75・宮本武蔵「水の巻」「芍薬の使者(9)四高弟(1)」


朗読「75水の巻39.mp3」13 MB、長さ: 約9分19秒

 小柳生城こやぎゅうじょうのほうへ、おつうが、こまのひづめをかるそうにかえしてくと、
「やア――い」
 雑木ぞうきしげっているがけしたから、だれか、こう自分じぶんむかっていうらしいものがある。
ども」
 とは、すぐわかっていたが、この土地とちどもは、なかなかわかおんなてからかうような勇気ゆうきのあるはいない。――だれかと、こまめていると、
笛吹ふえふきのおねえさん、まだいるの?」
 ぱだかおとこだった。れたかみをして、着物きものまるめて小脇こわきにかかえんでいる。それが、へそもあらわに、がけからがってて、
うまになんかってやがる)
 と、軽蔑けいべつするようなで、おつうあおぐのだった。
「あら」
 おつうには、不意打ふいうちだった。
だれかとおもったら、おまえはいつか、大和街道やまとかいどうでベソをいていた城太郎じょうたろうというでしたね」
「ベソいて? ――うそばっかりいってら、おら、あのときだって、いてなんかいやしねえぜ」
「それはとにかく、いつここへたの」
「このあいだうち」
だれと」
「お師匠様ししょうさまとさ」
「そうそう、おまえは、剣術けんじゅつつかいのお弟子でしさんでしたね。――それが今日きょうはどうしたの、はだかになって」
「このした渓流ながれで、およいでたんだ」
「ま。……まだみずつめたいだろうに、およぐなんて、ひとるとわらいますよ」
行水ぎょうずいだよ。お師匠様ししょうさまが、あせくさいっていうから、お風呂ふろのかわりにはいってたのさ」
「ホホホ。宿やどは」
綿屋わたや
綿屋わたやなら、たったいまわたしっていえですね」
「そうかい。じゃあ、おらの部屋へやて、あそんでゆけばよかったな、もどらないか」
「お使つかいにたのですから」
「じゃあ、あばよ」
 おつうはふりかえって、
城太郎じょうたろうさん、おしろあそびにおいで――」
ってもいいかい」
 彼女かのじょは、愛嬌あいきょうについげたことばに、ちょっと、自分じぶんこまりながら、
「いいけど、そんなかっこうじゃ駄目だめですよ」
「じゃいやだよ。そんな窮屈きゅうくつなところへなんか、ってやるもんか」
 それでたすかったようながしておつうはほほみながら、城内じょうないはいった。
 うまやうまをもどし、石舟斎せきしゅうさい草庵そうあんかえって、使つかさきのもようをはなすと、
「そうか、おこったか」
 石舟斎せきしゅうさいわらって、
「それでいい。おこっても、つかまえどころがあるまいからそれでいい」
 といった。
 しばらくって、なにかほかのはなしおりおもしたのであろう。
芍薬しゃくやくは、ててたか」
 といた。
 旅宿はたご小女こおんなあたえてたというと、その処置しょちにもうなずいて、
「だが、吉岡よしおかのせがれ伝七郎でんしちろうとかいうもの、あの芍薬しゃくやくを、にはってたろうな」
「はい、おふみとき
「そして」
「そのままもどしました」
えだくちなかったか」
「べつに……」
なにも、そこにをとめて、いわなかったか」
もうしませんでした」
 石舟斎せきしゅうさいは、かべへいうように、
「やはりわんでよかった。ってるまでもない人物じんぶつ吉岡よしおかも、まず拳法一代けんぽういちだいじゃ」

