74・宮本武蔵「水の巻」「芍薬の使者(7)(8)」


朗読「74水の巻38.mp3」13 MB、長さ: 約9分15秒

 ばたばたといかけてて、
「もうおかえりですか」
 おつうが、かえってみると、がるときにも、案内あんないった小茶こちゃちゃんである。
「え。御用ごようがすみましたから」
はやいんですね」
 世辞せじをいって――彼女かのじょをのぞいて、
「この芍薬しゃくやくしろはなくんですか」
「そうです、おしろ白芍薬しろしゃくやくですの、ほしいならばげましょうか」
ください」
 とす。
 そのへ、芍薬しゃくやくをのせて、
左様さようなら」
 彼女かのじょは、軒先のきさきからこまって、ひらりと、被衣かずぎにすがたをつつんだ。
「またいらっしゃいませ」
 小茶こちゃちゃんは見送みおくってから、旅籠はたご雇人やといにんたちに、白芍薬しろしゃくやくせびらかしたが、だれも、よいはなだともうつくしいともいってくれないので、やや失望しつぼうしながら、武蔵むさし部屋へやってて、
旦那だんなはん、おはなき」
はな
 まどほおづえをついて、かれは、小柳生城こやぎゅうじょうのほうをいまつめていたのである。
(――どうしたらあの大身たいしん接近せっきんできるか。どうしたら石舟斎せきしゅうさいえるか。また、どうしたら剣聖けんせいといわれるあの老龍ろうりゅう一撃与いちげきあたえることができるか)
 を、遠心的えんしんてきが、じっとかんがえつめていた。
「……ほ、よいはなだな」
き」
きだ」
芍薬しゃくやくですって。――しろ芍薬しゃくやく
「ちょうどよい。そこのつぼしておくれ」
「あたいにはせない。旦那だんなはんして」
「いや、おまえがいいのだ。無心むしんかえっていい」
「じゃあ、みずれてくる」
 小茶こちゃちゃんは、つぼをかかえてった。
 武蔵むさしはふとそこへいてった芍薬しゃくやくえだくちをとめて、小首こくびをかしげた。なにかれ注意ちゅういをひいたのか、じっとていたてにはをのばし、それをせ、そのはなるのではなく、えだくちかずにている。
「……あら、……あら、あら」
 自分じぶんでこぼしてあるつぼみずに、こうこえをかけながら、小茶こちゃちゃんはもどってて、つぼとこき、無造作むぞうさに、それへ芍薬しゃくやくれてみたが、
「だめだア、旦那だんなはん」
 どもこころにも、不自然ふしぜんをさけぶ。
「なるほど、えだながすぎるな。よし、ってこい、ちょうどよくってやるから」
 小茶こちゃちゃんがいてくると、
ってあげるから、つぼてて、そうそういているように、ててっておいで」
 いわれるとおり、小茶こちゃちゃんはっていたが突然とつぜん、きゃッといって、芍薬しゃくやくほうて、おびえたようにきだした。
 無理むりのないことであった。
 やさしいはなえだるのに武蔵むさしかたあまおおげさであった。――それはえないほどはやかったにせよ、いきなり前差まえざし小刀しょうとうをかけたとおもうと、ヤッ――とするどいこえと、そして、かたなをパチンとそのさやおさめるおとほとん一緒いっしょしろひかりが、小茶こちゃちゃんのっていたのあいだを、とおりぬけていたのである。
 びっくりして彼女かのじょしているというのに、武蔵むさしは、それをなだめようとはせず、自分じぶんのしたくちもとくちと、ふたつのえだ両手りょうてって、
「ウーム……」
 じっと、くらべているのだった。

 ややあって、武蔵むさしは、
「ア、まない、まない」
 きじゃくっている小茶こちゃちゃんのあたまで、こころをくだいて、あやまったり、機嫌きげんをとったりして、
「このはなは、だれってたのからないか」
「もらったの」
だれに」
「おしろひとに」
小柳生城こやぎゅうじょう家中かちゅうか」
「いいえおんなひと
「ふウム。……では城内じょうないいていたはなだの」
「そうだろ」
わるかった、あとでおじさんが菓子かしおう、今度こんどはちょうどよいはずだから、つぼしてごらん」
「こう?」
「そうそう、それでよい」
 おもしろいおじさんとついていた武蔵むさしが、小茶こちゃちゃんは、かたなひかりてから、きゅうこわくなったらしい。それがすむとすぐ、部屋へやえなくなった。
 武蔵むさしは、とこ微笑びしょうしている芍薬しゃくやくはなよりも、ひざまえちているえだ根元七寸程ねもとしちすんほどはしへ、まだこころうばわれていた。
 そのもとくちは、はさみったのでもないし、小刀こづかともおもわれない。みき柔軟じゅうなん芍薬しゃくやくのそれではあるが、やはり相当そうとうこしものもちいてってあるものと武蔵むさしたのである。
 それも、なまやさしいかたではないのだ。わずかな木口きぐちであるが非凡ひぼんえがひかっている。
 こころみに、武蔵むさしは、自分じぶんもそれにならってこしかたなってたのであるが、こうくらべて、こまやかにると、やはりちがっている。どこがどうと指摘してきできないが、自分じぶんくちには、はるかにおとるものを正直しょうじきかんじるのだった。――たとえば一個いっこ仏像ぶつぞうるのに、おな一刀いっとうもちいても、その一刀いっとうあとには、あきらかに、名匠めいしょう凡工ぼんこうのみのちがいがわかるように。
「はてな?」
 かれは、ひとおもう。
城内じょうない庭廻にわまわりのさむらいにすら、これほどな手腕しゅわんのものがいるとすると、柳生家やぎゅうけ実体じったいは、世間せけんでいう以上いじょうなものかもれない」
 そうかんがえてくると、
あやまっている、自分じぶんなどはまだ所詮しょせん――」
 と、謙遜へりくだった気持きもちにもなるし、またその気持きもちりこえたものが、
相手あいてにとって不足ふそくのないものだ。やぶれたときは、いさぎよく、かれあしもとへ降伏こうふくするまでだ。――だが、なにほどのことがあろう、してかかるからには」
 闘志とうしって、こうすわっているうちにも、全身ぜんしんあつくなってる。わか功名心こうみょうしんが、脈々みゃくみゃくと、肋骨あばらのうちにりつめる。
 ――が、手段しゅだんだ。
 所詮しょせん武者修行むしゃしゅぎょうのおかたには、石舟斎様せきしゅうさいさまは、おいなされますまい。だれのご紹介しょうかいをおちになろうと、おいになるづかいはありません――とは、この旅宿やどあるじもいったことばである。
 宗矩むねのり不在ふざいまご兵庫ひょうご利厳としとし遠国えんこく。――どうしても、柳生やぎゅうってこの土地とちとおろうというのには、石舟斎せきしゅうさいがけるほかはない。
なにかよい方法ほうほうは?」
 またそこへかんがえがもどってくると、かれのうちをけていた野性やせい征服慾せいふくよくは、ややちついたものへかえって、は、とこ清純せいじゅんしろはなうつっていた。
「…………」
 何気なにげなくているうちに、かれはふと、このはなているだれかをおもしていた。
 ――おつう
 がひさしぶりに、かれの、荒々あらあらしくのみはたらいている神経しんけい粗朴そぼく生活せいかつなかに、彼女かのじょのやさしい面貌おもざしかんできた。