喜左衛門しょうだきざえもんは、かれれて大手門おおてもん番士ばんしに、
「なんだ、この小僧こぞうは」
「あなたさまのおにかかりたいともうすので」
「こんな小僧こぞうのことばをげて、御城内ごじょうないれててはいかん。――小僧こぞう
「はい」
「ここはおまえたちのあそびに場所ばしょではない。かえれ」
あそびにたんじゃない。お師匠様ししょうさま手紙てがみをもって、使つかいにたんだ」
「お師匠様ししょうさまの……。ははあ、そうか。おまえの主人しゅじんは、武者修行むしゃしゅぎょうだったな」
てください、この手紙てがみ
まんでもいい」
「おじさん、めないのかい?」
「なに」
 苦笑くしょうして――
「ばかをいえ」
「じゃあ、んだらいいじゃないか」
「こいつ、えん小僧こぞうだ。まんでもいいというのは、たいがい、まなくともわかっているという意味いみだ」
「わかっているにしても、一応いちおうむのが礼儀れいぎじゃないか」
孑孑ぼうふらうじほどおお武者修行むしゃしゅぎょうに、いちいち礼儀れいぎっていられないことはゆるしてくれ。この柳生家やぎゅうけで、それをやっていたら吾々われわれ毎日まいにち武者修行むしゃしゅぎょうのために奉公ほうこうしていなければならないことになる。――そういっては、せっかく使つかいにたおまえに可哀かわいそうだが、この手紙てがみも、ぜひ一度いちど鳳城ほうじょう道場どうじょう拝見はいけんさせていただきたい、そして、天下様御師範てんかさまごしはんのお太刀たちかげなりともよろしいから、おなみちこころざ後輩こうはいのために、一手いって御授業ごじゅぎょうたまわりたい……。まあ、そんなところだろうなあ」
 城太郎じょうたろうは、まるいを、ぐるりとうごかして、
「おじさん、まるでなかんでるようなことをいうね」
「だからたもおなじだといっておるじゃないか。ただし、柳生家やぎゅうけにおいても、なにもそうたずねてくるものを、なくかえすというわけではない」
 んでふくめるように、
「――その番士ばんしに、おしえてもらうがいい。御当家ごとうけおとずれた一般いっぱん武者修行むしゃしゅぎょうは、大手おおてとおって、中門ちゅうもんみぎあおぐと、そこに、新陰堂しんいんどう木額きがくのかかっている建物たてものがある。そこの取次とりつぎものもうれると、休息きゅうそく自由じゆう、また、一夜ひとや二夜ふたやめてあげる設備せつび出来できている。そして、後進こうしんのために、わずかながら、出立しゅったつおりには、かさしろとして、一封いっぷうずつのかね喜捨きしゃすることにもなっている。だから、この手紙てがみは、新陰堂しんいんどう役人やくにんのほうへってゆくがよろしい」
 そうさとして、
「わかったか」
 すると、城太郎じょうたろうは、
「わからない」
 と、くびってみぎかたをすこしげ、
「おい、おじさん」
「なんじゃ」
ひとてものをいいなよ。おれは、物乞ものごいの弟子でしじゃないぜ」
「ふム。さま……、ちょっとくちがきけるの」
「もし、手紙てがみけてて、おじさんがいったことと、いてある用向ようむきと、まるで、ちがっていたらどうする?」
「むむ……」
くびをくれるかい」
て」
 くりのイガをったように、喜左衛門きざえもん顎髯あごひげあいだから、あかくちせて、わらってしまった。

くびはやれん」
「じゃあ、手紙てがみておくれよ」
小僧こぞう
「なんだい」
さまが、使命しめいはずかしめぬこころにめでて、てつかわす」
「あたりまえだろ。おじさんは柳生家やぎゅうけ用人ようにんじゃないか」
したは、絶倫ぜつりんだな。けんもそんなになればすばらしいが……」
 いいながらふうって、武蔵むさし手紙てがみ黙読もくどくしていたが、おわると、庄田喜左衛門しょうだきざえもんは、ちょっと、こわかおつきをした。
城太郎じょうたろう。――この手紙てがみのほかに、なにってたか」
「あ、わすれていた、これを」
 ふところから、無造作むぞうさしたのである。それは、七寸ななすんばかりの芍薬しゃくやく切枝きりえだだった。
「…………」
 黙然もくねんと、喜左衛門きざえもんは、その両方りょうほうくちくらべていたが、しきりと、小首こくびをかしげるのみで、武蔵むさし書中しょちゅうにあることばの意味いみが、十分じゅうぶんに、かれにはかいせないらしいのである。
 武蔵むさし書面しょめんには、はからずも、宿やど少女しょうじょから芍薬しゃくやく一枝ひとえだをもらったこと。それが御城内ごじょうないのものであるということ。――つぎに、くち非凡ひぼんなおかたったものと拝察はいさつしたということ。
 そう次第しだいいてて、
はなけ、その神韻しんいんかんじるにつけ、どなたがあれをおりになったか、どうしてもりたいがする。はなはだ、つかぬことをおたずもうすようであるが、御家中ごかちゅう誰方どなたであるや、おさしつかえなくば、使つかいのわらべに、一筆いっぴつたせねがいたい)
 自分じぶんが、武者修行むしゃしゅぎょうものともいてない。試合しあい希望きぼうもいっていない。それだけの文意ぶんいであった。
(ふしぎなことをいってくる)
 喜左衛門きざえもんは、そうおもって、一体いったいどうくちちがっているかを、まずつぶさなあらためてみたが、どっちがどうさきってあるのか、どこに相違そういがあるのか、見出みいだせないのだ。
村田むらた
 その手紙てがみと、切枝きりえだとを、かれ道場どうじょうなかってはいって、
「これをろ」
 としめした。そして、
一体いったい、このえだ両端りょうたんくちが、どっちがそんな達人たつじんったもので、また、どっちが、よりおとったくちになっているか、貴公きこうわけがつくか」