四高弟よんこうてい

 荘厳そうごんといっていいほどな道場どうじょうである、外曲輪そとぐるわ一部いちぶで、ゆか天井てんじょうも、石舟斎せきしゅうさい四十歳頃よんじゅっさいごろなおしたという巨材きょざいだ。ここで研磨けんました人々ひとびと履歴りれきかたるように、年月ねんげつふるびとつやしていて、戦時せんじには、そのまま武者むしゃだまりとして使つかえるようにひろくもあった。
かるいっ――太刀先たちさきではないっ――はらっ、はらはらっ!」
 襦袢じゅばん一着いっちゃくに、はかまをつけ、用人ようにん庄田喜左衛門しょうだきざえもんは、一段高いちだんたかゆかこしをかけて、呶鳴どなっていた。
出直でなおせっ、っていない」
 しかられているのは、やはり柳生家やぎゅうけ家士かしであった。あせまいのしているかおを、
「アふっ……」
 りうごかしながら、
「えやあっ!」
 すぐのようにっているのだった。
 ここでは、初心しょしん木剣ぼっけんたせなかった。上泉伊勢守かみいずみいせのかみもん考案こうあんしたというとうというもの使つかっている。かわのふくろに割竹わりたけをつつみこんだものである。つばはない、かわぼうだ。
 ――ぴしいッっ。
 なぐることのはげしい場合ばあいは、それでも、みみんだり、はな柘榴ざくろになったりする。えて、ちどころに約束やくそくはないのである。よこざまに、諸足もろあしなぐってぶったおしてもいいのだ。たおれて仰向あおむいたかおへ、さらに二撃にげきくわえてもべつだんほうそむいたことにはならない。
「まだ! まだ! そんなことで」
 ヘナヘナになるまでやらせておく。初心しょしんほどわざと冷酷れいこくにあつかう。ことばでもののしる。たいがいな家士かしは、これがあるので柳生家やぎゅうけ奉公ほうこうはなみなことではないといっている。新参しんざんなどでつづものれである。したがって、ふるいにかけられたひとのみが、家中かちゅうなのだ。
 足軽あしがる厩者うまやものでも、柳生家やぎゅうけ家人かじんであるものは、多少たしょうなり刀術とうじゅつ心得こころえのないものはない。庄田喜左衛門しょうだきざえもんは、役目やくめ用人ようにんであるが、すでにはや新陰流しんかげりゅうたっし、石舟斎せきしゅうさい研鑽けんさんして、いえりゅうというところの柳生流やぎゅうりゅう奥秘おうひ会得えとくしていた。――そして、かれかれで、自分じぶん個性こせい工夫くふうくわえて、
(おれのは、庄田真流しょうだしんりゅうである)
 と、しょうしていた。木村助九郎きむらすけくろうは、馬廻うままわりであったが、これも上手じょうずだった。村田むらた与三よぞうは、納戸役なんどやくであるが、しかし、いま肥後ひごっている柳生家やぎゅうけ嫡孫ちゃくそん兵庫ひょうごとは、好敵手こうてきしゅだといわれたものである。出淵孫兵衛でぶちまごべえもここの一役人いちやくにんぎないが子飼こがいからのもので、したがって、豪壮ごうそうけんをつかうおとこだ。
(わしのはんへくれい)
 と、その出淵でぶち越前侯えちぜんこうから、村田与三むらたようぞうは、紀州家きしゅうけから、懇望こんもうされているくらいだった。
 出来できると、世間せけんきこえると、諸国しょこく大名だいみょうから、
(あのおとこをくれぬか)
 と、むこのようにってゆかれるので、柳生家やぎゅうけは、ほまれであったが、こまりもする。ことわると、
(そちらでは、よい雛鳥ひながいくらでもあとからかえるのだから)
 などという。
 時代じだい剣士けんしは、いまこのふるとりで武者溜むしゃだまりから、無限むげんいてるような家運かうんであった。この家運かうんのもとに奉公ほうこうするさむらいが、しない木剣ぼっけんで、たたきにたたかれなければ一人前いちにんまえになれないことは、また当然とうぜん家憲かけんでもあった。
「――なんじゃっ、番士ばんし
 ふいに、庄田しょうだって戸外そと人影ひとかげへいった。
 番士ばんしのうしろには、城太郎じょうたろうっていた。庄田しょうだは、
「おや?」
 と、をみはった。