 村田与三むらたよぞうは、にらむように、かわるがわるていたが、
「わからぬ」
 すようにいった。
木村きむらせてみよう」
 おくはいって、お役部屋やくべやをのぞいてゆき、木村助九郎きむらすけくろうつけておなじように意見いけんくと、木村きむらも、
「さてなあ」
 不審ふしんとするばかりだった。
 だが、いあわせた出淵でふち孫兵衛まごべえのことばによると、
「これは一昨日おととい大殿おおとのずからおりになったものだ。――庄田殿しょうだどのは、そのおりおそばにいたはずではないか」
「いや、はなをおけになっているのはたが」
「そのとき一枝ひとえだだ。――それをおつうが、殿とののいいつけで、吉岡伝七郎よしおかでんしちろうもとへ、おふみむすびつけてたずさええてったもの」
「オ。あれかな?」
 喜左衛門きざえもんはそういわれて、もいちど、武蔵むさし手紙てがみなおした。こんどは、愕然がくぜんあらためて、
御両所ごりょうしょ、ここには、新免しんめん武蔵むさし署名しょめいしあるが、武蔵むさしといえば、先頃さきごろ宝蔵院衆ほうぞういんしゅうとも般若野はんにゃのおおくの無頼者ならずものったという――あの宮本武蔵みやもとむさしとは別人べつじんだろうか」

 ――武蔵むさしとあれば、多分たぶん、そうだろう、あの武蔵むさしにちがいあるまい。
 出淵孫兵衛でぶちまごべえも、村田与三むらたよぞうも、そういって、からへ、再度さいど手紙てがみわたしてなおしながら、
文字もじにも、気稟きひんがみえる」
人物じんぶつらしいな」
 と、つぶやいた。
 庄田喜左衛門しょうだきざえもんは、
「もし、この手紙てがみにあるとおり、ほんとに、芍薬しゃくやくえだくち一見いっけんして、非凡ひぼんかんじたのなら、これはおれたちよりすこ出来できる。――大殿おおとのずからったものだから、あるいは、まったくものればちがっているのかもれないからな」
「むム……」
 出淵でぶちは、ふいに、
ってみたいものだな。――それもひとただしてみようし、また、般若野はんにゃののことなども、いてみるもよかろう」
 喜左衛門きざえもんおもして、
使つかいに小僧こぞうが、っておるのだ。――んでみるかの」
「どうじゃ」
 独断どくだんではというように出淵孫兵衛でぶちまごべえは、木村助九郎きむらすけくろうはかってみる。助九郎すけくろうがいうには、いまはすべての武者修行むしゃしゅぎょう授業じゅぎょうことわっているおりだから道場どうじょうきゃくとしてはむかえられない。しかしちょうど、中門ちゅうもんうえ新陰堂しんいんどういけほとりには、燕子花かきつばたがさいているし、やまつつじのはなもぼつぼつあかくなっている。そこに、さけでももうけて、いっせき剣談けんだんわそうとあれば、かれもよろこんでるであろうし、大殿おおとのみみはいっても、それならばおとがめはなかろうではないか。
 喜左衛門きざえもんは、ひざって、
「それはよいおかんがえだ」
 村田与三むらたようぞうも、
自分じぶんたちにっても一興いっきょう、さっそく、そう返事へんじをやろうではないか」
 と、はなしまる。
 ――戸外そとでは、城太郎じょうたろう
「アアア……おそいなあ」
 欠伸あくびをしていたが、やがて、かれのすがたをいで、のっそりっておおきな黒犬くろいぬると、こいつよい友達ともだちと、
「やい」
 みみをつかんでせ、
「すもうをろう」
 きついて、っくりかえした。
 よく自由じゆうになるので、三度手玉さんどてだまにとってほうったり、上顎うわあご下顎したあごおさえて、
「わんといえ」
 そのうちに、なにか、いぬかんさわったことがあるとみえ、いきなり城太郎じょうたろうのすそへみついて、こうしのようにうなりだした。
「こいつ、おれをだれだとおもう」
 木刀ぼくとうをかけて、かれ見得みえると、いぬは、のどふとくして、猛然もうぜんと、小柳生城こやぎゅうじょうつわものふるたすようなこええだした。
 こつうんッ――
 と、木剣ぼっけんひとつ、いぬのかたいあたまいしったようなおとをさせると、猛犬もうけんは、城太郎じょうたろうへかぶりつきおびくわえて、かれからだばした。
生意気なまいきなっ」
 かれつより、いぬのほうがはるかにはやかった。ギャッと、城太郎じょうたろうは、両手りょうてかおおさえた。
 そして、すと、
 わ、わ、わ、わんッ
 猛犬もうけんのほえるこだまは、うしろのやまるがした。かおおさえている両手りょうてゆびのあいだからがながれてたので、城太郎じょうたろうは、まろびながら、
「わアん――」
 と、これもいぬけない大声おおごえをあげて、してしまった。